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ヴァージンレコード特集:90年代以降編「ガール・パワー」
ヴァージン・レコードは、1992年、EMIに売却された。その11ヶ月後、売却前にヴァージンと契約したジャネット・ジャクソンが『janet.』をリリースした。これは1993年、同レーベルが世に送り出した3枚目のNo.1アルバムとなった(その年、ヴァージンは計6枚のNo.1アルバムをリリースした)――流れを変える1枚だった。EMIに売却される前、ヴァージンはザ・ローリング・ストーンズとも契約を交わしていた。彼らとジャネットは、レーベルが20年間でインディからトップ・プレイヤーに成長したことを証明している。
ヴァージンを独立した存在のままにしておこうというEMIの判断は賢明だった。このおかげで、ヴァージンはさらに力をつけ、ますます精力的にサイド・レーベルを発展させていった。これらはインディのような役割を果たし、プラシーボやケミカル・ブラザーズといったアーティストに大手レコード会社の慣習にとらわれず活動する自由を与えた。
90年代は、それまで以上に音楽的に多様性のある時代だった。数えきれないほどのスタイル、様々なムーヴメント、エレクトロニック・サウンド、バンド、ソロ・アーティストがその音楽的な景観を創り出した。所属するアーティストの一覧がどのレーベルより多様性に富んでいたヴァージンは、ここで最も有利だった。マイケル・ナイマンのミニマル・ミュージックとスパイス・ガールズのようなポップ・ジャイアントが並ぶ一覧がほかにどこにあるだろうか?
[layerslider id=”0“]ヴァージンは創立してすぐ、アーティストを育てるため、インディペンデントのサブ・レーベルを持つという考えに飛びついた。80年代に設立されたサーカ・レコードは、初期に契約を交わしたレーベルの1つで、カッティング・クルーがヴァージン初となる全米1位を獲得した。そして、ヴァージンは1990年にハット・レコードを設立。3年後、90年代最も影響力を持ったブリティッシュ・バンドの1つ、ザ・ヴァーヴがブレイクした。
90年代、音楽のスペクトルは幅広く、ザ・ヴァーヴは昔気質の優れた、最高の意味でのロック・バンドだった。バンドとしてのアップ・ダウンはあったものの、『A Storm In Heaven』『A Northern Soul』『Urban Hymns』はどれも、高揚感のあるアンセム、クラシックなポップ・メロディ、ときにシンガー、リチャード・アシュクロフトの私生活を反映したエモーショナルな曲で溢れる、壮大でパワフルなロックの標となった。『Urban Hymns』に収録される「Bittersweet Symphony」は、ザ・ローリング・ストーンズの「The Last Time」のアンドリュー・オールダムによるオーケストラ・ヴァージョンをサンプリングしている。「The Last Time」自体、ステイプル・シンガーズのゴスペル・ソング「The May Be The Last Time」をリワークしたものだった。
ザ・ヴァーヴの最初の成功から3年、ハット・レコーズはまたもや成功を手にした。プラシーボは、多様性と少なからず分裂が共存することを証明したバンドだった。彼らの複雑な歌詞、中性的な要素、凶暴なハード・ロック・サウンドは多くのファンの心を掴んだ。グラム・ロックのデビュー・アルバム『Placebo』(1996年)から最新の『Loud Like Love』(2013年)まで、彼らが力をゆるめることはない。妥協する気がないのは明らかだ。
プラシーボがビッグになる前年、4度のグラミー受賞者ケミカル・ブラザーズが『Exit Planet Dust』をリリースした。この作品は、トム・ローランズとエド・シモンズのホームグラウンド、ロンドンのクラブ・シーンから、無防備な大衆の間に投げ込まれた。このデビュー作は彼らのレーベルFreestyle Dust/ Junior Boy’s Ownからリリースされ、レーベルはそのすぐ後、ヴァージンと契約した。ケミカルの力強い存在を確立したのが、2枚のNo.1シングル、ノエル・ギャラガーをフィーチャーした「Setting Sun」と先験的な「Block Rocking Beats」が収録されるセカンド・アルバム『Dig Your Own Hole』だった。
この時期は折衷主義に占められていた。ゆえに1人の人物の中に、他にはなかなか見出せないほどの音楽的多様性があったとしても不思議ではなかった。ベン・ハーパーは、その点でエルヴィス・コステロと肩を並べるアーティストだった。このアメリカ人のシンガー・ソングライター&マルチ・インストゥルメンタリストは、ブルース、フォーク、ソウル、レゲエ、ロックのユニークなミックスをプレイする。彼はまず1994年、デビュー・アルバム『Welcome To The Cruel World』で、オーストラリアとフランスでブレイクした。そして、5枚目のスタジオ・アルバム『Diamonds On The Inside』が2003年、世界中でヒットした。
1978年、ヴァージンは初めてサブ・レーベルに着手した――フロントライン・レコードはレゲエのホームで、ヴァージンにカリビアンのテイストをもたらした。1993年、彼らはシャギーと契約し、その年、彼のデビュー・アルバム『Pure Pleasure』をリリースした。シングル「Oh Carolina」は大ヒットし、1993年初め、UKチャートの1位に輝いた。シャギーは1995年、Mungo Jerryの名曲「In The Summertime」やリーバイスのCMでフィーチャーされたタイトル・ソングを収録するサード・アルバム『Boombastic』で再ブレイクした。ヴァージンがシャギーのために成功の種をまいていたことで、7年後、MCAと契約を交わした彼は、キャリア最大のヒットとなる『Hot Shot』を発表した。この中の2曲「Angel」と「It Wasn’t Me」は全英1位に輝いた。
