ブームタウン・ラッツの創設メンバー、ギャリー・ロバーツが72歳で逝去。その功績を辿る
アイルランドのニュー・ウェイヴ・バンド、ブームタウン・ラッツ(The Boomtown Rats)のギタリストで創設メンバーのギャリー・ロバーツ(Garry Roberts)が2022年11月9日に72歳で逝去した。現時点では死因は明かされていない。バンドは公式フェイスブックで次の声明を発表している。
「1975年のある晴れた春の夜、アイルランドのダブリン・ダンレアリーのパブで、ギャリーは後に偉大なロックンロール・バンドとなるブームタウン・ラッツの創設メンバーとなり、バンドを牽引した彼のサウンド、つまり酷使されたアンプから轟く巨大なノイズの嵐は、グループの残りのメンバーだけでなく世界中の聴衆に感銘を与えました」
「ファンにとって彼はレジェンドでした。紛れもない事実です。私たちにとっては彼はギャザーであり、ブームタウン・ラッツという存在そのものを要約したような人物でした。ギャリーとは子どもの頃からの仲なので、今夜彼がいないことに不思議な寂しさを感じています。安全に旅立ってくれ、ギャズ。すべてに感謝するよ」
<関連記事>
・375万枚売り上げたバンド・エイドの「Do They Know It’s Christmas」
・2022年に亡くなったミュージシャン、音楽業界の関係者たち
ブームタウン・ラッツの結成
バンド・エイドの提唱者としても知られるボブ・ゲルドフがフロントマンを務めたブームタウン・ラッツは、1975年にダブリンで結成。ギャリー・ロバーツは、グループの創設メンバーの一人として、彼らがもともと名乗っていた“ナイトライフ・サグズ”というバンド名から、名前を変えないとバンドを脱退するとメンバーを脅し、“ブームタウン・ラッツ”という現在のバンド名に落ち着くのに貢献したと言われている。
ブームタウン・ラッツとは、ボブ・ゲルドフが当時読んでいた、アメリカのプロテスト歌手、ウディ・ガスリーの自伝『Bound for Glory』に記されていたフレーズから付けられたものだった。
ブームタウン・ラッツはバンドの公式ツイッターでも、「記憶に残る友人であり、その忘れ難きサウンドで、彼の死は惜しまれることでしょう」と彼を追悼している。
音楽メディア“Hot Press”の編集者であるニール・ストークスは、ギャリー・ロバーツにこう哀悼の意を捧げている。
「ギャリー・ロバーツは正真正銘のロックンローラーです。ブームタウン・ラッツの素晴らしいサウンドを支えていたのがギャリーのギターでした。彼は、素晴らしいミュージシャンであり、ロック・ミュージックの精神を体現しています。とりわけ、アイルランドの音楽シーンを一変させるほどの大成功を収めたバンド・メンバーであることを誇りに思っていました」
「1977年からのブームタウン・ラッツの驚くほど早期での目覚ましい成功は、アイルランド出身のミュージシャンたちに大きな夢を与え、U2をはじめ、後に続くすべてのバンドやアーティストたちを彼らの成功へと導いたと言っても過言ではありません。1978年に、バンドのシングル“Rat Trap”が、ジョン・トラボルタとオリビア・ニュートン=ジョンの‘Summer Nights’から全英チャート1位の座を奪ったことで頂点へと達した彼らの成功には、ギャリーと彼のギタリストとしての才能が不可欠でした。アイルランド音楽にとって、そしてブームタウン・ラッツを愛し、彼らがこの国のために文化的、音楽的に成し遂げたことを理解し、感謝している全ての人々にとって、とても悲しい日です」
Written By Tim Peacock
- クインシー・ジョーンズが語るUSAフォー・アフリカの「We Are The World」
- 375万枚売り上げたバンド・エイドの「Do They Know It’s Christmas」
- クイーンによるライヴ・エイドでの21分間の伝説的パフォーマンス
- 史上最大のチャリティー・コンサート10選
- ライヴ・エイド – 特別だった日を思い返して
- ガガがキュレーションし豪華アーティストたちが出演するコンサート生配信
- 全英のオールスターが集結し375万枚売り上げたバンド・エイド
- ジョージ・ハリスン『CONCERT FOR BANGLADESH』解説
- オリビア・ニュートン=ジョンが73歳で逝去。その功績を辿る
- 故オリビア・ニュートン・ジョン、日本独自企画の2枚組ベスト盤が発売
- オリビア・ニュートン=ジョン『Physical』の40周年記念盤が発売