グラミー受賞ジャズ・シンガーで女優としても活躍したアニー・ロスが89歳で逝去。その半生を辿る

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Photo: David Redfern/Redferns/Getty Images

グラミー受賞歴を誇るジャズ・シンガーで、女優としても活躍したアニー・ロス(Annie Ross)が、2020年7月21日、NYマンハッタンの自宅で89歳で逝去した。元マネージャーのジム・コールマンがワシントン・ポスト紙に語ったところによると、彼女は肺気腫と心臓病の合併症を患っていたという。

アニー・ロスは、ヴォーカル・トリオ、ランバート、ヘンドリックス&ロス(Lambert, Hendricks & Ross)のメンバーとして、また、精神分析者よりも自分の方が賢いと信じて疑わない、ひとりの神経症患者ついて歌ったヒット曲「Twisted」によって世に広く知られるようになった。

彼女の甥で、シンガーのドメニック・アレンは、自身のフェイスブックでこう彼女を追悼している。

「彼女は、音楽においても、人生においても、計り知れないパワーを持った存在でした。私は何度もステージで彼女の隣に立ちましたが、本当にエネルギッシュでした。きっとこの先も宇宙のどこかでスイングしていることでしょう」

1930年7月25日、イングランド南東部に位置するサリー州で、スコットランド出身の寄せ芸人一家に生まれた彼女は、幼い頃に彼女の叔母にあたる歌手で女優のエラ・ローガンのもとに預けられ、1938年に『Our Gang』というコメディ短編作品で女優として映画デビューを果たし、1943年の『Presenting Lily Mars』では、ジュディ・ガーランドの妹役を演じた。

ランバート、ヘンドリックス&ロス時代に彼女が歌っていた楽曲は、そのほとんどがジョン・ヘンドリックスが手掛けたものだったが、「Twisted」は、アニー自らが作曲しソロ名義でレコーディングされた作品だった。同曲は、即興サックス奏者、ワーデル・グレイのブルース・ナンバーをベースにしており、ブラック・ユーモアを含んだ歌詞と、オリジナル録音の持つ躍動感をフィーチャーしている。

 

1958年、彼女は、ジョン・ヘンドリックス、デイヴ・ランバートと共に、ランバート、ヘンドリックス&ロスを結成し、同トリオは、ジャズのインストゥルメンタル楽曲に、歌詞を当てはめて歌う、「ヴォーカリーズ (vocalese) 」というジャンルで知られるようになった。ランバート、ヘンドリックス&ロスとしては、1962年にアニー・ロスが脱退する前に7作のアルバムをレコーディングし、その後彼女は、ロンドンに自身がオーナーとなるナイトクラブ “アニーズ・ルーム “を開業した。同クラブでは、ニーナ・シモン、ジョー・ウィリアムズ、エロール・ガーナーなど偉大なミュージシャンたちのライヴが開催された。

アニー・ロスは、プレステージ、サヴォイ、ブルーノート、デッカ、コロンビアといった名だたるレーベルから、『Fill My Heart with Song』(1968年)、『You and Me Baby』(1971年)、そしてスティーヴン・ソンドハイムとレナード・バーンスタインが手掛けた「I Feel Pretty」やコール・ポーターの「All of You」、デューク・エリントンの「It Don’t Mean’t a Thing (If It Ain’t Got That Swing) “などの名曲を収録した『Annie Ross Sings a Song with Mulligan! 』(1959年)他、数多くのソロ・アルバムをリリースしている。

 

彼女はそのキャリアを通じて、頻繁に拠点を移し、ニューヨーク、パリ、ロンドンに住んでいたこともあった。女優としては、70年代から90年代にかけて、『スーパーマンIII/電子の要塞』、『ウィッカーマン』、ロバート・アルトマン監督の『ショート・カッツ』などの映画作品に加え、『三文オペラ』、『七つの大罪』、『Side by Side by Sondheim』の舞台にも出演。

過去に何度かグラミー賞にノミネートされているアニー・ロスは、1962年に、ランバート、ヘンドリックス、ロスでのアルバム『High Flying』で“最優秀パフォーマンス賞ヴォーカル・グループ”を受賞した。

60年代を通じて薬物乱用に苦しんでいた彼女は、イギリス人俳優のショーン・リンチと結婚生活を送っていた1975年に破産を宣告。その後ショーン・リンチと離婚し、NYマンハッタンのメトロポリタン・ルームで、2017年に同店が閉業するまでキャバレー・ショウの大黒柱として成功を収めた。

アニー・ロスは、2010年に全米芸術基金(National Endowment for the Arts)からジャズ・マスター賞に選出され、その2年後には彼女の人生を題材にしたドキュメンタリー映画『No One But Me』が公開された。

彼女は、ドラマーのケニー・クラークとの息子であるケニー・クラーク・ジュニアを後に残している。。

Written By Sam Kesler




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