デビュー作から5作連続全米1位を獲得した人気ラッパー、DMXが50歳で逝去。その功績を辿る
1998年のデビュー作から5作連続全米アルバム・チャート1位という偉業を達成したラッパーのDMXが、現地時間2021年4月9日に逝去した。享年50の若さだった。彼は4月2日の夜、不特定多数の薬物を過剰摂取した後、心臓発作を起こして入院してその治療を受けていたところだった。
DMXのマネージメントは、今朝ヒップホップメディアのXXLにコメントを発表している。
「我々が愛する存在であるDMX(出生名:アール・シモンズ)は、数日前から生命維持装置につながれていましたが、本日、家族に見守られながらホワイト・プレーンズ病院で50歳の生涯を閉じました」
「アールは最後の最後まで戦い続けた戦士でした。彼は家族を心から愛し、私たちが彼と過ごした時間は大切なものでした。アールの音楽は世界中の数多くのファンに影響を与え、彼が残した遺産は永遠に生き続けるでしょう。私たちは、この非常に困難な時期に、多くの愛と支援をいただいたことに感謝しています。我々はブラザーであり、父であり、叔父であり、そして世界がDMXとして知っていた人物を失った悲しみの中にいるので、プライバシーを尊重していただくことを望みます。追悼式については、詳細が決まり次第、お知らせします」
また、DMXが長年所属していたレーベルであるDef Jamも、彼への追悼コメントを発表した。
「Def Jam RecordingsとDef Jamのアーティスト、経営陣と従業員は、兄弟であるアール”DMX”シモンズが亡くなったことに深い悲しみを覚えています。DMXは素晴らしいアーティストであり、世界中の何百万もの人々にインスピレーションを与えました。闘いに勝利するという彼のメッセージ、暗闇の中で光を探し求める彼の探求心、真実と優しさを追求する彼の姿勢は、私たちの人間性を向上させてくれました。彼の家族、そして彼を愛し、彼に触れられたすべての人々に謹んで哀悼の意を表します。DMXは巨大なる存在に他なりませんでした。彼の伝説は永遠に生き続けることでしょう」
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その影響力
1990年代に大活躍した重要なラッパーであり、悲劇的な死を迎えるまで文化的な大きな影響力を誇っていたDMXは、音楽・エンタメ業界がこれまでに経験したことのないほどの才能とエネルギーを持っていた。彼は、世界に向けて吠えて続けていた存在だった。
彼の特徴的なうなり声は、ドクター・ドレーによるGファンクのシンセサイザー、ノトーリアス・B.I.G.の王冠、2パックのバンダナと並んで、90年代ヒップホップを象徴するもののひとつであり、Def Jamが抱えていたラインナップの中で光輝く宝石だった。メソッド・マン、レッドマン、LLクールJ、ビースティ・ボーイズ、パブリック・エナミー、フォクシー・ブラウン、ジェイ・Zらとともに、レーベルの中心的存在となったのがDMXだったのだ。彼のカリスマ性と無限ともいえるエネルギーは、巧みなライムとアリーナでも通用するサビに匹敵するものだ。
ストリートからメインストリームに這い上がって成功したDMXは90年代のラップ界のスーパースターの理想的な姿だった。ここ数十年間の様々なトラブルはよく知られているが、彼はいつも一瞬で立ち直ることができた。DMXは2012年の『Undisputed』以降、アルバムをリリースしていなかったが(編註: 2015年の『Redemption Of The Beast』は本人に無許可での発売のためここには含めず)、亡くなるまでラップシーンの話題の中心だった。彼の個性がそれだけ大きく、彼のヒットアルバムはそれだけ重要だったのだ。幸いなことに、彼は多くの楽曲やアルバムを残してくれた。そんな彼は、人間の苦悩を誰よりもよく体現し、毎日を新たな恵みとして生き抜こうとしていた。
過酷な少年時代
DMXは、ニューヨーク州南東部のマウントバーノンで生まれ、同州南部のヨンカーズで育った。子供時代には、母親やそのボーイフレンドから酷い虐待を受けたり、気管支喘息で何度も入院したり、母からエホバの証人の厳しい教育を受けたりと、過酷な生活を送っていた。飲酒運転の車にはねられたこともあったが、母は自身の信仰に反するという理由で訴訟を起こさなかったことなど、彼の子ども時代は母親の狂信的ともいえる宗教観に支配されていた。しかし、成長するにしたがいそれに反発することになる。
