リンキン・パークのヴォーカリスト、チェスター・ベニントンが41歳で死去
リンキン・パークのヴォーカリスト、チェスター・ベニントンが亡くなった。41歳であった。記者の報告によると、チェスター・ベニントンの死因は首を吊った自殺であったという。AP通信の取材に対し、ロサンゼルス郡検死官は、20日の早朝に彼のロサンゼルスにある自宅で死亡しているのが発見されたと答えた。
鑑識課のスポークスマンであるブライアン・エリアス氏がAP通信に対し、検死の結果、自殺であると報告したものの、それ以上の詳細はまだ明らかにされていない。チェスター・ベニントンには妻のタリンダ・アン・ベントリーと6人の子供がいた。
チェスター・ベニントンはリンキン・パークの最新作『One More Light』のワールド・ツアー中であった。来週にはニューヨークで、リンキン・パークの他に、ブリンク182、ウータン・クランそしてマシン・ガン・ケリーを迎えたイベント『Blinkin Park』が開催される予定であった。
1976年5月20日、アリゾナ州フェニックスで生まれたチェスター・ベニントンは、地元のポスト・グランジ系バンドだったグレイ・デイズのフロントマンとしてアルバムを3枚リリースして、1998年に解散、同年に勤めていたデジタル・サービス会社を辞めロサンゼルスに移り、当時ゼロという名前だったリンキン・パークのヴォーカル・オーディションに合格する。
ベニントンとリズムギター兼ヴォーガリストのマイク・シノダとの化学反応が、バンドをネクスト・レベルへと押し上げた。バンド名をリンキン・パークへと改名するとワーナ・ブラザーズと契約、2000年に『Hybrid Theory』でデビューし世界的名声を得るまでに駆け上がり、同アルバムは2005年にアメリカで1,000万枚を売り上げダイアモンド・アルバムに認定される。
Nu Metalのスーパースターとなった彼らは、続く2003年リリースの『Meteora』と2007年リリース『Minutes To Midnight』と連続で全米アルバム・チャートの首位に輝き、世界的成功をおさめた。2014年には、絶大な影響力を誇るロック誌であるKerrang!がリンキン・パークを“現在世界で最も成功しているロックバンド”と宣言した。彼らは現在までに全世界で7,000万枚のアルバムを売り上げ、グラミー賞を2度受賞している。
チェスター・ベニントンの死去に関するニュースを、バンド・メイトであり親友であるマイク・シノダがTwitterで「ショックで胸が張り裂ける思いだが事実である。公式のコメントは詳細がわかり次第発表する」と投稿した。
ロック界のみならず、あらゆるエンターテイメントの世界の著名人達がTwitterで追悼の意を表している。「俺は泣いている。チェスターは俺に幸せだってつい最近話をしたばかりだった。。。彼は優しくて才能のある男だった。。。彼の家族、バンド・メンバー、ファンのことを思うと悲しく思う」とモトリー・クルーのニッキー・シックスが投稿した。
テレビ司会者であるジミー・キンメルも「チェスターは自分の番組に登場した人物の中でも、最も優しい人であった。彼の家族や友人のことを思うと心が痛みます。大変寂しいです」と投稿した。
Written by Tim Peacock