デイヴ・グロール、クリス・ノヴォセリック、スティーヴ・アルビニがニルヴァーナ『In Utero』を語る
ニルヴァーナ(Nirvana)の元メンバーとして知られるデイヴ・グロールとクリス・ノヴォセリック、そしてプロデューサーのスティーヴ・アルビニがコナン・オブライエンのポッドキャストに出演し、ニルヴァーナや当時の並外れた成功、そして今週10月27日に30周年を記念したリイシュー盤が発売されるアルバム『In Utero』について語った。
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デイヴ・グロールは、ニルヴァーナが爆発的な人気を得ていった1991年当時をこう振り返っている。
「バンドが人気になった1991年当時、俺たちはとても若かった。俺は21歳か22歳…まだ子供だった。過ぎ去った時間の長さについて話す時、それは年数そのものについてというよりも、バンでツアーをしていた3人のキッズが巨大なバンドになるまでの経験についてでさえある。“In Utero”はその移行期の不快なサウンドトラックになった。1992年か1993年頃には、そのほんの16ヶ月前とは全く違う世界に生きていたんだ」
クリス・ノヴォセリックは、1991年発表のアルバム『Nevermind』について、ゲフィン・レコードが当初わずか5万枚ほどのセールスを見込んで、CDを生産していたことを明かした他、当時についてこう振り返っている。
「あれは30年前のことだけど、“Nevermind”がリリースされてからカート(・コバーン)が亡くなるまでは10年くらいに感じる。それほど強烈だったんだ」
スティーヴ・アルビニはこう付け加えた。
「思春期を迎える準備には、子供時代のすべてが必要だった。思春期から青年期にかけては、雇用され、一人の人間として自立するための準備が必要だった。人生のメジャー・ステージには長い道のりがある。ニルヴァーナは、カウチサーファー(知り合いの家に泊まり歩く若者)から18ヶ月のうちに世界最大のバンドになったんだ」
そしてデイヴ・グロールは次のように続けた。
「 “Nevermind”を作る前、俺たちはかなり貧しい暮らしをしていた。僕はカートと一緒に小さなアパートに住んでいて、そこらじゅうにアメリカンドッグの串やタバコが落ちていた。酷いあり様だったよ。自分のアパートを持つためなら何でもしただろうし、音楽を作ることでそれを実現できるなら…(成功への)移行が早かったのは知っているけれど、翌日ポストに100万ドルが入っていたわけじゃない。日当が1日15ドルに上がって、俺たちはモーテルに泊まるようになった。そして1991年の9月から12月にかけて、すべてが爆発したんだ」
『In Utero』30周年記念盤は、今週10月27日に、8LPスーパー・デラックスBOXセット、5CDスーパー・デラックスBOXセット、1LP+10インチ・エディション、2CDデラックス・エディション、デジタル・スーパー・デラックス・エディションの各フォーマットで発売される。
Written By Will Schube
ニルヴァーナ『In Utero (30th Anniversary)』
2023年10月27日発売
5CD / 2CD / LP
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