アイルランド出身のシンガーソングライター、シネイド・オコナーが56歳で逝去。その功績を辿る

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Sinead O'Connor - Photo: Getty Images

90年代初頭にプリンスの「Nothing Compares 2 U」のカヴァーで一躍スターダムをかけあがったアイルランド出身のシンガーソングライター、シネイド・オコナー(Sinéad O’Connor)が56歳で逝去した。 現時点で死因は明らかにされていない。

彼女の家族は、アイルランドのニュースネットワークRTEに次のような声明を発表している。

「深い悲しみをもって、私たちの愛するシネイドが亡くなったことをお知らせします。家族と友人たちは悲しみに打ちひしがれており、この非常に困難な時期にプライバシーを尊重していただけるようお願いします」

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過激に声を上げた

そのキャリアを通して様々な論争を巻き起こしたシネイド・オコナーは、組織的な宗教から女性の権利まで、あらゆることに対して強い意見を表明し、司祭の叙階を受けたこともある。

1992年、彼女のキャリアの中で最も注目された出来事のひとつは、彼女がパフォーマーとして出演したアメリカのテレビ番組“サタデー・ナイト・ライブ”で、当時のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てたことだった。この事件により、彼女は放送局NBCから終身出演禁止処分を受け、アメリカ国内で彼女に対する抗議デモが起こった。

彼女は、2021年に行われたニューヨーク・タイムズ紙のインタビューの中で当時を振り返り、「後悔はしていない。晴れやかだったね」と語っていた。

 

成功したキャリア

そうした過激な言動をよそに、シネイド・オコナーは最も不朽の現代アイルランド音楽作品を残していった。ゴールド・セラーを記録した1988年のデビュー・アルバム『The Lion And The Cobra』がグラミー賞にノミネートされたのを皮切りに、セカンド・アルバム『I Do Not Want What I Haven’t Got』からのプリンスの「Nothing Compares 2 U」のカヴァーでは全米No.1に輝き、グラミー賞で4部門にノミネートされるなど、超新星として一躍注目を集めるようになる。

英国、アイルランド、アメリカで1位を獲得した同曲「Nothing Compares 2 U」の成功は、涙を流しながら歌う彼女の顔にクローズアップした印象的なミュージック・ビデオに拠るところも大きかったが、彼女は後に、このビデオ撮影中に、1985年に交通事故で亡くなった母親を思い出して歌うのが難しかったと語っている。

1994年に発表した4作目のアルバム『Universal Mother』には、女性解放運動家のジャーメイン・グリアのスピーチやカート・コバーンによるニルヴァーナの「All Apologies」のカヴァーなどが収録されていたが、過去作のような顕著な成功を収めることはできなかった。2002年に発表した6作目のアルバム『Sean-Nos Nua』では、アイルランドの伝統的なフォークソングを先鋭的に再構築し、広く称賛された。

その1年後、未発表曲やデモ音源を集めたコンピレーションをリリースした彼女は音楽活動からの引退を表明していたが、その後滞在していたジャマイカでの生活が、7作目のアルバム『Throw Down Your Arms』のレコーディングへと繫がり、スライ&ロビーがプロデュースを手掛けるこの自身初のレゲエ・カヴァー・アルバムは好評を博した。

2012年に発表した9作目のアルバム『How About I Be Me (and You Be You)』で彼女は再びオリジナル楽曲を制作し、アイルランドで5位、全英チャートで33位を記録。2014年にリリースした生前最後のスタジオ・アルバム『I’m Not Bossy, I’m The Boss』では再びアイルランドのチャートで首位を獲得した。

人々の心を掴んで離さないライヴ・パフォーマーだったシネイド・オコナーのケルトの美しいヴォーカル・スタイル、大胆で個性的な人格、歯に衣を着せない意見は、アラニス・モリセット、PJ ハーヴェイ、クランベリーズのドロレス・オリオーダンといった同世代の女性ミュージシャンたちにインスピレーションを与えた。

1999年、カトリック教会の主流派には認められていない宗派であるラテン・トリエント教会から司祭に叙階されたシネイド・オコナーは、一貫して児童虐待、人権、反人種主義、組織的宗教、女性の権利に関する問題について発言してきた。彼女は、2017年に“マグダ・ダヴィット”に改名し、2018年にはイスラム教への改宗を機に、“シュハダ・サダカット”に再び改名していたが、レコーディングとライヴ活動は出生名で続けていた。

 

追悼の言葉

彼女の訃報を受けて、すでに各界から多くの追悼が言葉が寄せられている。

レオ・バラッカー現アイルランド首相は、彼女の音楽は「世界中で愛され、その才能は比類なきものだった」と賛辞を送り、アイルランドのコメディアン、ダラ・オブリエンは 「とても悲しいニュースです。残念でなりません。彼女への愛がどれほど大きなものであったかを彼女が気づいていたことを願っています」と述べているほか、ザ・シャーラタンズのティム・バージェスは、「シネイドはパンク・スピリットの真の体現者でした。彼女は妥協に屈せず、それが彼女の人生をより闘いの多いものにしていました。彼女が安らぎを見つけたことを祈っています」と追悼を捧げている。

また、ジャーナリストのキャトリン・モランは、「彼女はその時代の何十年も先を行っていて、恐れ知らずでした。クイーンよ、安らかにお眠りください」と述べ、アイルランド出身の映画監督マーク・カズンズは、「シネイド・オコナーはアイルランドのワイルドサイドでした。私たちの想像上の人生において大きな存在を占めていました」と故人を偲んだ。

Written By Tim Peacock




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