70年代のティーンアイドル、デイヴィッド・キャシディ死去
ミュージシャン、俳優、TVドラマシリーズ「パートリッジ・ファミリー」で長男のキース・パートリッジ役を演じ10代のアイドルとなったデヴィッド・キャシディが11月21日火曜日に亡くなった。享年67歳だった。
キャシディの代理人、ジョアン・ゲフィンはこのように彼の死をこのように発表した。
「大きな悲しみと共に、キャシディ一家を代表して、私たちの父、叔父、そして親愛なる兄弟であるデヴィッド・キャシディが亡くなったことを発表を伝えます。デヴィッドは彼が愛する人々に囲まれ、彼の心の中に喜びを抱え、長い間、彼を支配していた痛みから解放されて亡くなりました。この長年の間、デヴィッドにあふれるほどの豊かさと支援をありがとうございました」。
キャシディはつい先日、肝臓と腎不全の痛みにより重症となり、フロリダの病院に搬送されていた。その時、ゲフィンは「彼は意識があり、家族や友人に囲まれています。差し迫った状況ではなく、毎日を過ごしています」と述べていた。また「医者が 移植可能な肝臓を見つけることが出来るまではもちろん、キャシディを守り続けています」と彼女はコメントを加えていた。
その年の始め、キャシディは、彼の母親と祖父も苦しまされた認知症の初期段階にあることを明らかにした。そのキャシディの告白は、カルフォルニアのコンサート中に歌詞を思い出せないことに苦闘し、ステージ上で言葉に詰まるシンガーの映像が出現したあとに行われた。
ブロードウェイで演劇を行ってきた両親を持つキャシディは、10代後半から俳優として活動を始めた。一時的にブロードウェイのショーに出演したあと、19歳だったキャシディはロサンゼルスに転居、TVドラマの「ボナンザ」や「特捜隊アダム12」にゲスト出演したのち、彼はミュージカル・ホーム・コメディ「パトリッジ・ファミリー」劇中のファミリーバンドの長男でリード・シンガー兼ギタリストのキース・パトリッジの役を射止めた。TV番組が始まったのはちょうど、似たような構成プログラムだったザ・モンキーズが廃れ始めていたころだ。キャシディの実生活の義母、シャーリー・ジョーンズが家族の母親役を演じていた。
4シーズン、96エピソードを超えた「パトリッジ・ファミリー」はテレビでも音楽でもヒットした。彼らの曲「I Think I Love You(邦題: 悲しき初恋)」は全米1位のヒット曲となった。ドラマ上のパトリッジ・ファミリーのバンドは1971年のグラミー賞でベスト新人アーティスト賞にもノミネートされた。テレビ番組とバンドの成功のおかげで、キャシディは10代のアイドルへと急速に上昇した。キャシディのウェブサイトによると、彼の名声の絶頂期には、ビートルズのファンクラブとエルヴィス・プレスリーのファンクラブの人数を合計した人数を超える会員がデイヴィッド・キャシディのファンクラブに加入していたという。
パトリッジ・ブームの真っ只中だった1972年にリリースされたキャシディのデビュー・ソロ・アルバム『Cherish』は同様に成功を収めた。しかしながら、1974年にドラマ・シリーズの中止となり、キャシディは70年代前半のころの彼の名声とは同じ高さに達せなくなっていた。1978年、キャシディはTVシリーズ「潜行刑事ダン」で再びテレビ界に戻り、シリーズ中止まで10エピソードが放送された。
パトリッジ・ファミリーの後、キャシディは音楽の世界の人としても活躍した。ビーチ・ボーイズのカール・ウィルソンやブルース・ジョンストンがキャシディの1976年のアルバム『Home Is Where the Heart Is』のレコーディングに参加したり、ブライアン・ウィルソンと「Cruise to Harlem」の楽曲を共同で書いたり、ジョン・レノンとの親交もあった。
「ジョンが『Rock and Roll』のレコーディングを行っている時、彼と仲良くなったんだ。それで何度かスタジオに一緒に入ったりしていたんだ。フィル・スペクターが銃を抱えて入ってくると想像したら… 正気じゃなかったね」とキャシディは言った。(*『Rock and Roll』のレコーディング中にフィル・スペクターはジョンと口論になり実際にジョンに向かって銃口を向けている)
全米ではチャートを逃したキャシディの「Daydreamer」が1973年にイギリスでNo.1ヒット曲となったの同じようなことが1985年におこった。キャシディ非常に影響を受けていると公言していた当時ワム!の活動で人気絶頂だったジョージ・マイケルが、バック・ボーカルを務めたシングル「The Last Kiss」が全英チャート6位を記録。この曲は9年ぶりのアルバム『Romance』に収録され、アルバムも全英チャート20位と成功を収めている。
しかしキャシディの晩年のキャリアは、2010年以降、3度にも重なる飲酒運転の罪や、事故現場から立ち去った罪で逮捕されるなどタブロイド紙で扱われることによってしばしば損なわれてしまった。キャシディはまた、彼のキャリアを通じてドラッグとアルコール依存との闘いがあることも広く知られていた。しかし、個人的トラブルや法的なトラブルが続いたにも関わらず、キャシディは彼が認知症となるまで彼のファンに向けて、音楽をレコーディングし続け、演技を続け、そしてライブを続けた。
彼の死が発表されてから、数え切れないほどの業界人がデヴィッド・キャシディを追悼した。ツイッターではビーチボーイズのレジェンド、ブライアン・ウィルソンがこう綴った。「デヴィッド・キャシディが亡くなったことを聞いて非常に悲しい。1970年代中盤、彼が僕の家に来て、一緒に曲を書き始めたときもあったんだ。彼は非常に優れた才能の持ち主で、良い人だった。ラブ & マーシーをデイヴィッドと彼の家族へ向けて」。
キャシディの同輩の一人、マリエ・オスモンドもこのように述べた。「デヴィッド・キャシディの死を心から悲しんでいます。70年代、彼は私の兄弟と共にティーン雑誌の表紙を飾りました。彼の家族にお悔やみ申し上げます」。それと同時に、ディスコ・スターだったグロリア・ゲイナーはこのように書いている。「彼の家族と大好きだったデヴィッド・キャシディに心からお祈り致します。”キース・パトリッジ” 役の彼が演じた音楽的遺産は多くの家庭に音楽と笑いを届けました」
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デヴィッド・キャシディ『Then and Now』