メイズの創設者、フランキー・ビヴァリーが77歳で逝去。その功績を辿る

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Frankie Beverly - Photo: Brian Stukes/Getty Images

伝説t的ソウル・シンガーで、メイズ(Maze)の創設者として知られるフランキー・ビヴァリー(Frankie Beverly)が2024年9月10日に77歳で逝去した。彼の遺族は、公式インスタグラムで次のような声明を発表している。

ビヴァリーこと、本名ハワード・スタンリー・ビヴァリーは9月10日に亡くなりました。愛する人を失う悲しみは、非常にパーソナルでエモーショナルな経験です。私たちが悲しみ、回想と思い出に浸るこの時期におきましては、プライバシーとご理解を賜り、私たちなりに喪に服すことができるよう、ご配慮いただければ幸いです。この期間は私たちにとって癒しの時間であり、フランキー・ビヴァリーとして世に知られる最愛のハワード・スタンリー・ビヴァリーの思い出を称えるため、私たちが必要とする孤独を尊重してくださるようお願いいたします。

彼は言わば、純粋な魂で人生を生きました。そして私たちにとって、彼以上に素晴らしい人はいませんでした。彼は音楽、家族、友人のために生きていました。お互いに愛し合ってください、それが彼が私たちに望んでいたことです。

ハワード・スタンリー・ビヴァリー、またの名をフランキー・ビヴァリー
12/6/46 – 9/10/24

ビヴァリー・ファミリー一同

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その生涯

1946年12月6日にフィラデルフィアで生まれたフランキー・ビヴァリーは、ザ・ブレンダーズというグループで音楽キャリアをスタートし、次に加入したザ・バトラーズはアメリカ北東部で成功を収め、この成功が彼を西海岸に移住させるきっかけとなった。

フランキーの大きな転機は1970年代初頭、移住先のベイエリアで結成したグループ、メイズでブレイクを果たしたことだった。彼らはマーヴィン・ゲイ(彼はグループのファンだった)のツアーのオープニングアクトとして招かれ、マーヴィンは当時“ロウ・ソウル(Raw Soul)”として活動していた彼らに、グループ名を“メイズ(Maze)”に変更することを提案したという。

1977年、メイズは「Happy Feelin’s」や「While I’m Alone」、「Lady of Magic」などの大ヒット曲を収録したデビュー・アルバム『Maze Featuring Frankie Beverly』をリリースした。

メイズの代表的な作品には、他にも「Joy and Pain」「Before I Let Go」「Golden Time of Day」「The Look In Your Eyes」「Look at California」、そして『Live in New Orleans』という画期的なアルバムがある。音楽ライターのフレダラ・マレヴァ・ハドレーは、このアルバムの特集記事の中で、次のように記している。

「“Before I Let Go”はとりわけ、結婚式、バーベキュー、一家団欒、歴史ある黒人大学のホームカミング、その他多くの喜びに満ちた場面で演奏され、非公式の “黒人国歌”と呼ばれるようになった」

今年初め、フランキー・ビヴァリーは、メイズのフェアウェル・ツアー “I Wanna Thank You”でファンに別れを告げた。全米5都市を巡った同ツアーは、3月22日にアトランタを皮切りに開幕し、アラバマ、シカゴ、ヒューストンを経て、5月12日にロサンゼルスで幕を閉じた。当時の米ビルボードの取材に、彼は次のように語っていた。

「長年応援してくれたファンや仲間たちに伝えたいのは、私は最後にもう一度ツアーに出て、引退するということです。トニー・リンゼイにリード・ヴォーカリストのバトンタッチをするにあたり、50年以上もの間、私を支えてくれたことに心から感謝します。バンドは“Maze Honoring Frankie Beverly”(フランキー・ビヴァリーを讃えるメイズ)として活動を続けていきます。何十年もの素晴らしい道のりでした。私のレガシーとなる音楽がこれからも続いていくことを願っています」

Written By Sam Armstrong



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