ムーディー・ブルースの創設メンバー、グレアム・エッジが逝去。その功績を辿る

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photo: Patti Ouderkirk/WireImage

ムーディー・ブルース(Moody Blues)の創設メンバーでありドラマー、作曲家のグレアム・エッジ(Graeme Edge)が2021年11月11日に80歳で亡くなった。

この訃報を受け、長年のバンドメンバーであるジョン・ロッジは、エッジが共同作曲した『On the Threshold of a Dream』の収録楽曲「The Dream」の歌詞を引用して次のようにコメントを投稿した。

「“When the White Eagle of the North is flying overhead” …悲しいことに、今日グレアムは我々のもとを去りました。私にとって彼は、その美しい詩、友情、人生への愛、そしてムーディー・ブルースのエンジンルームであった彼の “ユニーク “なドラミングで、まさに北の白い鷲でした」

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バンドの1967年の名作アルバム『Days Of Future Passed』の50周年記念リイシューの後、ロックの殿堂入りを控えた2017年末のインタビューで、グレアム・エッジはこう語っていた。

「俺たちの前にいた他のグループをどけて、無理やりトップへと進んだんだよ! もちろん最初にバンドを始めたときは何もわからないままだったさ、俺らがどれぐらい持続するのかなどなんてね。それに30才過ぎの奴のことは誰も信じられなかったんだ」

「その時には誰も思いもしなかったのが、自分たちと共にファンも年を取るということだ。だから進むことが出来たし、それに俺たちは皆ライヴで演奏するのが大好きだ。俺は今、76歳だ。そして何歳まで続けられるかはわからないが、続けていきたい。若さを保つ事が出来るからね。それと俺が50歳を過ぎたとき、これから引退する人や、すでに引退した人と話すと、彼ら全員から “早すぎる引退はおすすめしないよ” と言われたんだ」

グレアムは、1941年3月30日にスタフォードシャー州の町、ロチェスターで生まれた。母親は無声映画のピアニストで、父親、祖父、曾祖父はいずれもミュージックホールの歌手だった。

地元でブルー・リズム・バンドに参加した後、レイ・トーマス、マイク・ピンダー、クリント・ワーウィック、デニー・レインとともにムーディー・ブルースを結成。グレアム・エッジはDeccaからリリースされたオリジナル・ラインアップのすべての作品でドラムを演奏し、ベッシー・バンクスの「Go Now」のカバーでイギリスのチャートを賑わせたが、その後の作品はあまり成功しなかった。

バンドは、レインとワーウィックが脱退し、ロッジとジャスティン・ヘイワードが共同でフロントマンを務めることで、グループがよりプログレッシブなサウンドに移行。『Days Of Future Passed』は、詩やフォーク、神秘主義などの要素を取り入れた、冒険的で実験的なロックアルバムの最初の作品であり、ユニークな全体像を表現していた。この1967年に発売された名作アルバムでは、「The Day Begins」の“Morning Glory”のパート、アルバムの締めくくり「The Night」の“Late Lament/Resolvement”を作曲し、1968年のアルバム『In Search Of The Lost Chord』では、導入部の短い「Departure」を書いてナレーションも担当している。

エッジは、その後にリリースされたすべてのスタジオ作品や、手強いアメリカのオーディエンスを中心とした精力的なツアーに、常にドラムとパーカッションで参加していた。1969年の『To Our Children’s Children’s Children』では、ロック調のインストゥルメンタル曲「Beyond」を作曲し、その後のムーディーズの作品にも詩やナレーションを提供している。

他にもグレアム・エッジは、『A Question Of Balance』に収録された「Don’t You Feel Small」、『Every Good Boy Deserves Favour』に収録された「After You Came」、1978年にバンドが再結成した『Octave』に収録された「I’ll Be Level With You」などを手がけていた。

バンドが1970年代半ばに活動を休止し、メンバー全員がソロ活動に専念している間、グレアム・エッジはグレアム・エッジ・バンドを結成し、1975年の『Kick Off Your Muddy Boots』(1曲はジンジャー・ベイカーとドラムの“デュエット”をしている)と1977年の『Paradise Ballroom』の2枚のアルバムをリリースしている。

Written by Paul Sexton



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