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英国のレゲエバンド、アスワドのアンガス・”ドラムミー・ゼブ”・ゲイが逝去。その功績を辿る
英国のレゲエバンド、アスワド(Aswad)のリードボーカルとドラマーを務めたシンガー、アンガス・”ドラムミー・ゼブ”・ゲイ(Angus “Drummie Zeb” Gaye)が2022年9月2日に62歳で亡くなったことが公表された。バンドは以下のような声明を発表している。
「我々の兄弟であるアンガス・”ドラムミー・ゼブ”・ゲイの逝去を発表しなければならないことは、深い喪失感に襲われています。ドラムミーは祖先の元へ行くために私たちの元を去りました、公私ともに大きな空白が残ります」
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アスワドはUKで初めて国際的なレーベルと契約を交わしたレゲエバンドとなった。1970年代にアイランド・レコードと契約した彼らは、20年間で15枚のアルバムを制作し、瞬く間に英国レゲエ界を代表する多作なバンドへと成長した。
アスワドは1975年に結成。伝えられるところによると、彼らは1976年にデモテープを持ってアイランド・レコードのオフィスを訪れ、即座にレコーディング契約を獲得したという。
このUKのグループはジャマイカのレゲエ・スターたちの間でもその素性の良さを称えられた。アンガスの自慢は、彼らがジャマイカのテレビでバニー・ウェイラーと、「Funky Reggae Party」でボブ・マーリーと、「Johnny B Goode.」でピーター・トッシュと、という3人のオリジナル・ウェイラーズと仕事をした唯一のUKグループであることだった。
レゲエのルーツに忠実でありながら、レゲエ音楽へのユニークなアプローチのおかげで、バンドには多くの熱狂的なファンがいた。中でも『Live and Direct』(1983年)は、多くのファンにとってアスワドの真のサウンドを捉えた作品である。
チャートでの成功は、アルバム『Rebel Souls』(1984年)に収録されたトゥーツ・アンド・ザ・メイタルズの「54-46 (Was My Number)」のカバーが最初だったが、世界的な大ヒットとなった全英1位の「Don’t Turn Around」が、多くの人にとってレゲエ・ミュージックの入門編となった1曲だろう。夏の太陽が顔を出すと、必ずラジオから流れてくるレコードのひとつである。
1988年のアルバム『Distant Thunder』に収録されたこの「Don’t Turn Around」は、アルバート・ハモンドとダイアン・ウォーレンが書いたもの。もともとはパワーバラードとして企画され、ティナ・ターナーがB面として、またR&Bシンガーのルーサー・イングラムが録音したものである。
アスワドがこの曲をレゲエ・アレンジでレコーディングする前にどのバージョンを聴いたかは定かではないが、彼らはこの曲を永遠に自分たちのものにしたのだから問題ないだろう。
Written By Sam Armstrong
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