ジャマイカが誇る伝説的レゲエDJのU・ロイが78歳で逝去。その功績を辿る
ジャマイカが誇る伝説的レゲエDJのU・ロイ(U-Roy)が2021年2月17日、78歳で逝去した。彼は40年以上に及ぶレコーディング・キャリアの中で、レゲエにおけるトースティング技法を完成させたヴォーカル・アートの先駆者にして、巨匠として名声を博した。以前から体調を崩しており、ジャマイカの西インド諸島大学病院(UHWI)で受けた手術後に亡くなったと報じられている。
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この訃報を受けて、多くのミュージシャンたちがソーシャルメディア上に追悼の言葉を捧げている。ポップ&ダンスホールのスターとして知られるシャギーは次のように述べている。
「今日、私たちのヒーローの一人が旅立ってしまいました。ダンスホール/レゲエ界の真のレジェンドで、サウンド・システムのファンならば、誰しもが“キング・スター・ガフ(King Stur Gav)”のファンでしょう。ジョジー・ウェールズ大佐やチャーリー・チャップリンといったダンスホール/レゲエ界の先駆者たちと共に、素晴らしいレコーディング作品の数々を残したU・ロイは、サウンド・システムの達人でした。安らかに眠れ、ダディ・ロイ!良い旅を」
また、U・ロイを“アイロニックなトースター”と称するイギリスの有名ラジオDJ、デヴィッド・ロディガンは、「私はずっと彼に畏敬の念を抱いていました。その声のトーンや抑揚、叙情的煌めき、リディムの乗り方が、彼を“魂の冒険家”にしたのです」と追悼している。
“ダディ”の愛称で親しまれたU・ロイは、パラゴンズのジョン・ホルトの勧めで、デューク・リードのレーベル、トレジャー・アイル(Treasure Isle)と契約を交わした1970年に、ジャマイカ国内のラジオで大ヒットした「Wake the Town」や「Wears the Town」を発表し、同年には自身のファースト・アルバム『Version Galore』をリリース。以降も20作に及ぶレコードを制作していった。
ほどなくしてリー・スクラッチ・ペリー、ルーピー・エドワーズ、バニー・リー、ソニア・ポッティンジャー、アルヴィン・ラングリン、ロイド・ダリィらと共作するようになった彼は、1972年に初めてイギリスへと渡り、ロイ・シャーリーとマックス・ロメオらとライヴで共演を果たす。
その後も国際的な知名度を上げていったU・ロイは、1975年にヴァージン・レコード(Virgin Records)からリリースしたアルバム『Dread In A Babylon』での成功を皮切りに、『Natty Rebel』、『Rasta Ambassador』、『Jah Son of Africa』と立て続けにアルバムを発表。2010年代に入ってからもアルバムをリリースし続け、2004年にはトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズのグラミー受賞アルバム『True Love』にも参加を果たした。彼のジャマイカ音楽への多大な貢献は、“ジャマイカ名誉勲章”として称えられている。
Written By Paul Sexton
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