名曲「青い影」を生んだプロコル・ハルムの創設メンバー、キース・リードが逝去。その功績を辿る
UK出身のロックバンド、プロコル・ハルム(Procol Harum)の創設メンバーで、「A Whiter Shade of Pale(青い影)」をはじめ、バンドのヒット曲のほとんどの作詞を手掛けたキース・リード(Keith Reid)が、2023年3月23日、ロンドンの病院で76歳で逝去した。肝臓にまで転移した大腸がんを患っていたという。
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昨年2月には、プロコル・ハルムのフロントマンで、キース・リードとは決して親密な関係ではなかったにもかかわらず、バンドのほとんどの楽曲を彼と共作したゲイリー・ブルッカーが同じく76歳で亡くなっている。ゲイリー・ブルッカーは、2003年のワシントン・タイムズ紙のインタビューの中で、2人の関係性についてこう明かしていた。
「キースのことを実は全く知らないんだ。彼はとても深い人間で、とてもプライベートな人でもある。それでも、僕たちは一緒に仕事をしていて、時にはとても親密な方法でコミュニケーションをとることもあるけれどね。魂を剥き出しにすることだってある。でも、結局のところ、僕は彼がどんな人なのか知らないんだ」
1967年に数百万枚を売り上げたプロコル・ハルムのデビュー・シングル「A Whiter Shade of Pale」に登場する、「ダンスルームはさらに盛り上がって、天井が吹き飛ぶんじゃないかってくらいに/The room was humming harder as the ceiling fle away」や「16人の純潔な巫女の一人は沖へと流された/Sixteen vestal virgins who were leaving for the coast」などの歌詞でも知られているように、言葉の魔術師としてのキース・リードの描写スタイルは、しばしば難解でシュールなものだった。
彼の独特のスタイルは、以降バンドの人気曲である「Homburg」「Conquistador」「A Salty Dog」、「Grand Hotel」や、1975年のイギリスでの最後のヒット・シングル「Pandora’s Box」などにも色濃く表れている。
「A Whiter Shade of Pale」が世界的ヒットを記録していた当時、キース・リードはNew Musical Express誌の取材に、バンド結成の成り行きについて次のように語っていた。
「ある日、僕はただ座って文章を書き、その言葉を封筒に入れてゲイリーに渡したんだ。それから半年間、偶然に会う以外には、彼に会うことはなかった。彼からは“君の歌詞に曲をつけてみたんだ”とは言われていたんだけど、またそれから半年間は音沙汰がなかった。その後、パラマウンツが解散したと聞いて、連絡を取ったんだ。僕たちはよくわかっていなかったけれど、その時プロコル・ハルムと“Whiter Shade Of Pale”が誕生しようとしていたんだ」
「青い影」はプロコル・ハルムの楽曲のひとつに過ぎない
プロコル・ハルムのデビュー曲がメガヒットを記録したことで、バンドが誇る豊富で充実したカタログ作品の存在が霞んでしまう恐れはあったが、キース・リードはそれについても冷静に捉えていた。彼は1970年のMusic Now誌のインタビューでこう語っている。
「僕たちはそのことをよく理解しているよ。あのレコード以降も自分たちは良い作品をたくさん作ってきたんだ。もどかしい気持ちになることはあるけれど、僕らのアルバムを買ってくれる人たちにとっては、“Whiter Shade of Pale”は僕らの楽曲のひとつに過ぎないんだ」
1977年のプロコル・ハルムの最初の解散後、ゲイリー・ブルッカーはソロ・アルバムを何作かリリースし、1991年にバンドは再結成を果たした。以降、何度もメンバーチェンジを繰り返しながらライヴとレコーディング活動を続けていったが、2017年の12作目のスタジオ・アルバム『Novum』までは、すべての楽曲に、ゲイリー・ブルッカー作曲、キース・リード作詞による“ブルッカー=リード”の刻印が刻まれている。アルバム『Novum』では、キース・リードに代わりクリーム及びジャック・ブルースとの仕事で知られる詩人のピート・ブラウンが起用された。
その生涯
1946年10月19日、ロンドンの北に位置するウェリン・ガーデン・シティで生まれたキース・リードは、1966年にR&Bバンド、パラマウンツのフロントマンを務めていたゲイリー・ブルッカーと出会い、まだ20歳だった1967年5月に、プロコル・ハルムの“影のメンバー”として「A Whiter Shade of Pale」で忘れられないデビューを飾った。彼らはデビューから最初の5年間で1,000万枚を売り上げたと言われている。
プロコル・ハルムの活動休止期間中、キース・リードは他のアーティストの楽曲も手掛けていった。1986年には、アンディ・クンタ、マギー・ライダー、クリス・トンプソン(マンフレッド・マンズ・アース・バンドとの仕事で知られる)と、イギリス出身オーストラリア在住の歌手ジョン・ファーナムの「You’re the Voice」を共作し、アメリカを除くほとんどの主要国で大ヒットする成功を収めた。
2008年には、彼が作詞・共同プロデュースを手掛けるキース・リード・プロジェクト名義の第1弾アルバム『The Common Thread』を発表し、ジョン・ウェイト、サウスサイド・ジョニーらと共にクリス・トンプソンがゲスト・ヴォーカリストとして参加している。2018年にはソロ・プロジェクトでの第2弾アルバム『In My Head』のリリースした。
Written By Paul Sexton
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