時代を超えた名曲の数々を生み出したバート・バカラック、94歳で逝去。その功績を辿る
ポップス史上最も重要な作詞・作曲・編曲家の一人であるバート・バカラック(Burt Bacharach)が、94歳で亡くなった。代理人がワシントン・ポスト紙にロサンゼルスの自宅で自然死した伝えた。
親交のあったソングライターのスティーヴン・ビショップはSNSに次のように追悼文を寄せている。
「今、バート・バカラックが亡くなったという訃報を聞きました。何も考えることができません。僕らの世代で最も偉大なソングライターの一人が亡くなったんです。バート・バカラックはメロディーの王様だといつも思っています。彼の曲は時代を超越している。あなたと知り合えて、一緒に曲を書けて、とても光栄でした」
ザ・キンクスのデイヴ・デイヴィスはこうコメントを寄せている。
「とても悲しい日です。おそらく、彼は現代で最も影響力のあるソングライターの一人です。彼は偉大なインスピレーションを与えてくれました」
ロサンゼルス・タイムズ紙は、バカラックについて「彼の世代の最も偉大なソングライターと評価されている」と記している。
グラミー賞を6回受賞したバカラックの音楽人生は90年に及び、その間に不朽のメロディーをいくつも生み出した。彼は様々な作曲・作詞家と作曲したが、最も有名なパートナーシップは、作詞家ハル・デヴィッドとのものだろう。彼らは、ディオンヌ・ワーウィック、アレサ・フランクリン、ウォーカー・ブラザーズ、ハーブ・アルパート、カーペンターズ、ダスティ・スプリングフィールド、サンディ・ショウ、シラ・ブラックといった歌手のキャリアを豊かにした多くの驚くべきポップ・スタンダードを創作してきたのだ。
バカラックとハル・デヴィッドが生み出し、今でも繰り返しカバーされる名曲には、「Walk On By」「(There’s) Always Something There To Remind Me」「I Say A Little Prayer」「Twenty Four Hours From Tulsa」「You’ll Never Get To Heaven」「Train and Boats and Planes」「Alfie」「Anyone Who Had A Heart」「What’s New, Pussycat?」「The Look of Love」など、挙げればきりがない。
バカラックは1995年、メロディーメーカーのインタビューで次のように語っている。
「私はアップテンポの曲を書いたことがない。私はバラードやメロディーが好きなんです。それと私はポジティブになることはほとんどありません。たぶんそれは、“She loves you”とか“I’m so happy”という言葉は、そんなに良い歌にならないからですね」
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その生涯
バート・フリーマン・バカラックは、1928年5月12日に米カンザスシティで生まれ、ニューヨークで育った。父はジャーナリストであったが、バート・バカラックの興味と才能は、文字ではなく、常に音楽にあった。彼が最初に興味を持ったのはジャズ。1940年代後半には、さまざまなグループで演奏するようになり、いくつかの学校で音楽理論と作曲を学んだあと、1950年から2年間はアメリカ陸軍に入隊した。
軍を除隊した後、まだ20代半ばだったバカラックは、人気ヴォーカリストのヴィック・ダモーンのピアニスト兼指揮者となり、エイムス・ブラザーズ、スティーブ・ローレンス、ポリー・バーゲンとも仕事をするようになった。
1956年、世界的に有名な俳優で歌手のマレーネ・ディートリッヒのナイトクラブのショーの音楽監督として雇われ、作曲家としての才能を開花させ、マック・デヴィッドと共同で作曲した「The Blob」が全米トップ40に入りを果たした。この曲は、音楽家バーニー・ニーがファイブ・ブロブズという名前で歌ったもので、若き日のスティーブ・マックイーンが主演したB級映画『マックイーンの絶対の危機』のために作られたものだった。
2曲続けての全英No.1
1957年、バカラックは、ニューヨークの有名な作曲の拠点であったブリル・ビルディングで、マック・デヴィッドの弟、ハル・デヴィッドに出会う。そしてこの二人は、ポップミュージック史の中で最も偉大な創造的パートナーシップの一つを形成することになる。
二人が書いた最初のヒット曲は、マーティ・ロビンスの「The Story of My Life」だ。この曲はアメリカのカントリー・チャートで1位を獲得し、マイケル・ホリデイによって歌ったヴァージョンはUKポップ・チャートで首位を獲得した。また、ペリー・コモが録音した「Magic Moments」はUKでは8週間も1位となり、アメリカではトップ5まで上昇した。ちなみに当時、特定の作曲家による楽曲が英国で連続してNo.1シングルを獲得した史上初のケースであった。
1960年代初頭、バカラックはボブ・ヒリアードとも作曲し、ディック・ヴァン・ダイクのために作った「Three Wheels on My Wagon」で初めて共同作詞、編曲、プロデューサーの両方でクレジットされた。ソウル・スターのチャック・ジャクソンが最初に録音し、後にエルヴィス・プレスリーが歌って大ヒットとなった「Any Day Now」も、彼らが作曲したものである。バカラックとハル・デヴィッドによる「I Just Don’t Know What To Do With Myself」は、後にダスティ・スプリングフィールドが広く普及させたが、その最初のヴァージョンはチャック・ジャクソンがカットしている。
