ジョン・レノン「Bring On The Lucie (Freda Peeple)」解説:断固とした態度のプロテストソング

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公民権運動を公然と支持し、ベトナム戦争に断固として反対したザ・ビートルズの面々は、権力者たちに社会変革を強く要求するようになった1960年代の反体制文化に同調していた。そのため、自然な流れとして楽曲にも彼らの政治思想が表れるようになったが、4人のソングライターのうち、政治運動にもっとも深く傾倒していたのはジョン・レノンだったといえるだろう。彼は1970年代の到来が近づくにつれて、世界有数の平和支持者になっていったのである。

1969年3月、彼はハネムーンで訪れたアムステルダムで、新たな妻であるオノ・ヨーコとともに一週間に亘る”ベッド・イン”のパフォーマンスを敢行。これは一種の平和主義活動であり、6月にモントリオールで行われた二度目のベッド・インでは、懇願するような内容のアンセム「Give Peace A Chance (平和を我等に)」のレコーディングも行っている。

しかしながら、ベトナム戦争の勢いは衰えることがなく、ジョンとヨーコはそれ以上の行動を起こす必要があると感じるようになった。1971年8月にニューヨークへと移り住んだ二人は、ほどなくして同じような考えを持つ同志たちと交流するようになったのだ。ジョンは1975年、ローリング・ストーン誌の取材でこう語っている。

「何が起こったのかをありのままに説明しよう。船を降りて――まあ、実際は飛行機だったわけだけけれども――ニューヨークに降り立った俺に、最初に連絡してきたのがジェリー・ルービンとアビー・ホフマンだった。ただそれだけの話だよ。それがきっかけになって、ジョン・シンクレアのためのチャリティーなんかを次々にやるようになったんだ」

*ジェリー・ルービン、アビー・ホフマン:政治活動家(映画にもなった“シカゴ7裁判”のモデル)
*ジョン・シンクレア:反戦活動家。必要以上の実刑をうけ、それにジョン・レノンは抗議のために彼の名前を冠した楽曲を発売している。

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抗議活動とその問題

レノンは1972年6月にリリースされたアルバム『Some Time In New York City』でそうした方針をさらに推し進めた。この作品は、囚人の権利保護、フェミニズム、北アイルランドの独立、警察組織の腐敗、ブラック・パンサー党といった政治的テーマへの関心を高める楽曲で溢れていたのである。

『Some Time In New York City』はリリース当時、賛否を巻き起こした。そして1973年の前半に至るころ、レノンは苦境に陥っていた――。彼の人気は衰え、さらにはFBIに監視され、米国の入国管理局は彼に市民権を与えず、ニクソンは圧勝というかたちで再選を果たしたのである。こうしたことからくるプレッシャーは、彼にそれ相応の影響を与えた。レノンはやがて、厄介事を避ける方法を検討しなくてはならなくなったのである。

 

『Mind Games』の制作

次なるアルバム『Mind Games (マインド・ゲームス [ヌートピア宣言]) 』の基礎が築かれ始めたのは1973年春のことだった。このとき、ニューヨークのレコード・プラント・スタジオで、ヨーコは彼女自身のソロ・アルバム『Feeling The Space (空間の感触) 』をレコーディングしていた。

このとき集められたセッション・ミュージシャンたちの演奏に感心し、感化されたレノンは、同じバンドと同じスタジオで自身のソロ・アルバムを作ることを検討し始めた。そして次に、彼は自分から離れてしまったファンを取り戻せるような新曲の作曲とデモの制作に着手したのだった。

レノンはその際、1971年のヒット・アルバム『Imagine』の特色となっていた内省的な作風に回帰。政治的なテーマよりも、個人的な題材をより多く取り上げている。そんな同作の主たるテーマはヨーコへの愛 (「Out The Blue」「Intuition」「You Are Here」などに明らか) だが、「Aisumasen (I’m Sorry)  [あいすいません]」や「I Know  (I Know)」には悔恨の念も表現されている。

 

“人びとを解放せよ”

