ドクター・ロニー・スミスが79歳で逝去。米ソウル・ジャズ界の先駆的オルガン奏者の功績を辿る

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photo: Isaiah Trickey/FilmMagic

2021年9月28日、アメリカのソウル・ジャズ界のオルガン奏者として多大な功績を残したドクター・ロニー・スミス(Dr. Lonnie Smith)が、肺疾患の肺線維症のため、フロリダ州フォート・ローダデールの自宅で逝去したことを、所属レコード会社のブルーノート・レコードが発表した。79歳だった。

ブルーノートの社長であるドン・ウォズは、ア・トライブ・コールド・クエストやウータン・クランに楽曲をサンプリングされたドクター・ロニー・スミスに、こう追悼の意を捧げている。

「ドクは、ディープでファンキーなグルーヴと、ひねりの利いた遊び心のあるスピリットを持ち合わせた天才的なミュージシャンでした。ドローバーオルガンを巧みに弾きこなす彼の才能は、彼の心の温かさに匹敵するものでした。彼は美しい人で、私たちブルーノート・レコードの誰もが彼を愛していました」

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ニューヨーク州西部のラッカワーナに生まれたドクター・ロニー・スミスは、1960年代にサックス奏者のルー・ドナルドソンやオルガン奏者のジミー・スミスと共に、ブルースやゴスペルを取り入れたジュークボックス向きなソウル・ジャズの先駆者としてその名を馳せた。独特のソウルフルなアプローチを持つ彼のサウンドの特徴は、ファンキーでダンサブルなグルーヴの上に降り注ぐテンポのいいオルガン演奏だ。

ドクター・ロニー・スミスが、オルガンを始めたのは遅く、最初に習得した楽器はトランペットで、学校で耳コピで覚えたという。その後、10代の頃にはティーン・キングスというドゥーワップ・グループの一員としてボーカル・ハーモニーを担当し、歌にも挑戦した。そして20代前半に、アート・クベラという人物が経営する楽器店で出会ったハモンドオルガンが、彼の人生を変えたのだった。

彼は、2018年の音楽メディア“Soul&Jazz&Funk”のインタビューで、初めてオルガンを演奏した時に悟りを得たことを明かしていた。

「聖書を開くと、空から光が降り注ぐ絵が描かれていることがあるでしょう?私の場合も、それと同じでした。オルガンの前に座った時、何もかもが頭に降りてきて、声や全てが聞こえてきたんです」

その後、彼は毎日のようにその店に通い、オルガンを弾いていた。やがて若い彼に同情し、またその熱心さに感銘を受けた店主は、オルガンを家に持ち帰る許可を彼に与えた。

それから数年のうちに、ハモンドオルガンの名手となったドクター・ロニー・スミスは、60年代半ばになるとサミー・ブライアント・オーケストラの一員として、舌でオルガンを弾くことで広く知られるようになった。彼が大ブレイクを果たしたのは、1967年にギタリストのジョージ・ベンソンのバンドに参加した時のことで、当時の彼が所属していたコロンビア・レコードは、彼にデビュー・アルバム『Finger Lickin’ Good』の制作を許可したが、実際に彼がアメリカの音楽ファンに知られるようになったのは1969年以降のことだった。

当時共演していたアルトサックス奏者のルー・ドナルドソンからスカウトされ、彼が所属していたジャズの代表的レーベル、ブルーノートと契約を結んだドクター・ロニー・スミスは、自身のキャリアにおいて最も大きな成功を収めた1970年のライヴ作品『Move Your Hand』など、米ビルボードのR&Bアルバム・チャートに3作のアルバムをランクインさせ、レーベルの信頼に応えた。

1971年にプロデューサーのクリード・テイラーが運営するKuduレーベルから発表した唯一のアルバム『Mama Wailer』では、より大きなアンサンブルで演奏し、グルーヴ・マーチャントで録音した一連の冒険的なアルバム(1975年の『Afro–desia』他)では、ディスコ色を帯びたジャズ・ファンクを幅広く展開していった。

80年代にはアルバムのリリースが途絶えていたが、90年代にカムバックを果たし、ジョン・コルトレーンやジミ・ヘンドリックスへのトリビュート作品で高い評価を獲得した。2000年代初頭にはパルメット・レーベルに在籍し、その後、自身のレーベル、ピルグリメッジから2作のアルバムをリリースしたドクター・ロニー・スミスは、2016年にブルーノートに復帰し、アルバム『Evolution』を発表。彼は、2018年のインタビューの中で、自身のキャリアで最初の成功を収めた同レーベルに戻って来た喜びをこう語っていた。

「離れていた気がしないんです。 家族のようなものです。たとえ彼らと一緒に新しいレコードを作らなかったとしても、ブルーノートのアーティストであることはずっと刻印されているので、ホームに戻ってきたような気持ちです」

70年代半ばから頭にターバンを巻いていたことから、“ターバネイター”の愛称で親しまれていたドクター・ロニー・スミスは、2016年から2021年にかけて、ブルーノートから3作のアルバムをリリース。彼の最後の作品となった2021年の『Breathe』では、ファンキーなアレンジを施したしたドノヴァンの「Sunshine Superman」を含む2曲にイギー・ポップがゲスト参加したことでも注目を集めた。

2017年には、アメリカのジャズ・ミュージシャンにとって最高の栄誉であるNEA(全米芸術基金)のジャズマスター賞を受賞したドクター・ロニー・スミスだが、名誉や名声、お金のために音楽をやっていたわけではないという。人々にどのような人物として記憶されたいかという質問に対し、彼はこう答えていた。

「自分が初めて来た頃よりも、この世界をより良い場所にした人物として。音楽は人々を幸せにするためのものです。人々を感動させ、世界の人々をより近づけることができる普遍的な言語なのです」

Written By Charles Waring




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