ウィスパーズの共同創設メンバー、ゴーディ・ハーモンが79歳で逝去。その功績を辿る
米カリフォルニア州ロサンゼルス出身のソウル・グループ、ウィスパーズ(The Whispers)の共同創設メンバーとして知られるゴーディ・ハーモン(Gordy Harmon)が79歳で逝去した。グループの公式インスタグラムからは次のような声明が発表されている。
「ウィスパーズの創設者の一人で、元メンバーの訃報を知り悲しみに暮れています。彼のご家族に心からお悔やみ申し上げます。彼の名声と貢献は決して忘れられることはないでしょう。愛をこめて」
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その生涯
1963年、ゴーディ・ハーモンは、ロサンゼルス南部のワッツで、マーカス・ハトソン、ニコラス・コールドウェル、ウォレス&ウォルターのスコット兄弟と共にウィスパーズを結成した。1964年に彼らは地元のレーベル、ドレ・レコードで初めてレコーディングを行い、1969年にソウル・クロックから発表したドゥーワップの影響が窺えるストリングス入りの「The Time Will Come」で全米R&Bチャート17位を記録。1970年のバラード曲「Seems Like I Gotta Do Wrong」ではグループ初のR&BチャートTOP10入りを果たした。
その後ヤヌスへ移籍したウィスパーズは、1971年にR&BチャートTOP20入りした「Your Love Is So Doggone Good」など、いくつかのシングルをチャートに送り込んだが、1973年に運転中の事故で喉頭を損傷したゴーディ・ハーモンは、グループからの脱退を余儀なくされ、彼の後任として、元フレンズ・オブ・ディスティンクションのメンバーであるリービル・ディグリーが加入した。
その後移籍したソウル・トレインでは「One For The Money」やブレッドの「Make It With You」のカヴァーでTOP10ヒットを記録し、ディック・グリフィーが立ち上げたソーラー・レーベルの看板グループとなった彼らは、70年代から80年代にかけて最も成功したソウルとポップのクロスオーバー・グループのひとつとして知られるようになる。
1980年の「And The Beat Goes On」は世界的な大ヒットとなり、1987年の「Rock Steady」は全米R&Bチャートで1位、全米シングル・チャートで7位を記録。80年代後半から90年代前半にかけても、キャピトルからさらなるヒットを生んだ。ニコラス・コールドウェルは2016年に、マーカス・ハトソンは2000年に亡くなっているが、スコット兄弟は現在も活動を続けている。ウィスパーズは2014年にR&Bの殿堂入りを果たした。
Written By Paul Sexton
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