ザ・キュアーの元ドラマー、アンディ・アンダーソンが68歳で逝去
ザ・キュアーの元ドラマーで、セッション・ミュージシャンとしてイギー・ポップやホークウインドらとも共演したアンディ・アンダーソンが68歳で逝去した。
彼の死は、2019年2月26日に、ザ・キュアーの創始メンバーであるロル・トルハーストのツイッターから下記のように伝えられた。
「アンディ・アンダーソンは真の紳士であり、素晴らしいミュージシャンで、ひねりの利いた彼のユーモア・センスこそが、最後の旅路における美しい魂の証であり、彼は亡くなる日までそれを失うことはありませんでした。彼という人物に出会えたのは本当に光栄なことです」。
アンディ・アンダーソンは先週、自身のFacebookで末期ガンを患っていることを公表したばかりだった。
「私はステージ4のガンを患っていて、すでに全身に転移しているので、ここから復帰することは到底難しい。でも今はその事実を受け入れているから、全然平気なんだ」と彼は綴っていた。
アンディ・アンダーソンは、オリジナルのドラマーだったロル・トルハーストがキーボードへ転向したのを機に、1983年にザ・キュアーに加入し、同年にリリースされたバンド初の全英TOP10入りシングル「The Lovecats」や「Speak My Language」で初めて演奏に参加した。
彼がザ・キュアーに在籍したのは1983年から1984年にかけてのたった1年間ではあったが、バンドの5作目のアルバム『The Top』やライヴ・アルバム『Concert: The Cure Live』にドラムで貢献した。その後もフロントマンのロバート・スミスとは活動を続け、彼のサイド・プロジェクトで、スージー・アンド・ザ・バンシーズのスティーブン・セバーリンと結成したThe Gloveの唯一のアルバム『Blue Sunshine』でも演奏している。
また、ザ・キュアーでの在籍期間の前後において、彼はセッション・ミュージシャンとしても活躍し、70年代には“アンドロイド・アンダーソン”の名前で、ホークウインドのメンバーらと様々なサイド・プロジェクトで共演し、1983年には彼らのツアーにも参加した。ホークウインドの録音作品に参加することはなかったアンディ・アンダーソンにとってのレコーディング・デビューは、1978年にニック・ターナーがスフィンクス名義で発表したアルバム『Xitintoday』で、その後もスティーヴ・ヒレッジの『Green』『Live Herald』『Open』という3作のアルバムに参加している。
1951年1月30日に、ロンドンの近郊ウェストハムで生まれたアンディ・アンダーソンは、そのキャリアにおいて、イギー・ポップ、セックス・ピストルズのグレン・マトロック、ピーター・ガブリエル、アイザック・ヘイズ他、多くの大物ミュージシャンたちと共演を果たした。近年では、AAMuzikの名義でソロ・アーティストとしても活動していた。
Written by Laura Stavropoulos
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