ドン・ウォズがディラン、ストーンズ、グレッグ・オールマンらとの仕事を振り返る

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Don Was - Photo: Lester Cohen/Getty Images for Trisha Yearwood

ブルーノート・レコードの社長で、人気プロデューサーでもあるドン・ウォズ(Don Was)が、ボブ・ディラン、ザ・ローリング・ストーンズ、グレッグ・オールマンといった巨匠たちとの仕事での経験を、Apple Music Countryの“Southern Accents Radio”の最新エピソードで語っている。プロデューサーであるデイヴ・コブと共に、ドン・ウォズの波乱万丈のキャリアを多面的に紹介する同番組はオンデマンドでお聴きいただける

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同エピソードの中で、彼は、ボブ・ディランと一緒に仕事をするという野望を叶えた時、もう一人の彼のヒーローから大事な教訓を得たことを明かしている。

「私はずっとボブ・ディランをプロデュースしたいと思っていました。1989年に遂にその願いが叶って、スタジオで彼のプロデュースを手掛けていた時、ジョージ・ハリスンが曲の中でギターソロを演奏するためにスタジオ入りしたんですが、ボブが彼にちょっかい出し始めたんです。ボブはエンジニアのエド・チャーニーを席から外させ、その椅子に座り、リモコンを操作していました。それを見たジョージ・ハリスンから、“彼に2度とあんなことをさせないでくれ、俺はワンテイクで録って、それで終わらせる。やり直しはない”と言われたので、私は、“わかりました。もちろん、それで問題ありません”と答えました。それを聞いたボブももちろんそれに同意しました。でもその時のジョージはまだチューニングもできていないし、曲を聴いてもいない。曲のキーすら知らなかった。ボブはソロパートを早送りしてからすぐに“よしやろう”とばかりに、そのまま録音に入ってしまったんです。そこでジョージはようやくキーを把握しました。あの時の状況からすれば、それは立派な努力でしたが、それは決して私たちがジョージ・ハリスンに望んでいたソロ演奏ではありませんでした。ソロを録り終えたボブは、マシンを止めて“オーケー、素晴らしかった。ありがとうな”と言いました。ジョージ・ハリスンは私の方を向いて、“助けてくれ、ドン。どう思う?”と訊いてきました。ボブも“ああ、君はどう思う?”と私の方を見ました。部屋全体がエコーで溶けていくような、時間がゆっくり流れているような感じがしました。バングラデシュ・コンサートを見に行くために、車を売ってチケットを手に入れようとした時のことがフラッシュバックしたんです。ジョージとボブが、私の3フィート先にいて、“どう思う?”と問いかけているんです。私はこんなにも厳しい状況に追い込まれている。ありがたいことに、その時頭の中に声が響いてきて、“彼は君にファンでいるためにお金を払っているわけじゃない”と言われたんです。私は“わかった。ここで本当のことを言わなければならない”と思いました。そうして、“よかったです。でも、チューニングしてから、もう1度やってみましょう。すごくいいものが録れるかもしれない」と言いました。それを聞いたジョージは“ありがとう”といった風でした。おそらくその時ボブのテストに合格したんだと思います。でも、あれは極めて重要な瞬間でした。僕はファンでいるためでなく、仕事をするためにお金をもらっているんだと気づいたんです」

また、ドン・ウォズは1994年の『Voodoo Lounge』まで遡り、長年プロデューサーを務めるザ・ローリング・ストーンズとの仕事についても語った。2016年には、マーク・ノップラーが所有するロンドンのブリティッシュ・グローブ・スタジオでグリマー・ツインズ(ミック・ジャガーとキース・リチャーズ)と共に、バンドの原点回帰作となった全英No.1アルバム『Blue & Lonesome』をプロデュースした。「あれは絶対に彼らが作るべきレコードでしたし、私はあのレコードが大好きです。でも、あれは偶然の賜物でした」と彼は明かしている。

「ニューアルバムの制作中に、バンドの雰囲気が少し険悪になってきたんです。そこで場を和ませるたために、キースが、どの曲を選んだかは思い出せませんが、1曲選んで、それをワンテイクで録ったんです。それが、“おお、今のはすごくよかった”となって、その後はもう誰も他の曲で争う気にはならなかった。それで、“そうだ、もう1曲やってみよう”ということになったんです。その日の終わりには、6曲の素晴らしいブルース・トラックが出来上がりました。全てファースト・テイクです。私たちは“とりあえず。明日もやろう”という話はしましたが、誰もブルースのレコードを作ろうとは言いませんでした。それはピッチャーがノーヒットノーランを達成したのに、それを話題にしないのに少し似ています。“すごい、これは傑作になるかもしれない”と誰もが思っていました。でも、誰もそれを口にはしないんです。それから2、3日かけて同じように録りました。別の部屋にいたエリック・クラプトンがスタジオに入ってきて、キースが彼にギターを渡しました。それで彼は数曲で演奏したんです。彼は僕と同じ表情を浮かべていました。彼は彼らより少し年下で、彼らがリッチモンドのパブ・バンドだった頃にバンドのライヴを観に行ったことがありました」

ドン・ウォズは、2017年に亡くなったグレッグ・オールマンと同年制作した彼の遺作アルバム『Southern Blood』での、当時闘病中だった彼との思い出についても振り返っている。

「彼は自分が長くはないことを知っていましたし、私も彼が長くはないだろうということを知っていました。でも、彼と私はそのことについて一度も話しませんでした。彼はそれについて話したくなかったでしょうし、認めたくもなかったと思いますが、選曲を見ればわかります。私は彼に何曲も何曲も提出しました。でも、最終的にレコーディングすることになった曲は、彼が本当に自分がやり残したことをやり遂げようしているんだということを物語っていました。最後にカットした曲はジャクソン・ブラウンの“Song for Adam”でした。彼とジャクソンは古い友人です。まだどちらかが有名になる以前の60年代に、2人はどこかのアパートで一緒に寝泊まりしていました。そして、彼らは良い友人であり続けました。最後のヴァースまで行ったところで、彼は歌が終わる前に歌うのをやめてしまったようでした。グレッグは途中で息が詰まってしまって、最後の歌詞を歌い出せなかったんです。彼はそのパートをそのまま空白にしました。でも、その直後から彼の健康状態は悪化していきました。彼はこのアルバムを作るために生きながらえていたような気がします。ですから、このアルバムのヴォーカルはすべてマッスル・ショールズで録ったライヴ・ヴォーカルです。彼は文字通り、最後の曲のレコーディングの途中で歌うのをやめてしまったんです」

Written By Paul Sexton




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