ピアニストのクレイグ・アームストロングが初めて世界の注目を浴びたのは、マッシヴ・アタックの1994年のアルバム『Protection』(『Rolling Stone』誌が選ぶ史上最高にクールなアルバム10枚の1つ)に参加したときだった。アームストロングの才能の虜になったマッシヴは、自身のレーベル(メランコリック)で彼と契約し、アームストロングのソロ・デビュー作『The Space Between Us』(1998年)をリリースした。このアルバムを買ったことがなくても、その音楽は知っていることだろう。TV番組で頻繁に使用されている曲ばかりだ。
ビッグなアーティストがパトロンのような存在となる、この恩恵を受けたもう1人が、マイケル・ナイマンだった。彼は1976年、ブライアン・イーノのレーベル(オブスキュア)と契約を交わした。ナイマンの音楽は、クレイグ・アームストロングのものに近い。2人ともたくさんの映画音楽を制作した。ナイマンのデビュー・アルバム『Decay Music』がイーノのレーベルから発表されたのは1976年だが、彼の成功の頂点は1993年、『The Piano』のサウンドトラックだった。
スパイス・ガールズの到来を予期するものは何もなかった。彼女たちの才能を見出したヴァージンは素晴らしかった。それが成せたのは、ジャネット・ジャクソンで経験を積んでいたからだろう。1996年、彼女たちはデビュー・サマー・ソング「Wannabe」で、どこからともなく突然現れたように見えたが、実際は、そのデビューの管理/マーケティング方法が優れていたからに他ならない。「Wannabe」は6枚連続で(全英チャート)1位に輝いたシングルの最初の1枚で、その後の3枚もデビュー・アルバム『Spice』に収録されている。スパイス・ガールズは、ポップに再びスポットライトを当て、タブロイド紙に取り上げられる存在に戻した。そのおかげで、彼女たちは、どのガール・グループ、史上どのグループより大きなペルソナを持つことになった。
スパイス・ガールズが“ガール・パワー”の象徴ならば、ジャネット・ジャクソンはその先駆者の1人だ。1982年にA&Mからリリースした彼女のセルフ・タイトル・デビュー・アルバムは、アメリカでのヒットは控えめで、いい作品ではあったものの、その先彼女が歩む道のりの標になったとはとても言えなかった。マイケルの妹が、少なからずジャム&ルイスのプロダクションの力を借りながらも、その才能をフルに発揮するのは、4年後の『Control』だった。続いて、ヴァージンと何百万ポンドの契約を交わし、発表された『janet.』(1993年)は、荘厳な「That’s The Way You Love」で始まる、90年代の重要なクラシック・アルバム…、どの時代においてもクラシックな1枚だ。
スパイス・ガールズの5人Scary(訳注:メラニー.Bの愛称)、Sporty(訳注:メラニー.Cの愛称)、Baby(訳注:エマ・バントンの愛称)、Ginger(訳注:ジェリ・ハリウェルの愛称)、Posh(訳注:ヴィクトリア・ベッカムの愛称)が“ガール・パワー”の象徴ならば、21世紀の到来は、3人の全く別のタイプのシンガーに見られた。青い目のソウル・シンガー、ジョス・ストーン、ニュー・フォーク(Nu-Fork)のローラ・マーリン、そして、シンガー・ソングライターのエミリー・サンデー。彼女たちはクールの象徴だ。
もし、ジャネット・ジャクソンがインディアで育ったおかけでソウル・ミュージックにどっぷり浸かるようになったのであれば、ジョス・ストーンは両親のレコード・コレクションと、10歳でアレサ・フランクリンのベスト・アルバムを選ぶという素晴らしいテイストを持っていたおかげで、青い目のソウルと呼ばれる権利を得た。しかし、何を好んで聴いていようが、才能がなくては成し得ない。アレサ、アイズレー・ブラザーズ、ジョン・セバスチャン、ホワイト・ストライプスなどをカヴァーしたジョス・ストーンのデビュー作『The Soul Sessions』は、彼女の才能、テイスト全てを教えてくれる。『The Soul Sessions』とそれに続く、彼女が共作したオリジナル・ソングが大半を占める『Mind Body & Soul』両方が、この時代特筆すべきアルバムだ。
フォークがクールだった時代はあったが、その後長い間、フォークは格好悪いと思われてきた。しかし、2008年になり、ローラ・マーリンが『Alas, I Cannot Swim』でデビューすると、またすごく格好いいものになった。マーリンがコラボしたこともあるノア&ザ・ウェールズのようなバンドのおかげもあった。1年後にはマムフォード&サンズも登場し、フォークは世界に広まり、新しいラベルを手に入れた…Nu-Folkだ。
ヴァージンの最新のスーパースターは、バックグランドや初期の時代を考えると、最もそれらしくないかもしれない。サンダーランド大学で出会ったザンビア人の父と英国人の母を持つエミリー・サンデーは、作曲やパフォーマンスを始める前、グラスゴー大学で4年間、医学を学んだ。『Our Version Of Events(邦題:エミリー・サンデー)』は2012年2月、全英チャートの1位に初登場し、2013年11月までトップ40に留まり続けた。史上最高のソロ・デビュー・アルバムの1枚だ。
創立から40年以上が経っても、ヴァージンは幅広い分野において新しい才能を発掘する才覚を失っていない。
文:リチャード・ハヴァーズ
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