オールマン・ブラザーズ・バンドの創設メンバー、ディッキー・ベッツが80歳で逝去。その功績を辿る
オールマン・ブラザーズ・バンド(The Allman Brothers Band)のオリジナルメンバーで、シンガー、ソングライター、ギタリストのディッキー・ベッツ(Dickey Betts)が2024年4月18日にフロリダ州オスプリーの自宅で逝去した。80歳だった。このニュースを報じた米ローリング・ストーン誌によると、ディッキー・ベッツのマネージャーであるデヴィッド・スペロは、彼の死因が癌と慢性閉塞性肺疾患だったことを伝えている。
4月18日、ディッキー・ベッツの家族はインスタグラムで次のような声明を発表した。
「ベッツ家は、非常に深い悲しみをもって、フォレスト・リチャード・“ディッキー”・ベッツ(1943年12月12日 – 2024年4月18日)が80歳で安らかに亡くなったことをお知らせします。伝説的なパフォーマー、ソングライター、バンドリーダーであり、一家の家長でもあったディッキー・ベッツは、本日未明にフロリダ州オスプリーの自宅で、家族に見守られながら息を引き取りました。ディッキーは偉大な存在であり、その喪失感は世界中で感じられることでしょう」
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その功績
オールマン・ブラザーズ・バンドは、1969年のジャム・セッションで、デュアンとグレッグのオールマン兄弟が、当時セカンドカミングというバンドのメンバーだったベーシストのベリー・オークリーとギタリストのディッキー・ベッツと手を組んだことから生まれた。
1971年10月、デュアン・オールマンがオートバイ事故で亡くなった後、バンドの2代目リード・ギタリストとなったディッキー・ベッツは、ソングライター、インストゥルメンタル奏者、さらにはリード・ヴォーカリストとしての責任を担うようになり、この時代のサザン・ロックを定義するパワフルなサウンドを切り開いていった。
彼は、全米チャート2位を記録した「Ramblin’ Man」を含む、自身のヴォーカルをフィーチャーしたバンド最大のヒット曲のいくつかや、娘の名前にちなんだ「Jessica」や「In Memory Of Elizabeth Reed」といったインストゥルメンタルの名曲の作曲も手掛けている。1995年、ディッキー・ベッツはオールマン・ブラザーズ・バンドのオリジナルメンバーとしてロックの殿堂入りを果たした。
1974年に初のソロ・アルバム『Highway Call』をリリースしたディッキー・ベッツは、1976年のグループ解散後、ディッキー・ベッツ&グレート・サザンとしてソロ活動に専念。オールマン・ブラザーズ・バンドは時代の移り変わりとともに再結成と解散を繰り返すが、彼は2000年に正式にグループを脱退している。
彼の影響は音楽のみにとどまらず、そのルックスは映画史にも影響を与えた。キャメロン・クロウ監督による2000年の名作『あの頃ペニー・レインと』には、ディッキー・ベッツをモデルにしたビリー・クラダップ演じる70年代のロックスターが登場する。2017年のローリング・ストーン誌のインタビューの中で、キャメロン・クロウは次のように語っている。
「ビリー・クラダップのルックス、それ以外の要素も、ディッキーへのオマージュなんだ。ディッキーは一見静かな男のようで、その瞳の奥には深い感情や洞察力、危うさ、遊び心のある無鉄砲さを秘めていた。彼は偉大な存在だった」
Written By Hannah Zwick
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