ニューポート・ジャズ・フェスティバルの創始者、ジョージ・T・ウェインが95歳で逝去
“ニューポート・ジャズ・フェスティバル”と“ニューポート・フォーク・フェスティバル”の共同創始者であり、プロモーター、ピアニスト、美術品収集家、慈善家として活動していたジョージ・T・ウェインが、2021年9月13日に安らかに息を引き取った。享年95歳。
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ジョージ・ウェインが“グラミー名誉評議員賞(Grammy Honorary Trustee Award)”を受賞した2015年のグラミー賞授賞式で司会を務めたラッパーで俳優のLL・クール・Jは、次のように追悼を捧げている。
「ジョージ・ウェインは、ニューポート・ジャズ・フェスティバル、ニューポート・フォーク・フェスティバル、ニューオーリンズ・ジャズ&ヘリテッジ・フェスティバルによって、音楽フェスティバルのあり方を定義しました。偉大な人物です。誰よりもジョージは、現代の素晴らしいフェスティバルの基礎を築いてくれました。彼のおかげでコーチェラやボナルーのような、今日のフェスティバルがあるのです」
パフォーマーよりもプロデューサーとして知られるジョージ・ウェインは、彼の会場で演奏した何世代ものミュージシャンをスターにし、そのキャリアを復活させた。かつて彼に向かって、「私なしにフェスティバルは開催できない」と言ったマイルス・デイヴィスは、1955年に「’Round Midnight」の歴史的名演でカムバックを果たした。
またその翌年、デューク・エリントンが彼の最大のヒット曲として知られる「Diminuendo」と「Crescendo in Blue」を録音した時、「私はニューポートで生まれた」と語っている。ジョージ・ウェインこそが、ジャズやフォーク、そしてそれらの様々なバリエーションを、可能な限り多くの観客に向けて、最もアクセスしやすいパフォーマンス空間で提供するというかたちを実現させた現代の音楽フェスティバルの先駆者なのだ。
自身の90歳の誕生日を目前に、ジョージ・ウェインは、2つの音楽イベントを運営する非営利団体“ニューポート・フェスティバル・ファンデーション”の持続可能性について計画を立て始めた。まず、フォーク・フェスティバルに新風を吹き込んだプロデューサー、ジェイ・スウィートを幹部会と共に組織を統括するエグゼクティブ・プロデューサーとして起用。そして、2017年には、ベーシストのクリスチャン・マクブライドをニューポート・ジャズ・フェスティバルの芸術監督に任命した。
ジェイ・スウィートは、ジョージ・ウェインの功績について次のように語っている。
「ジョージは、現代の音楽フェスティバルのアイデアを考案し、数多くのミュージック・アイコンのキャリアを築いただけでなく、音楽鑑賞への投資こそが、彼を最大のアイコンにしているのだと思います。ジョージには、物事を実現させる紛れもない才能があります。その結果、彼はおそらく他の誰よりもジャズの維持に貢献しているのです」
Written By Sam Armstrong
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