KISS『Destroyer』のアルバムジャケットで一躍有名となったケン・ケリー逝去
KISS、レインボー(Rainbow)、マノウォー(Manowar)などのハード・ロックやメタル・バンドのアルバムカバーを数多く手がけ、そのワイルドでファンタジーな作風で有名なアーティスト、ケン・ケリー(Ken Kelly)が2022年6月3日に76歳で亡くなった。
ケリーの死は、昨日、彼の友人であり、Coallier Entertainmentの社長兼創設者であるダニー・スタントンによって次のように伝えられた。
「RIP ケン・ケリー。あなたは常にKISSの世界では伝説的な存在です。素晴らしい男であり、アーティストであり、友人だ」
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その生涯とKISSの『Destroyer』
1946年に米コネチカット州で生まれたケリーは、当初、70年代初頭にウォーレン・パブリッシングのコミックブックやホラー雑誌でそのキャリアをスタートさせた。KISSのドラマーであるピーター・クリスが彼にバンドのアルバムカバーをまかせることを思いついた。ケリーは2018年にPrint誌にこう話している。
「私はずっとジーン・シモンズが声をかけてくれたのだと思っていたのですが、ジーンとポール・スタンレーがマーベル・コミックを読んでいるときに、私が担当したウォーレン・パブリッシングの“Eerie and Creepy”を読んでいたのはピーター・クリスだったとクリスの奥さんが言っていたんです。だから、私がコミックのカバー担当を卒業できることになったのは、根本的にピーター・クリスのおかげだと言えますね」
KISSはケリーに1976年のアルバム『Destroyer』のアートワーク制作を依頼。彼は基本的なコンセプトを与えられ、30日間でイメージを作成するよう依頼されたが、ケリーの最初に提出したデザインは、バンドのレーベルに拒否された、彼はこう振り返る。
「彼らはその絵があまりにも暴力的だと考えたんだ。1975年当時、彼らはあんなネガティブなジャケットで、こんな大きなプロジェクトを立ち上げたくなかったんです。もう私のキャリアは終わったと思った。それまでに受けた中で、最も重い衝撃でした」
ケリーはキャリアを終える代わりに、KISSからデザインに再挑戦する機会を与えられた。その結果、『Destroyer』の伝説的なアートワークが生まれることとなった。
このアルバム・ジャケットの人気により、多くのロック・アーティストがケリーへ依頼するようになった。レインボーは1976年の『Rising』のアートワークをケリーに依頼し、KISSは1977年の『Love Gun』のジャケットでケリーを再起用、マノウォーは1987年から2007年にかけて6枚のアルバムでケリーを起用。
さらにコヒード・アンド・カンブリアは2007年のLP『No World for Tomorrow』でケリーに依頼、2014年には元KISSギタリストのエース・フレーリーとソロ・アルバム『Space Invader』で再タッグを組むなど、ケリーは様々なアーティストと仕事をするようになった。
Written By Sam Armstrong
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