『Mind Games』の収録曲の大半は短期間で一気に書き上げられたが、その中には、レノンが改めて取り上げることにした過去の未発表曲も一つ混じっていた。

1971年にレノンはナショナル製のリゾネーター・ギターを購入。その独特なアコースティック・サウンドを利用して、「Free the people (人びとを解放せよ)」というシンプルなフレーズを繰り返すスリー・コードのコーラス・パートを考案していたのだ。彼はこれを曲に仕立てて『Some Time In New York City』に収録するつもりでいたが、そのときは時間が足りず、完成させることができずにいた。

そこで彼は、『Mind Games』のレコーディングで取り上げるべくこの曲を形にしていった。そしてレコーディングが行われるころ、同曲は、『Some Time In New York City』の一連の収録曲に少しも劣らぬほど痛烈な楽曲に仕上がっていた。この曲はレノンにとって、音楽に政治性を取り入れる試みに終止符を打つ一曲になったのだ。彼はそんな作品に「Bring On The Lucie  (Freda Peeple) 」と名付けた。

 

「Bring On The Lucie  (Freda Peeple)」

「Bring On The Lucie」は曲全体が同じスリー・コードで構成されている代わりに、ファンキーなグルーヴに支えられている。そのグルーヴこそが、直接的なメッセージを邪魔することなく、楽曲の魅力を効果的に引き立てているのだ。それゆえスタジオでは、楽曲を牽引できる名手たちをリズム・セクションに起用する必要があった。

例えばゴードン・エドワーズの生き生きとしたベースは、リック・マロッタとジム・ケルトナーという二人のドラマーによるパワフルなビートや素早いフィルに合わせて跳ね回る。そうした演奏が、レノンの痛烈なヴォーカルと好対照をなすダンサブルなグルーヴを生み出しているのである。そのほかにも、サウンドの中では少々埋もれ気味なキーボードをケン・アッシャーが弾き、デヴィッド・スピノザはギターをかき鳴らしている。

とはいえ「Bring On The Lucie (Freda Peeple)」のサウンドにおいてもっとも印象的なのは、元フライング・ブリトー・ブラザーズの”スニーキー”・ピート・クライナウによるペダル・スティールだろう。一曲を通して高らかに鳴り響くその音色は、聴く者を元気づけるようでもあり、心安らぐようでもある。そしてその演奏が、レノンの歌うエッジの効いた歌詞を際立たせているのだ。

 

ジョン・レノンの歌詞

「Bring On The Lucie」は、市民活動家から個人的な想いを歌うアーティストへと変貌しようとしていたジョンにとっての架け橋のような楽曲になった。彼の反戦思想が表現された同曲は、リチャード・ニクソンに真っ向から狙いを定めていたのだ。この曲は米国政府との争いのさなかに書かれたこともあり、彼を破滅させようとする人びとを攻撃する内容だった。

We don’t care what flag you’re waving
We don’t even want to know your name
きみたちがどの旗を振っているかなんて俺たちにはどうでもいい
きみたちの名前だって知りたくはない

とレノンは歌い始める。

We don’t care where you’re from or where you’re going
All we know is that you came
きみたちがどこから来たのかも、きみたちがどこへ行くのかもどうだっていい
ただ分かっているのは、きみたちが俺たちの前に現れたってことだけだ

この部分からは、彼の諦めが感じられる。争いによって苦境に立たされた彼は、特定の敵を攻撃することをやめ、対象を主戦論者全般に広げたように思えるのだ。さらに彼は、市民の権利を侵害して命を落とさせるより、“もっとほかにやるべきことがある”と歌う。

そしてコーラス・パートでは、“人びとを解放せよ”と融和的な解決策を提示する。このフレーズはありふれた言葉にも思えるが、実際のところそれほどシンプルなスローガンではない。この曲は、保釈金を支払えない囚人たちの解放計画を歌ったものだった。ジョンとヨーコはジェリー・ルービンとともに、”ロック解放戦線”としてツアーを行うことを検討していた時期もあった。

行動を起こすことを包括的な言葉で呼びかけた同曲でジョンは、人民の力が高まる素地は整っていると警告する。“もう時間切れだ、覚悟しておいた方がいい”と彼は言い放つのである。