幼少時代は虐待に悩まされていたDMXだったが、小学校5年生のときに学校を退学になり、ジュリア・ダイクマン・アンドラス児童養護施設に預けられてそこで18ヵ月間を過ごすことになる。そこから帰ってくるも、その後、家出をしてしまうなどがあり再び施設に送られたが、既に高校生の年齢になっていたこの時点で彼の運勢は変わり始めた。
この施設で、DMXは同じ境遇の同居人たちとフリースタイル・ラップを始め、他のティーンエイジャーたちとヒップホップで絆を深めていったのだ。ヨンカーズに戻ったDMXは、地元のスターだったビートボクサーのReady Ronと意気投合。彼はドラムマシン「Oberheim DMX」にちなんで、DMXと名乗ることになった。
彼は10代の大半を施設や刑務所を出たり入ったりしていたが、彼が18歳となった1988年から彼は真剣にラップを始めることを決意し、毎日その技術を磨いていくことになる。出所後、大物ラッパーたちが使っていたビートに自分のラップをのせたミックステープの制作と販売を始め、街中でコピーを売り始めた。彼が地元の伝説となるのに時間はかからず、The Source誌のUnsigned Hype(未契約の注目アーティスト)欄でDMXが取り上げられるほどの人気となった。その人気の高まりを受けて1993年にはメジャー・レーベルのコロンビア・レコードと契約を果たし、デビュー・シングル「Born Loser」をリリースするも全くヒットせず、すぐに契約解除となってしまった。
全米1位連発
デビュー曲は商業的には成功しなかったものの、DMXはすでにニューヨークでは知られた存在となっており、LLクールJ、マイク・ジェロニモ、メイス、ザ・ロックスといったアーティストの楽曲にフィーチャリング・アーティストとしてゲスト参加するほどとなり、ニューヨークのポスト・ゴールデンエイジに欠かせない、新世代のスーパースターの一員となっていた。
DMXはDef Jamと契約し、1998年と1999年にはラップの歴史を塗り替える3枚の名作アルバムを発表してその勢いを増していった。世界中のDMXファンは、彼のアルバムの中で一番好きなものはそれぞれ違う答えを持っているだろうが、ほとんどの人は『It’s Dark and Hell Is Hot』『Flesh of My Flesh, Blood of My Blood』『.. And Then There Was X』という最初の3枚を挙げるだろう。
そしてこの3作品に続き、2001年の『The Great Depression』、2003年の『Grand Champ』も全て全米アルバム・チャート1位を獲得して、デビューから5作連続1位という偉業を成し遂げた。
1990年代後半から2000年代前半にかけて、DMXがどれほど大きな存在であったかは、今の若いリスターには、正しく理解することができないかもしれないが、彼の人気と活躍ぶりは、大物スーパースターたちに匹敵するものだった。シングル・チャートで成功することはなかったが「Ruff Ryder’s Anthem」「What’s My Name?」「Party Up (Up In Here)」「X Gon’ Give It To Ya」といった楽曲は今ではラップの名曲として知られている、これはシングルではなくアルバムが重要視される時代にあって、DMXが真のアーティストであったことの証明ともいえるだろう。
1998年から2003年までは多くの作品を発表し、2006年には6枚目のアルバム『Year of the Dog… Again』を発売したものの、法的なトラブルやクラック・コカインの問題により、以前のような高みに到達することはできなかった。DMXは何度も刑務所に収監され、最近でも2017年から2019年にかけて脱税のために服役している。
2019年1月25日に釈放されると、世界中のラップファンが、不遇のスターの再出発だと祝福した。ファンはDMXの新曲を期待していたわけではない。彼らはDMXが幸せで健康になるとを願っていたのだ。しかし彼はあまりにも早く亡くなってしまった。彼の死における多くの悲劇のひとつは、DMXがラップゲームをどれほど大きく変えたのかを彼自身が十分に理解する前に逝ってしまったことだともいえるだろう。
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遺作となった最新アルバム
2021年5月28日発売
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- DMX アーティストページ
- DMX遺作アルバム『Exodus』全曲解説
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