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フォー・トップス最後の創設メンバー、デューク・ファキールが88歳で逝去。その功績を辿る
モータウンの偉大なグループ、フォー・トップス(Four Tops)の創設メンバーの最後の一人だったデューク・ファキール(Duke Fakir)が2024年7月22日、88歳で逝去した。
モータウンの初期の十数年にわたる黄金時代を代表する存在であり、1990年にロックの殿堂入りを果たしたフォー・トップスは、ABC/ダンヒルやカサブランカ・レコードから優れた録音を発表後、1983年にモータウンに戻り、その後アリスタへと移籍。
彼らは、「グループが個々のメンバーよりも大きな存在である」という過小評価されがちな主義を貫き、そのキャリアを通して数百万枚のレコードを売り上げたにもかかわらず、一度も個人名義で録音することはなく、ローレンス・ペイトンが亡くなるまでの43年間不変のメンバーで歌い続けた。
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その生涯
デューク・ファキールこと本名アブドゥル・カリーム・ファキールは、1935年12月26日、エチオピアとバングラデシュ系の両親のもとデトロイトに生まれた。市内のパーシング高校でバスケットボールとフットボール、陸上競技に打ち込み、スポーツの才能を発揮していった彼は、それぞれのスポーツ活動を通じてリーヴァイ・スタッブスと出会い、ラッキー・ミリンダー・バンドで活躍する彼を見て、2人は初期のグループを結成。
高校在学中にレナルド・“オビー”・ベンソンとローレンス・ペイトンがメンバーとして加わり、“フォー・エイムズ”と呼ばれる前身グループが誕生した。リーヴァイ・スタッブスは、当時からリードボーカルを務め、グループの歴史を通じてその地位を保持した。
その後、彼らのヴォーカル・コーチでもあったロケル・“ビリー”・デイヴィス(ペイトンのいとこ)が改名を提案し、デューク・ファキールは“フォー・トップス”という滑らかなヴォーカル・マシーンに不可欠な一員となった。彼らは、チェス(1956年の「Could It Be You」から始まり)、レッドトップ、コロンビア、リバーサイド・レコードで売れない下積み時代を過ごしながら、ドゥーワップとジャズの要素を融合させたライヴ活動に磨きをかけていった。
モータウンとの契約
ベリー・ゴーディが“The Tonight Show”で彼らのパフォーマンスを見たことがきっかけとなり、彼らは1963年にモータウンと契約したが、1964年7月にモータウンから最初のシングル「Baby I Need Your Loving」をリリースするまでは、他の人気急上昇中のアーティストの陰に隠れていた。
その年の暮れ、妻と別居していたデューク・ファキールはシュープリームスのメアリー・ウィルソンと恋仲になった。彼女は自伝『Dreamgirl: My Life as a Supreme』の中で、ふたりは“モータウンの恋人”として知られるようになったと回想し、次のように綴っている。
「本当に幸せな時間でした。デュークと私には共通点があって、2人とも人を楽しませたり、サインをしたり、家を飾ったり、家具を集めたり、人と一緒に過ごすことが好きでした。ミラクルズ、テンプテーションズ、フォー・トップスといったアーティストたちが隣のコリー(・アトキンス)の家でリハーサルをした後、立ち寄ることもよくありました」
メアリー・ウィルソンとデューク・ファキールの関係は、彼が結婚生活に戻った2年ほど後に友好的に終わった。
デューク・ファキールはフォー・トップスのヴォーカル・サウンドの基盤となり、主にバッキング・ヴォーカルを担当する傍ら、彼らの巧みなステージ・ルーティンに動きを加えた。彼は、「I Can’t Help Myself (Sugar Pie Honey Bunch)」「Reach Out I’ll Be There」「Standing in the Shadows of Love」、「Bernadette」といった、主にホーランド=ドジャー=ホーランドの黄金のペンから生まれた、忘れがたいグループのヒット曲に参加している。
彼はUK Music Reviewsのインタビューの中で、こう当時を振り返っている。
「モータウンは本当に音楽の大学のようでした。私たちはヒット曲を作る方法だけでなく、商売やショーマンシップも同時に学んでいました。本当に楽しかったです。レコーディングをしていない時でも、ヒッツヴィルに遊びに行くことが多かったです。実際、レコーディングしていないことはほとんどありませんでしたが」
モータウン後のグループ
1972年に初めてモータウンを離れたフォー・トップスは、ABCダンヒルでライター&プロデューサー・チームのデニス・ランバートとブライアン・ポッターと共作し、新たな成功を収めていった。注目すべきR&Bとクロスオーバー・ポップのヒット曲には、「Keeper of the Castle 」や 「Ain’t No Woman (Like the One I’ve Got) 」などがある。
グループの歴史を通して、デューク・ファキールがヴォーカルや楽曲クレジットでスポットライトを浴びる機会はほとんどなかったが、カサブランカ・レコード在籍時には、1981年の 「When She Was My Girl 」で再びR&Bチャートで首位を獲得し、1988年にはフィル・コリンズと共に映画『フィル・コリンズ in バスター』のサウンドトラックに参加し、彼らが歌う 「Loco In Acapulco」がヒットを記録した。
近年の活動
2021年6月、デューク・ファキールとブロードウェイ・プロデューサーのポール・ランバートがフォー・トップスを題材にしたミュージカルの企画を進めていた頃、現代版フォー・トップスが環境保護啓発キャンペーンの一環として、世界環境デーに合わせてメッセージ・ソング「Freedom」を発表。デューク・ファキールは「時には声を上げなければならないこともあります」とコメントしていた。
2022年には、デューク・ファキールの自伝『I’ll Be There – My Life with the Four Tops』がオムニバス・プレスから出版された。その中で彼は、薬物やアルコールの依存問題、冠動脈バイパス手術を乗り越え、地元の教会で牧師となったことについて公然と説明している。彼はUK Music Reviewsのインタビューでこう語っていた。
「家で一人でいるとき、昔の録音をよく聴きます。シングルだけでなく、アルバム全曲を聴くこともあります。40年前や50年前の曲が、今でも同じように良い音に聞こえると感じます。私にとって、それらの曲は今でも新鮮で、素晴らしい感覚とサウンドを持っています。こんなに素晴らしい曲をレコーディングできたことをとても誇りに思っていますし、私たちの音楽がこれほど長く続いていることに、まったく驚いています」
Written By Paul Sexton
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