ムーディー・ブルースやウイングス創設メンバー、デニー・レインが79歳で逝去。その功績を辿る

Published on

Denny Laine - Photo: Al Pereira/Michael Ochs Archives/Getty Images

英国出身のミュージシャンで、ムーディー・ブルース(The Moody Blues)とウイングス(Wings)の共同創設メンバーとして知られるデニー・レイン(Denny Laine)が2023年12月5日、79歳で逝去した。彼は、2022年に新型コロナ・ウイルスに感染し、間質性肺疾患を患っていた。

<関連記事>
グレアム・エッジが語るムーディー・ブルースの50年間
ウィングスの最高傑作『Band On The Run』

 

その生涯

1944年10月29日生まれのデニー・レインは、幼い頃にギターを始めた。彼が主に影響を受けたのはジャンゴ・ラインハルトとステファン・グラッペリだったが、フランキー・レイン、ジョー・スタッフォード、ジャッキー・ウィルソンなどのアーティストを彼の姉妹から紹介されたことを好んで話していた。

中学・高校時代には、バディ・ホリー、エルヴィス・プレスリー、リトル・リチャード、ジェリー・リー・ルイスといったアーティストに触発され、ピアノを弾くことからバンドをはじめたいと思うようになり、1964年、シンガーのマイク・ピンダーらと共に地元バーミンガムで結成したロック・バンド、ムーディー・ブルースの共同創設メンバーとなった。

彼がヴォーカルを務める「Go Now」のカヴァーは、全英シングル・チャート1位、全米で10位を記録するバンド初のヒットとなったが、1965年のデビュー・アルバム『The Magnificent Moodies』リリース後に、デニー・レインはバンドを脱退。

 

ウイングスへの参加

ムーディー・ブルース脱退後、デニー・レインはエレクトリック・ストリング・バンドを結成し、いくつかのシングルをリリースしたが、1971年に60年代初頭から親交のあったポール・マッカートニーが、妻リンダと計画していた新バンドに彼を誘い、以降10年間、マッカートニー夫妻と共にウイングスの中心メンバーとして活躍。彼らは共に、ウィングスを象徴する1973年のアルバム『Band on the Run』を作り上げた。

デニー・レインは単にウイングスの雇われメンバーだったわけではなく、ポール・マッカートニーにとって重要なコラボレーターであり、ザ・ビートルズのメンバーからソロ・スターへと進化を遂げる過程で、ロック界屈指のソングライターであったポールが頼りにするほど才能豊かなミュージシャンだった。彼がポールと共作したシングル「Mull Of Kintyre」は、イギリスでザ・ビートルズのどの曲よりも売れた。

「Mull Of Kintyre」はヴァージン諸島とアビイ・ロードの両方で行われたウイングスのセッション中に誕生したが、リンダ・マッカートニーが夫妻の長男ジェイムズを妊娠したためレコーディングは一時中断。バンドにとって活動困難な時期だったこの年、ギタリストのジミー・マカロックとドラマーのジョー・イングリッシュが脱退したことが事態をさらに複雑にしたが、幸い彼らはすでにリリース予定だったシングルの両面曲のレコーディングを終えていた。結果的にこの曲は、バンド史上UKで最も成功したシングルとなり、1978年のベスト・アルバム『Wings Greatest』や『London Town』に収録された。

 

生前のインタビュー

ポール・マッカートニーとの関係性について、デニー・レインは今年初頭に行われたGuitarWorld誌のインタビューの中で、互いに惹かれあうものがあったことを明かしていた。

「僕と彼は、音楽的に似た感覚を持っていたんだ。だから僕たちはうまく溶け込むことができた。お互いの考えてることを分かり合えたのは同じ音楽の影響を受けて育ったからだと思う。ポールはリズム感がいいし、大袈裟な演奏もしないのが好きだった」

同じ特集記事の中で、彼はウイングスというロック界で最も有名なバンドのひとつのメンバーだったことをこう振り返っている。

「僕は名声のことはあまり考えないごく普通のミュージシャンなんだ。ファンに会うまでは、どれだけ有名になったとか、どれだけ多くの人に影響を与えたとか、そういうことは考えない。でも、僕にとっては音楽がすべてなんだ」

さらに、MassLiveのインタビューで、彼はポール・マッカートニーとの最初の出会い、つまり10年後に一緒に仕事をするきっかけとなった最初の交流についてもこう説明していた。

「サヴィル・シアターでジミ・ヘンドリックスのオープニング・アクトとして出演した僕がエレクトリック・ストリング・バンドとステージ上で何か違うことをやろうとしているのを見た彼が気に入ってくれて、僕たちは友達になったんだ。それで彼が何か新しい、これまでと違うこと(バンド)をやりたくなった時に僕に電話をくれたんだ」

デニー・レインは、今年発売50周年を迎える『Band on the Run』のプロモーションにも積極的に参加していた。ビルボード誌の特集の中で、彼は同アルバム制作の喜びと、チャンスをものにすることの重要性についてこう語っていた。

「前進するためには、新しいことに挑戦しなければならない。それはギャンブルみたいなものだね。賭けをするのは、よりワクワクするし、そそられるものだよ。毎日、朝9時に始まって5時に終わる普通の仕事とは違って、“何か新しいことをやってみよう”というのが醍醐味なんだ」

 

妻による追悼の言葉

彼の妻エリザベス・ハインズは、彼のSNS上で次のような声明を発表している。

「私の最愛の夫は、今朝早くに静かに息を引き取りました。私は枕元で彼の手を握りながら、彼の大好きなクリスマス・ソングを聴かせてあげました。ここ数週間、彼はクリスマス・ソングを歌い続け、ICUに入り人工呼吸器をつけていた最後の1週間も、私はクリスマス・ソングをかけ続けました。彼は日々闘っていました。とても強く勇敢で、決して不平不満を口にしませんでした。彼の唯一の望みは、私とペットの子猫チャーリーと一緒に自宅でジプシー・ギターを弾きながら過ごすことでした。デニーは、この数ヶ月の健康危機の間、たくさんの愛とサポート、そしてたくさんの優しい言葉を送ってくれた皆さんにとても感謝していましたし、涙するほど喜んでいました。私たち2人に愛とサポートを送ってくれた皆さんに感謝致します」

Written By Will Schube



Share this story

Don't Miss

{"vars":{"account":"UA-90870517-1"},"triggers":{"trackPageview":{"on":"visible","request":"pageview"}}}
モバイルバージョンを終了