1962年にはバカラックとハル・デヴィッドは独占的なパートナーシップを結び、フランキー・ヴォーンによるUKで首位となったヴァージョンとジーン・マクダニエルズによるアメリカ録音版の「Tower of Strength」で再びヒット曲を生み出した。コネチカット州出身の歌手ジーン・ピットニーは、この頃、バカラックとハル・デヴィッドが作曲した「The Man Who Shot Liberty Valance」と「Twenty Four Hours From Tulsa」をヒットさせている。
1962年には、バカラックが初めてレコーディング・セッションを指揮した年でもある。R&B界の著名人ジェリー・バトラーが、この作曲デュオの「Make It Easy On Yourself」のオリジナルをカットする名誉を彼に与え、この曲は1965年にウォーカー・ブラザーズが歌ったものが全英1位を記録した。
また、バカラックがバック・シンガーの時に注目していたディオンヌ・ワーウィックのキャリアにも火がつき、彼女はデュオの作品を好んで歌うようになる。1962年の「Don’t Make Me Over」を皮切りに、ディオンヌ・ワーウィックとバカラックとハル・デヴィッドによる3人のドリームチームはその後も長く続き、「Anyone Who Had A Heart」「Walk On By」「Message To Michael」「Do You Know The Way To San José?」など、数多くのヒット曲を生み出した。
黄金期
1964年に、バカラックはレコード・ミラー誌に「1日に2倍の時間があったとしても、私にはまだ足りないと思う」と語り、その数ヵ月後、彼は同誌にこう語っている。
「お金は私にとって何の意味もない。お金は使うためのものですが、もう十分な持っているから、心配する必要もありません。私は音楽を作るのが好きだから、この仕事をしているんです」
彼はまた、1965年以降、自分の名義でも散発的にレコーディングを行い、『Hit Maker! Burt Bacharach Plays His Hits』はUKで大成功を収めた。また、ロサンゼルスのグリーク・シアターなどの有名な場所でライブを行い、知名度が低かった創作パートナーと共に彼の曲を基にしたテレビの特番を放送し、彼の地位をさらに向上させた。
バカラックとハル・デヴィッドは、『何かいいことないか子猫チャン』『アルフィー』『カジノロワイヤル』『明日に向って撃て!』などの映画のサウンドトラックや主題歌の制作にも携わった。『明日に向かって撃て』の挿入歌で、B.J.トーマスが歌った「Raindrops Keep Falling On My Head(雨にぬれても)」はアメリカのポップ・チャートで1位に輝いた。
バカラックは自身の完璧主義について、2015年にEvent誌にこう語っている。
「私はほとんど強迫観念的なまでに完璧主義者なんだ。私と仕事をしたことのある人なら、誰でもそれを認めてくれるだろう。シラ・ブラックはアビー・ロードで“Alfie”を録音した。私はオーケストレーションを担当し、ジョージ・マーティンがプロデュースしていた。私はシラがもう一回、もう一回と歌い直すよう言い続けました。何か魔法が起きると思ったんです。何十回もテイクを重ねた後、ジョージが私に向かって、“バート、テイク4でよかったと思うよ”と言ったんです。彼は正しかったですね」
バカラックとハル・デヴィッドは、ブロードウェイのプロデューサー、デイヴィッド・メリックと共同で、1968年に映画『アパートの鍵貸します』を原作とするミュージカル『プロミセス、プロミセス』にも取り組んでいる。このミュージカルには、ディオンヌ・ワーウィックにとってもうひとつの全米ヒット曲となり、ボビー・ジェントリーのヴァージョンは全英チャート1位となった「I’ll Never Fall In Love Again」を提供。
1970年には、リチャード・チェンバレンが最初に録音し、その後ワーウィックも録音した「(They Long to Be) Close to You」が、A&M所属の若きデュオ、カーペンターズによって大ヒットすることになる。
キャリアの谷からの浮上
そんな中、バカラックとハル・デヴィッドは不仲となり、その後15年間もお互いに口をきかないまでとなった。また、ワーウィックとの関係にも終止符が打たれ、彼女は二人に対して法的措置をとるまでになってしまった。また、バカラックはアンジー・ディキンソンとの結婚生活にも終止符を打ち、彼の新しい曲はどれも、それまでは当たり前だったチャートでの成功をおさめることもできなくなってしまった。
バカラックが作曲家キャロル・ベイヤー・セイガーと結婚する前年の1981年、ピーター・アレンとクリストファー・クロス、そしてキャロルと共に、大ヒット映画『ミスター・アーサー』のために「Arthur’s Theme (Best That You Can Do)」を作曲。クリストファー・クロスが録音したこの曲は、全米シングルチャートのトップを飾り、アカデミー賞の最優秀オリジナル曲賞を受賞した。
