ナザレスの全盛期を支えた元リード・シンガーのダン・マカファーティが76歳で逝去。その功績を辿る

Published on

Dan McCafferty - Photo: Erica Echenberg/Redferns

スコットランドが誇るハードロック界の伝説的人物、ダン・マカファーティ(Dan McCafferty)が2022年11月8日に76歳で逝去した。彼は1968年から、健康上の理由によりツアーから引退した2014年までナザレス(Nazareth)のリード・シンガーとして活躍した。現時点で死因は明らかにされていない。

バンドのベーシストのピート・アグニューは、バンドのFacebookページで次のように追悼を捧げている。

「ダンが12時40分に亡くなりました。これは今までで一番悲しいお知らせです。マリアンと家族は素晴らしい夫と父親を失い、私は親友を失い、世界は史上最高のシンガーの1人を失いました。あまりにも動揺しているので、今はこれ以上何も言えません」

<関連記事>
ナザレスの創設メンバーでギタリストのマニー・チャールトンが80歳で逝去
『Appetite For Destruction』アウトテイクで紐解く当時の制作秘話

 

その生涯:ローディからフロントマンへ

1946年10月14日にスコットランドのダンファームリンで生まれダン・マカファーティは、1968年からナザレスに加入。中心メンバーである、ピート・アグニュー、マニー・チャールトン(ギター)、ダレル・スウィート(ドラム)らは、60年代半ばからダンファームリン周辺のライヴハウスで、お揃いの黄色いスーツで演奏していたザ・シャデッツというカヴァー・バンドで活動を共にしていた。ダン・マカファーティは、ボン・スコットがAC/DCに加入したのと同じように、後にナザレスに加わった。彼はClassic Rock誌のインタビューで当時をこう振り返っている。

「当時の俺はバンドのローディでし。シンガーの1人がライヴ当日に脱退することになった時、バンドは俺を試してみることにしたんだ。リハーサルもなく、いきなり参加することになったよ。脱退したデスの黄色いスーツが俺にぴったりだったね」

1970年になると、バンドはカヴァーに飽き、オリジナルの作品でロックバンドとしてのキャリアを追求することを決意する。同じダンファームリン出身のビンゴホールの大富豪ビル・フェヒリーがグループのマネージメントを引き受けてくれた。

その後数ヶ月間、エディンバラ周辺でライヴを行い、ダン・マカファーティのエネルギッシュなパフォーマンスがペガサス・レコードの目に留まり、1971年にバンドはレコード契約を獲得する。

その後、ナザレスはディープ・パープルのロジャー・グローヴァーがプロデュースした1973年の3作目のアルバム『Razamanaz』で全英チャート11位を記録し、ダン・マカファーティが共作した「Broken Down Angel」と「Bad Bad Boy」という2曲のシングルが全英TOP10入りを果たす。

続く4作目『Loud and Proud』も同年リリースされ、ジョニ・ミッチェルの「This Flight Tonight」のナザレス・ヴァージョンがTOP10入りのヒットを記録した。

一方、アメリカではこれらのアルバムはいずれも全米チャート150位台に留まり、1974年に発表した5作目のアルバム『Rampant』もイギリスで13位を記録したが、同様に失速してしまった。しかし、その翌年、バンドは初めてアメリカで大きな成功を手にすることになる。

カントリー曲の大胆なリメイク

6作目のアルバム『Hair of the Dog』の中で、彼らは、カントリー・デュオ、エヴァリー・ブラザースの「Love Hurts」を大胆にアレンジした(この曲でフィードバックが効いた印象的なギター演奏を披露するマニー・チャールトンは、今年7月に80歳で亡くなっている)。全米シングル・チャート8位を記録した「Love Hurts」のヒットは、アルバム『Hair of the Dog』を全米TOP20に押し上げ、アメリカでの最大の成功作となった。

その後も、同曲は『ザット’70sショー』『キング・オブ・ザ・ヒル』『スーパーナチュラル』『scrubs〜恋のお騒がせ病棟』などのTVシリーズや、2005年のスケートボード映画『ロード・オブ・ドッグタウン』などに起用されたことで、クラシック・ロックの定番曲として広く知られることに。

アメリカでは、1976年に「Love Hurts」がゴールド・ディスクに、1992年に『Hair of the Dog』が100万枚のセールスでプラチナ・ディスクに認定されているが、同アルバムからのシングル「My White Bicycle」が中ヒットを記録したUKではアルバムはヒットにはならなかった。

ナザレスが1976年に発表した7作目のアルバム『Close Enough for Rock ‘n’ Roll』は全米チャート24位を記録し、これがバンドにとって最後の全米TOP40アルバムとなった。1980年のシングル「Holiday」は全米でマイナー・ヒットを記録し、1982年には「Love Leads to Madness」がFMラジオで人気を博した。1981年にはクロークスと北米ツアーを行い、2008年にはディープ・パープルのオープニングアクトを務めている。

70年代のバンド全盛期

ナザレスは1970年代の残りの期間もアルバムの録音を続け、イギリスBBC2の人気音楽番組『The Old Grey Whistle Test』に頻繁に出演を果たした。同番組のプロデューサーであるマイク・アップルトンとの友情のおかげで、彼らはショーへの出演を放送直前に辞退するミュージシャンの代わりに出演する控えバンドに抜擢されたのだ。

1980年代から90年代にかけては、チャートでの成功はなかったが、ナザレスはヨーロッパ、特にドイツでの人気ツアー・バンドであり続けた。ナザレスに大きな影響を受けたというガンズ・アンド・ローゼズが、1993年のアルバム『The Spaghetti Incident』で「Hair Of The Dog」をカヴァーするなど、彼らの名声は今もなお健在だ。

ダン・マカファーティは慢性閉塞性肺疾患を発症し、2014年にバンドからの脱退を余儀なくされた。彼はClassic Rock誌にこう明かしていた。

「もう以前のようにツアーで歌うことはできなくなってしまい、仕事ができないならそこにいるべきじゃないと思ったんだ。悲しいことだけど、もうライヴでフル・セットを歌うことはできないんだ」

しかし、その後もスタジオでレコーディングを続けた彼は、2019年に最後のソロ・アルバム『Last Testament』をリリースした。1973年、彼はNew Musical Express誌のインタビューで次のように語っていた。

「俺たちが好きなのはロックンロールなんだというのが根底にある。リヴァイヴァル・バンドにはなりたくなかったので、俺たちがやろうとしたのはベーシックでシンプルなロックの曲を書くことだった。それがとても難しいことなんだけどね。それが今のナザレスのなんだ。俺たちは何百万ものミュージシャンに影響を受けている。あらゆる種類の音楽を聴いているからね。意識的に何かをピックアップしているとは思わないけど、きっとそうしてしまっているんだろう。なぜなら、俺たちは時々、他の誰かのように聞こえる曲を作っては、それを捨てて、他とは同じに聞こえないようにしている。それはとても難しいことなんだよ。同じロックバンドだからね」

Written By Tim Peacock




Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了