サックス奏者のスティーヴ・グロスマンが69歳で逝去:マイルスやエルヴィン・ジョーンズのバンドで活躍したハードバップ&フュージョンプレイヤー

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Steve Grossman at the Brecon Jazz Festival in 1997. Photo: David Redfern/Redferns

ニューヨーク出身のハードバップ&フュージョン・サックス奏者、スティーヴ・グロスマン(Steve Grossman)が2020年8月13日、69歳で逝去した。NPRが報じたところによると、ニューヨーク州グレンコーブのグレンコーブ病院での長い闘病生活の末、心拍停止により亡くなったことを彼の兄であるマイルスが確認したという。

スティーヴ・グロスマンは、1970年にウェイン・ショーターの後任として加入したマイルス・デイヴィス(Miles Davis)のバンドでの作品で最もよく知られている。その後エルヴィン・ジョーンズ(Elvin Jones)グループでの活動を経て、1974年から2006年にかけて、実に24作以上のリーダー作品を発表している。

NPR Musicは、「スティーヴ・グロスマンは、その確かなリズム感と明快な突進力によって、1970年代に脚光を浴びるようになった」と記している。 現代を代表するジャズ・サックス奏者であるダニー・マッキャスリンは自身のツイッターで、「スティーヴ・グロスマン、安らかにお眠りください。すべてのインスピレーションをありがとう」と彼を追悼した。

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彼は私たちの中で最も優秀でした

NPRに掲載された評論家ネイト・チネンによる追悼記事では、スティーヴ・グロスマンと同世代のサックス奏者であるデイヴ・リーブマンのインタビューが引用されており、彼はこう語っていた。

「彼は私たちの中で最も優秀でした。私たちと同世代の当時のテナー奏者たちは、みんなそれを認めていました。存命の当時の仲間たちは、今でも最も活躍したミュージシャンのひとりにスティーヴを挙げるでしょう」

スティーヴ・グロスマンは、1951年1月18日にNYブルックリンに生まれ、8歳でアルト・サックス奏者として音楽活動をスタート、10代半ばにはソプラノ奏者として活動の幅を広げていった。ジョン・コルトレーンを彷彿とさせる彼の天性の才能に注目したマイルス・デイヴィスは、スティーヴ・グロスマンが18歳の時に、自身のフュージョン・バンドにウェイン・ショーターの後任として彼を雇った。

偉大なトランペッターと同バンドで過ごした時間は短かったが、彼は1970年の「Miles Davis at Fillmore: Live at the Fillmore East」「A Tribute to Jack Johnson」「Live-Evil」などの後世に影響を与える重要作に出演している。

1971年にロニー・リストン・スミスと短期間活動した後、エルヴィン・ジョーンズのバンドで2年間活動を共にし、彼のブルーノートからのアルバム『Merry-Go-Round』や『Mr. Jones』などに参加した。1970年代半ばにはドン・アライアス、ジーンパーラと結成したストーン・アライアンス(Stone Alliance)としても活動したスティーヴ・グロスマンは、1974年には自身のバンドを率いての初のリーダー作『Some Shapes to Come』をPMレコードからリリース。今作にはドン・アライアス、ジーンパーラに加え、ヤン・ハマーもゲスト参加した。

その後も、エルヴィン・ジョーンズが参加した1993年の『Time To Smile』、2006年に再びドン・アライアス、ジーンパーラ、ヤン・ハマーを迎え、Mambo Maniacsからリリースした『The Bible』など、多くのリーダー作品を発表し、かつての同僚たちと再会することもあった。2010年にはアントニオ・チッカのMotéma Musicからのセカンド・アルバム「Lagos Blues」にも出演している。

Written By Paul Sexton



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