バカラックとキャロル・ベイヤー・セイガーは、その後もスピルバーグ監督作『E.T.』に登場するニール・ダイアモンドの「Heartlight」、ロバータ・フラックの『Making Love』のタイトル曲、パティ・ラベルとマイケル・マクドナルドの「On My Own」などでヒット曲を手掛けている。
1985年には、ロッド・スチュワートが最初に録音した「That’s What Friends Are For」を、バカラックとの友情を取り戻したワーウィックが、エルトン・ジョン、グラディス・ナイト、スティービー・ワンダーと歌い、このヴァージョンは大ヒットとなった。エイズ研究のための資金集めを目的としたこの曲は、グラミー賞の「Song of the Year」と「Best Pop Performance by a Duo or Group with Vocals」の2部門を受賞した。
バカラックとハル・デヴィッドは、1990年代前半にワーウィックのために新曲を書くために再集結し、バカラックがライブ作品にヴォーカルとして参加することもあった(ハル・デヴィッドは2012年に91歳で亡くなっている)。
90年代のバカラック
90年代には、バカラックは出版事業も拡大し、新たなコラボレーションにも参加した。中でも、1998年にエルヴィス・コステロと組んだ『Painted From Memory』は、バカラックのファンであることを公言するコステロが、バカラックの良さを最大限に引き出し、高く評価された作品となっている。
コステロとのアルバム『Painted From Memory』は、1996年にアリソン・アンダースが監督した音楽ドラマ『グレース・オブ・マイ・ハート』のために書き下ろした「God Give Me Strength」から生まれたものだ。このアルバムから「I Still Have That Other Girl」は1998年のグラミー賞でBest Pop Collaboration with Vocalsを受賞している。当時、ローリング・ストーン誌のグレッグ・コットはバカラックについてこう書いている。
「バート・バカラックは再び流行している。彼の華麗な60年代ポップ・ソングライティングのブランドは、酒を煽るヒップスターたちの間で新しい聴衆を見つけたのだ」
衰えなかった創造性と活動
バカラックは、21世紀に入ってもその創造性と生産性は落ちることはなく、2003年のアルバム『Here I Am: Isley Meets Bacharach』では、アイズレー・ブラザーズのヴォーカリスト、ロナルド・アイズレーと共演。バートとハルの代表作のいくつかを新たに解釈した音源がおさめられているこのアルバムについて、Entertainment Weekly誌のトム・シンクレアはこの作品についてこう評価している。
「バカラックが自らこのプロジェクトをディレクションし、おなじみのアレンジを予想外の楽しい方法で微調整している(完全に再発明された「Raindrops Keep Falling on My Head」には耳を傾けてほしい)」
コステロとルーファス・ウェインライトは、バカラックの2005年のアルバム『At This Time』のゲストとして参加。アデル、ベス・ローリー、ジェイミー・カラムらは、バカラックが2008年にBBCのエレクトリック・プロムスのヘッドライナーを務めたときのゲスト・ヴォーカリストとして登場している。2013年には自伝『Anyone Who Had a Heart: My Life and Music,』が出版。さらにその後、2015年のグラストンベリー・フェスティバルでは、87歳にしてステージでパフォーマンスを披露している。
常に活動的で探究心旺盛なバート・バカラックは、作曲家ジョセフ・バウアーとともに、2016年の映画『A Boy Called Po』のオリジナルスコアを作曲・編曲した。キャピトル・スタジオにて2日間で録音された30分のスコアは、バカラックの音楽とビリー・マンの歌詞でシェリル・クロウが歌った主題歌「Dancing With Your Shadow」をフィーチャーしている。
2018年、ルディ・ペレスとの共作でマイアミ交響楽団をフィーチャーした「Live To See Another Day」は、学校での銃乱射事件の生存者に捧げられ、収益は慈善団体「サンディフック・プロミス」に寄付された。また、2020年7月、アーティスト兼プロデューサーのダニエル・タシアンがバカラックと組んだ5曲入り作品『Blue Umbrella』が、ナッシュビルで一緒に制作してから1年後にリリースされた。
ダニエル・タシアン、バカラックによるソングライティングの独特なアプローチについてNashville Weekly誌にこう語っている。
「バカラックの音楽は、音楽の宇宙における基本的な要素の一つなんです。主に、半音のメジャーセブンとナインの使い方が、私の耳にはとても心地よく感じられました。バートに“ここの部分は不協和音が多すぎませんか?この部分をストレートにしたほうがいいのでは?洗練されすぎでは?”と聞くと、彼からは“そんなことはない”と一蹴されましたよ」
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