元テンプテーションズのシンガー、ブルース・ウィリアムソンが新型コロナに感染して逝去
伝説のソウルグループ、テンプテーションズ(The Temptations)に2006年に加入したシンガー、ブルース・ウィリアムソン(Bruce Williamson)が49歳で逝去した。米ウェブサイトTMZが、2020年9月6日、新型コロナウイルスとの闘病の末、彼がラスベガスの自宅で亡くなったと報じている。
この訃報を受けて、彼の息子であるブルース・ウィリアムソン・ジュニアは、ソーシャルメディア上で次のように哀悼の意を表している。
「今の気持ちをどう表現したらいいのか、言葉が見つかりません。父さん、あなたを愛しています。最高の父でいてくれて、愛してくれてありがとう。あなたという存在に感謝しています。いつの日かまた会えるように、神に祈りを捧げます」
1970年9月28日、カリフォルニア州のコンプトンに生まれたブルース・ウィリアムソンは、2006年にテンプテーションズに加入し、アルバム『Back To Front』や『Still Here』でリード・ヴォーカルを務めた後、2015年に元タワー・オブ・パワーのヴォーカリスト、ラリー・ブラッグスと交代している。
彼はまた、2008年2月のテンプテーションズ在籍同時に、ジョージ・W・ブッシュ元大統領によって、ホワイトハウスで開催された黒人歴史月間(Black History Month)の祝賀会へ招かれ、グループの象徴的なヒット曲「My Girl」「The Way You Do The Things You Do」「Get Ready」を披露している。
2013年に行われたLas Vegas Black Imageマガジンのインタビューの中で、ブルース・ウィリアムソンは、教会で歌っていた経歴が、テンプテーションズのメンバーになるための基礎を作ったと語っていた。
「テンプテーションズに加入して7年になりますが、私は今でも畏敬の念を抱いています。ある大富豪のプライベートな誕生日パーティに呼ばれ、その人の自宅のテニスコートに特設した小さなステージで、初めてテンプテーションズとしてパフォーマンスした時のことを今でも覚えています。その家のすぐ隣にはスティーヴィー・ワンダーが住んでいました。ステージが狭かったために、当時の私はオーティス(・ウィリアムス)が望んでいたようにうまく歌うことができませんでした。だからステージを降りるときにオーティスに“観客を盛り上げないとね”と言われて、すかさず私はステージが狭くてそれが難しかったと言い返そうとしたんですが、すぐに彼の助言に耳を傾けるべきだと気づきました。次に一緒にステージで演奏した時には、十分なスペースがあって、観客を夢中にさせることができました。そしたらステージを降りるときにオーティスが“やったね!”って声を掛けてくれて、それ以降は順風満帆でした」
2015年にテンプテーションズを脱退したブルース・ウィリアムソンは、子供の頃から大好きだったソウル・ミュージックを歌うことに全力を注いだ。
彼は2016年にChapter & Verse Networkのインタビューに、「私はテンプテーションズになりたいという夢を失ったわけではありません。でも同時に私は、誰かのコピーになったり、先人たちを真似したかったのでなく、あくまでも自分自身でありたかったのです」とその胸の内を明かしていた。
近年、ブルース・ウィリアムソンはブラックベリー・ジャム(BlackBerry Jam)というバンドと組んで、ゴスペル・プロジェクトに取り組んでいた。
Written By Tim Peacock
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