AC/DCヤング兄弟の実兄でプロデューサー、イージービーツのギタリストのジョージ・ヤングが死去

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Photo: Jeff Hochberg/Getty Images

AC/DCのプロデューサーであり、イージービーツのギタリストのジョージ・ヤングが2017年10月23日に亡くなった。享年70歳。

ジョージ・ヤングはAC/DCのマルコムとアンガス・ヤングの兄であり、イージービーツのメンバーとして1960年代に活躍し、後に1976年の『High Voltage』と1977年の『Let There Be Rock』と、AC/DC初期のアルバムをプロデュースした。

AC/DCが発表した声明では、このロックの象徴とも言えるバンドへのジョージ・ヤングの貢献が称えられた。

「ミュージシャン、ソングライター、プロデューサー、アドバイザー、その他にももっともっとあるが、これ以上献身的でプロフェッショナルな人はいない」。「これ以上素晴らしいブラザーはいないよ。この先もずっと感謝の念とともに彼を偲び、心の中で想い続ける」。

ジョージ・ヤングの訃報を伝えたオーストラリアの出版社アルバーツは「深い悲しみとともに、ジョージ・ヤングが亡くなったことをお伝えします。素晴らしいソングライター、プロデューサー、アーティスト、助言者、そして偉大なミュージシャンだったジョージは、ジェントルマンであり常に謙虚で、チャーミングで賢く、忠実で、そしてユーモアあふれる人でした。ジョージはパイオニアでもあり、親友のハリー・ヴァンダとテッド・アルバートとともに、オーストラリアの音楽業界に新たなサウンドを創りあげました」。

ジョージ・ヤングは1946年にグラスゴー近郊のクランヒルに生まれ、幼い頃にスコットランドからオーストラリアに移り住み、ザ・ビートルズに対するオーストラリアの回答と称されたイージービーツのメンバーとして活躍した。グループのほとんどの楽曲を、最初はリード・シンガーのスティーヴィー・ライト、次にリード・ギタリストのハリー・ヴァンダと共作した。

イージービーツはヒット曲「Friday On My Mind」で最も知られており、1970年に解散、2005年にオーストラリアレコード産業協会の殿堂入りを果たした。1970年の解散後、ハリー・ヴァンダとジョージ・ヤングは他のレコーディング・アーティストのためにポップ、ロックの楽曲を制作/プロデュースすることに注力し、自身は様々なアーティスト名で活動した。フラッシュ&ザ・パンもそのひとつだった。レコーディング・スタジオを拠点にしていたグループのひとつがマーカス・フック・ロール・バンドで、兄弟のマルコムとアンガス・ヤングとともに結成した。のちにアンガスとマルコムは1973年にAC/DCを結成。

ジョージ・ヤングへの追悼として、オーストラリアの人気歌手ジミー・バーンズはこう書いた「ジョージ・ヤング、どうか安らかに。音楽にとって大きな喪失だ。偉大なソングライター、プロデューサー、そして素晴らしい人だった」。

Written by Tim Peacock


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