 

楽曲の影響

その後の生涯において、ジョン・レノンが作品に政治的なメッセージを込めることは滅多になかった。しかし、このプロテスト・ソングの影響力はいまも衰えていない。1980年には、フォーク・シンガーのジュリー・フェリックスが同曲をカヴァー。2021年にもヴァーヴのフロントマンだったリチャード・アシュクロフトがこれを歌っている。

また、シャーラタンズは1995年に「Bring On The Lucie」から明らかな影響を受けた二つの楽曲を発表。「Just Lookin’」ではジョンの叙情的なメロディーを拝借し、「Just When You’re Thinkin’ Things Over」では曲の根幹を支えるアコースティック・ギターの演奏と曲名を同曲から流用した。

ディストピア的な未来像を描いた2006年の映画『トゥモロー・ワールド』 のエンド・クレジットにも使用された「Bring On The Lucie」は、ジョン・レノンが社会正義の実現に向けて努力し続けたことや、変革をもたらす音楽の力を信じ続けたことの証左である。現在でも同曲はジョンの政治思想を象徴する強力な楽曲として支持されており、正しく公平な世界を夢見た彼の想いに共感するリスナーたちの心を動かし続けている。

Written By Simon Harper


ジョン・レノン『Mind Games』(The Ultimate Collection)
2024年7月12日発売

6CD + 2ブルーレイ・デラックス・エディション<直輸入盤仕様/完全生産限定盤>
2CD
2LP<直輸入盤仕様/完全生産盤>
MEGA DELUXE BOX(輸入盤)9LP+1EP+6CD+2BR

[① 6CD+ 2ブルーレイ・デラックス・エディションの内容]
■ 6枚のCDにアルティメイト・ミックス、エレメンタル・ミックス、エレメンツ・ミックス、エヴォリューション・ドキュメンタリー、アウトテイク集、そしてロウ・スタジオ・ミックスを収録
■ 2枚のブルーレイには、アルティメイト・ミックス、エレメンタル・ミックス、エレメンツ・ミックス、エヴォリューション・ドキュメンタリー、アウトテイク集、そしてロウ・スタジオ・ミックスがハイレゾ24−96ステレオ、5.1とドルビー・アトモス・ヴァージョンで収録。追加で、2024年度版としてリマスターされた「マインド・ゲームス」のミュージック・ビデオと、「ユー・アー・ヒア」(追加のアウトテイク)のテープ・ボックスのビデオを収録
■ アルティメイト・コレクション・シリーズの編集プロデューサー兼プロダクション・マネージャーであるサイモン・ヒルトンがデザインと編集を担当した、128ページの大型豪華本は、(何百時間にも及ぶインタヴュー・アーカイヴから抜粋された)ジョンとヨーコの言葉、および彼らと共に仕事をしたミュージシャンたちやエンジニアたちの以前のインタヴューや新たなインタヴューによって、それぞれの曲とアルバム制作の裏話が語られている。また、ボブ・グルーエンによる未公開写真、ジョン・レノン&ヨーコ・オノ・アーカイヴからの写真、歌詞、手紙、オリジナル・テープ・ボックス、記念品なども掲載されている
■ 1973年のアルバム発売時に宣伝用に作られたオリジナルの3連ポスターとポストカードの複製、個別にナンバリングされたヌートピア市民IDカード付

[② 2CDの内容]
・スリップ・ケース入り限定盤
・CD1にアルティメイト・ミックス、CD2にアウトテイク集を収録
・20ページのブックレット付
・1973年のアルバム発売時に宣伝用に作られたオリジナルの3連ポスターの複製、個別にナンバリングされたヌートピア市民IDカード付

[③ 2LP<直輸入盤仕様/完全生産盤>の内容]
・180gヴィニール
・LP1にアルティメイト・ミックス、LP2にアウトテイク集を収録
・8ページのブックレット付
・1973年のアルバム発売時に宣伝用に作られたオリジナルの3連ポスターとポストカードの複製、個別にナンバリングされたヌートピア市民IDカード付



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