“モータウンを支えた最重要スタッフ”と称された元社長のバーニー・エイルズが85歳で逝去。その半生を辿る
1959年の創設以降、世界的な名門レーベルとして確固たる地位を築き上げていったモータウン・レコードの立役者の一人で、後に同社の社長を務めたバーニー・エイルズ(Barney Ales)が2020年4月17日、カリフォルニア州マリブで老衰のため逝去した。“モータウンを支えた最重要スタッフ”と称された彼は85歳だった。
この訃報を受けて、彼の子供達は、「父さん、あなたの好きだった言葉 “生きて、笑って、愛して” を座右の銘にしていた多くの人々に救いを与えてくれてありがとう。 安らかにお眠りください」と哀悼を捧げている。
モータウンのソウル
バーニー・エイルズは、モータウンの台頭を支え、世界的な地位を維持していく上で欠かせない存在だった。バーニー・エイルズこと、本名バルダッサーレ・エイルズ(Baldassare Ales)は、シチリア出身の父・シルベストロ・エイルズとノース・ミシガン出身の母・エヴリン・ウィンフィールドの間の4人の子供の1人として、1934年5月13日にデトロイトで生まれた。モータウンが栄華を極めたこの街の中心部で育った彼は、あらゆる点においてモータウンのソウルだったと言える。
デトロイトの北西側にあったクーリー高校に通ったバーニー・エイルズは、そこで後に彼の妻となるアイリーン(ミッツィ)・コーリーと出会った。社会人になった当初は、クライスラーのダッジ工場で働いていたが、21歳の時にキャピトル・レコードのデトロイト支店に転職し、音楽業界でのキャリアをスタートさせる。以降、キャピトル・レコードで販売と宣伝の才覚をめきめきと発揮していったバーニー・エイルズは、1959年、25歳でワーナー・ブラザース・レコーズのデトロイト支店長に就任した。
その翌年、モータウン・レコードの拡大に乗り出していたベリー・ゴーディに出会った彼は、同社に国内営業部長 兼 販売促進部長として迎え入れられる。1961年から1972年にかけての10年間、世界規模で驚異的な成長と遂げていたモータウン・レコードにとって彼のユニークな営業センスは必要不可欠だった。
「バーニーは世界で最も偉大なセールスマンだと思っていましたし、彼が取りまとめていた営業部門は、国連のような素晴らしいチームでした」とベリー・ゴーディは当時の彼の仕事ぶりを振り返っている。「入社したばかりの頃、彼は“素晴らしいチームを作ります”と宣言していました。そして私は、白人、黒人、ユダヤ人、異邦人、警官から強盗まで、全人類に音楽を売りたいと思っていました」
1969年に、バーニー・エイルズはモータウンの代表取締役副社長 兼 統括マネージャーに就任し、翌1970年には、7枚の全米No.1アルバムをリリースするなど、モータウンはかつてないほどの成功を収めた新たな10年に突入する。モータウンがロサンゼルスに移転したのを機に退社したバーニー・エイルズは、デトロイトに残り、自身のレーベル、Prodigal Recordsを設立した。同レーベルからは、ゲイリー・U.S.・ボンズ、ロニー・マクネア、シュレルズのシャーリー・アルストンらの作品がリリースされている。
1975年、ロサンゼルスに移転したモータウンによって再び代表取締役副社長として招き入れられたバーニー・エイルズは、後に社長に就任し、彼のリーダーシップの下、8作の全米No.1シングルに加え、歴史的ヒットを記録したスティーヴィー・ワンダーのアルバム『Songs In The Key of Life』がリリースされた。この画期的な2枚組アルバムは全米チャートで14週連続、R&Bチャートでは20週連続で首位をキープした。
1979年、モータウンからの2度目の退職を決意したバーニー・エイルズは、その後エルトン・ジョンのロケット・レコードやペントハウス、パブロ・レコードなどのレーベルに在籍した。1990年代末には音楽業界から引退し、家族と過ごす時間を増やしつつ、スポーツ、車、クラシック映画などの趣味に没頭していた。
妻のアイリーン、スティーヴン、バーニー、シェリー、ブレット、クリスティーナという5人の子供、そして9人の孫と6人の曽孫を後に残したバーニー・エイルズの葬儀は予定されていないが、彼の遺族は、彼の地元デトロイトの音楽遺産を守り、アーティストの活動を支援する非営利団体“Detroit Sound Conservancy”への寄付を呼び掛けている。
Written By Paul Sexton
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