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ザ・バンドらの作品にも貢献したチューバの巨匠ハワード・ジョンソンが79歳で逝去。その功績を辿る
過去数十年における現代ジャズ界で最も名高いチューバ奏者だったハワード・ジョンソン(Howard Johnson)が2021年1月11日、長きに渡る原因不明の病のため79歳で逝去した。
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この訃報は、 ハワード・ジョンソンを“長年の最愛のパートナー”と呼ぶ、ナンシー・オルワインのフェイスブックから伝えられたが、亡くなった場所は明らかにされていない。彼女は声明の中でこう述べている。
「深い悲しみと共に、長年の最愛のパートナーだったハワード・ジョンソンが、1月11日朝、長きにわたる闘病生活の末に亡くなったことをお伝えします。追悼式の日程は、近日中に発表される予定です。ハワードは、その非凡な人生の中で、独自のジャズ遺産を創り上げ、彼を象徴する楽器であるチューバの名声と多芸さを向上させることに献身してきました。ハワードの願いは、献花や賛辞などの代わりに、ペンシルベニア州立大学でロー・ブラスとバリトン・サックス奏者のためのレジデンシー・プログラムを運営している“ハワード・ジョンソン・チューバ・ジャズ・プログラム基金”に記念の寄付をしていただくことです」
その生涯
1941年8月7日、アラバマ州モントゴメリーに生まれ、1960年代初頭からトップ・チューバ・ソリストとしての地位を確立したハワード・ジョンソンは、チューバとバリトンのみならず、他のリード楽器やコルネットも演奏する多才なプレイヤーだった。1963年にニューヨークに移り住んだ彼は、その地でチャールズ・ミンガス(1964年〜1966年)、ハンク・クロフォード、アーチー・シェップらと共演を果たす。
1966年にギル・エヴァンスとの20年に及ぶ断続的な関係をスタートさせつつ、70年代後半には、“グラヴィティ”という別のチューバ・バンドを結成した彼は、1996年にようやく初のレコーディングの機会を得て、(同年、“モントレー・ジャズ・フェスティバル”にも出演)ファラオ・サンダースへのトリビュートとなるファースト・アルバム『Arrival』をはじめ、ヴァーヴ・レコードからグラヴィティ名義で3作のアルバムを発表した。
ハワード・ジョンソンはまた、ハンク・クロフォード(1983年~1984年)、ジャック・
ジャズ作品のみならず、多くのロック、R&B、ポップス界のアーティストからも需要があった彼は、ザ・バンドの1972年のアルバム『Rock of Ages』、そしてタジ・マハールの1968年のセルフ・タイトルのアルバムに加え、1971年にフィルモア・イーストでのライヴ録音で、彼が4人のチューバ奏者を率いた1972年の『The Real Thing』などの作品にも参加。さらに、1970年代にサタデイ・ナイト・ライヴ・バンドの指揮者を務めていたハワード・ジョンソンは、「King Tut」の寸劇でベース・サックスを演奏するなど、いくつかのミュージカル劇にも出演していた。
Written By Tim Peacock
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