イーグルスの創設メンバー、ランディ・マイズナーが逝去。その功績を辿る

Published on

Randy Meisner - Photo: Richard E. Aaron/Redferns

1971年にグレン・フライ、ドン・ヘンリー、バーニー・レドンとともにイーグルスのオリジナル・メンバーの一人であったランディ・マイズナー(Randy Meisner)が2023年7月26日に77歳で逝去した。バンドの公式声明はこの訃報を次のように発表している。

「イーグルスの創設メンバーであり、ベーシスト、そしてヴォーカリストだったランディ・マイズナーが、慢性閉塞性肺疾患の合併症のため、昨夜ロサンゼルスにて77歳で亡くなったことをご報告いたします」

先駆的なカントリー・ロック・グループ、ポコ(Poco)のオリジナル・ベーシストとして、ランディは1960年代後半にロサンゼルスで始まった音楽革命の最前線にいた。その後、1971年にランディはグレン、ドン、バーニーとともにイーグルスを結成し、バンドのアルバム『Eagles』『Desperado』『On The Border』『One of These Nights』『Hotel California』という5作品に参加した。1998年、イーグルスとともにロックの殿堂入りを果たしている。

ランディはイーグルスに不可欠な存在であり、バンドの初期の成功に貢献。彼の代表的なバラード曲「Take It to the Limit」で明らかなように、彼のヴォーカルの音域は驚くべきものだった。ポコの前は、リッキー・ネルソンのストーン・キャニオン・バンドのベーシスト兼ヴォーカリストとしても活動している。

<関連記事>
2023年に亡くなったミュージシャン、音楽業界の関係者たち
イーグルス以前にジョー・ウォルシュが結成したバンド
優雅なイーグル、グレン・フライを偲んで

その生涯

1946年3月8日、ネブラスカ州スコッツブラフ生まれたランディ・マイズナーは10代前半でロックンロールに傾倒し、スコッツブラフ高校在学中にソウル・ミュージック、特にモータウンの “ファンク・ブラザー “ジェイムス・ジャマーソンに触発されてベースを始めた。

初めてレコードに参加したのは地元のバンド、ドライヴィン・ダイナミクスで、ランディが歌ったサム・クックの「You Send Me」を含むEPが地元でリリースされた。

1960年代後半にはポコのファースト・アルバム『Pickin’ Up The Pieces』に参加したが、1969年のリリース前に脱退し、すぐにリッキー・ネルソンのグループに加入した。

ランディは彼らのツアー・ドキュメンタリー『Easy to Be Free』に出演し、リッキー・ネルソンと『In Concert at the Troubadour』を共同プロデュース。1972年にリリースされたリッキー・ネルソンのアルバム『Garden Party』では「I Wanna Be With You」を共作している。

その頃までに、ジョン・スチュワートやジェイムス・テイラー(1970年の『Sweet Baby James』収録の「Country Road」と「Blossom」でベースを担当)、リンダ・ロンシュタット、グレン・フライ、ドン・ヘンリーなど数多くのアーティストとのセッションを経て、デヴィッド・ゲフィンによるアサイラム・レーベルと契約したイーグルスに参加することになる。

 

イーグルスでの活躍

グリン・ジョンズがロンドンでプロデュースしたイーグルスのデビュー作『Eagles』で、マイズナーは自作の「Take The Devil」と「Tryin’」でリード・ヴォーカルをとっている。

1973年に発売されたバンドのセカンド・アルバム『Desperado(ならす者)』では、ランディ・マイズナーはドン・ヘンリーとグレン・フライと共作した「Certain Kind Of Fool」でリード・ヴォーカルをとり、1974年の3rdアルバム『On The Border』でも2曲でリード・ヴォーカルをとっている。

イーグルスで彼の最も有名なパフォーマンスは、前述の「Take It To The Limit」だ。この曲は、1975年に発売されてバンド初の全米1位となったアルバム『One Of These Nights(呪われた夜)』に収録され、全米シングルチャートでも全米4位のヒットとなった。

ランディ・マイズナーのイーグルスでの最後のアルバムは、数百万枚のセールスを記録した1976年の名盤『Hotel California』だ。彼は自身が作曲した「Try And Love Again」を歌い、「New Kid In Town」にも印象的なギターを加えている。

 

イーグルス脱退後

ランディは1977年にイーグルスを脱退、1994年にバンドが再結成した後は参加していないが、1998年のロックの殿堂入りには出席している。2013年の『History of the Eagles』ワールド・ツアーへの招待は、健康上の問題から辞退した。

ランディ・マイズナーは3枚のソロ・アルバムをリリースし、そのうち1978年の同名アルバムはビルボードのカントリー・チャートでトップ10入りを果たした。2枚目の1980年の『One More Song』には、キム・カーンズとのデュエットで全米22位のポップ・ヒット「Deep Inside My Heart」とソロで19位となったヒット曲「Hearts On Fire」が収録されている。

Written By Paul Sexton



 

Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了