『サタデー・ナイト・フィーバー』とビー・ジーズが生み出した名曲「More Than A Woman」
世界中で約2億枚を超えるレコード売上を誇り、今や史上最も人気の高いアーティストの一つとして確固たる地位を築いているビー・ジーズ(Bee Gees)だが、実は彼らのディスコ・ヒットはバンドが苦境にある時に生まれたものだった。ギブ兄弟の長兄であるバリー・ギブは2013年、次のように語っている。
「あの頃の僕らは事実上死んだも同然でした」「ビー・ジーズのサウンドは基本的にマンネリ化していた。当時の僕らは3年くらいヒットに恵まれてなくて、何か新しいものが必要だった」
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その頃、マネージャーのロバート・スティグウッドは『新しい土曜の夜の部族の儀式 (Tribal Rites of the New Saturday Night)』という雑誌記事の映画化権を買って、ハリウッドでの映画化のためにジョン・トラボルタに声をかけたが、以前トラボルタはこう語ったことがある。
「最初の頃、ビー・ジーズはあの映画にはまったく関係してなかった。リハーサルではスティーヴィー・ワンダーの曲に合わせて踊っていたんです」
リハーサルで使っていたスティーヴィー・ワンダーの曲の使用許諾がおりず、スティグウッドは税金の関係でマン島に住んでいたビー・ジーズに電話して、ラフな映画の脚本を送るので曲を何曲か書いてくれないかと頼んだ。しかし、彼らはその脚本を読むことはなかった。というのも、彼らはクリスマス直前にロスで録音したライブ・アルバム『Here At Last…Bee Gees…Live』のミックス作業のため、フランスのエルヴィル城スタジオにすぐに向かわなければならなかったのだ。
そんな中、彼らは予定の空いた週末を使って、スティグウッドが送って来た映画のラフなあらすじの内容を読んで、“ペンキ屋で働き、土曜日の夜には街に繰り出すこの男”についての曲を構想。「Night Fever(恋のナイト・フィーヴァー)」「Stayin’ Alive」「More Than A Woman」「How Deep Is Your Love(愛はきらめきの中に)」、そして「If I Can’t Have You」という5つの素晴らしい曲を書き上げた。
この映画のサウンドトラックのプロデュースでグラミー賞を受賞したビル・オークスは、2020年に米HULUで公開されたドキュメンタリー『The Bee Gees: How Can You Mend A Broken Heart』の中でこう語っている。
「この5曲は金色に輝くような曲でした。脚本も読まずにこんな凄い曲を書いてよこすなんて、彼ら以外にこんな芸当のできる作曲家は思いつきません」
その5曲の中で、ビー・ジーズ3人の共作による「More Than A Woman」は、トラボルタ演じる主人公とその恋人がダンスをする場面で感動的に使われ、映画の中で最もロマンティックなハイライトとなった。歌詞ではその高まる感情をこう表現している。
Here in your arms I found my paradise
My only chance for happiness
And if I lose you now I think I would die
君の腕の中で僕は天国を見つけた
これこそが幸せへの唯一のチャンス
今君を失ったら僕は死んでしまうだろう
城でのレコーディング
当初の打合せの後、マネージャーのロバート・スティグウッドとビー・ジーズが所属していたRSOの重役ビル・オークスはその5曲のデモを聴くためにフランスに飛んだ。ビー・ジーズのメンバーは1977年2月、フランスのヴァル=ドワーズ県にあるエルヴィル城スタジオで、バリー・ギブとアルビー・ガルテンが共同プロデューサーを務める中、さっそく録音を開始していた。バリーとアルビーは、「More Than A Woman」のドラム・パートにじっくり取組み、最終的に「Night Fever」となる曲のために作った同じループを使用することにした。
フランスに到着したビル・オークスはレコーディング・スタジオの状態を見て驚いたと語っている。
「そこはエルトン・ジョンがアルバム『Honky Château』を録音したところで、『さぞかしひどいスタジオなんだろうな』と思って実際に着いてみると、ガレージのようなところで愕然としました」
ところが、ギブ兄弟がたった一本のマイクで録音したラフなデモを聴いて、ビル・オークスとスティッグウッドは大喜びしていたと、バリー・ギブはこう思い返す。
「二人は飛び上がって最高だって喜んでました。私たちはその映画がどんなコンセプトなのかも全く判ってなかったのに」
4月には、ビー・ジーズは「Night Fever」をマイアミのクライテリア・スタジオに持ち込んで磨きをかけたが、その頃には「If I Can’t Have You」はイヴォンヌ・エリマンに歌わせることが決まっていた。「More Than A Woman」も、R&B/ファンク・グループのタバレスに歌わせることになっていたので、ビー・ジーズ自身が歌うヴァージョンは未完成のままとなっていた。
ところが映画会社は「More Than A Woman」のタバレスとビー・ジーズの二つのヴァージョンをサウンドトラックに収録することを決めたので、ビー・ジーズは1977年9月にロサンゼルスのチェロキー・スタジオにて、ミキシングの前に彼らのヴァージョンを急いで仕上げることになった。
その最終ヴァージョンでは、モーリス・ギブのベース、バリー・ギブとアラン・ケンドールのギター、デニス・ブライオンのドラム、ブルー・ウィーヴァーのキーボード、そしてジョー・ララのパーカッションの創り出す安定したディスコ・グルーヴが、ビー・ジーズの素晴らしいファルセット・ハーモニーを支えていた。またウェイド・マーカスによるアレンジのおかげで、ストリングスも加わった。
大きな反響
『サタデー・ナイト・フィーバー』のサウンドトラックは1977年11月15日にリリースされると、2枚組ながら世界中で4000万セットを超える売上を記録し、瞬く間に史上最も売れたアルバムの一つとなった。アルバムはその年のグラミー賞の年間最優秀アルバムを受賞、米国議会図書館の国家保存重要録音作品として登録されることになった。
ビー・ジーズが歌唱する「More Than A Woman」はイギリスでもアメリカでもシングルとしてリリースされることはなかったが、イタリアではシングル発売された。そしてデジタル時代になってもこの曲の人気は衰えず、イギリスだけでも2021年初頭までに1,700万回を超えるストリーミング回数を記録。またモーリス・ギブが他界する2003年までビー・ジーズのライブセットとして欠かせない曲であり、1998年に3人組のボーイ・バンド、911によってカバーされたヴァージョンは全英チャートで2位を記録するヒットとなった。
ディスコの歴史に特別な位置を占めることになった「More Than A Woman」だが、モーリス・ギブにとってこの曲は多くの人の琴線に触れた“美しいバラード曲”だったという。
「“More Than A Woman”は私たちが書いた時には想像もしないくらいの結果を生み出した曲です。タバレスはこの曲を大ヒットにし、『サタデー・ナイト・フィーバー』をあんなにも大ヒット映画にした曲で、何しろ世界中がこの曲で踊ったのですから」
Written By Martin Chilton
- ビー・ジーズ アーティストページ
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