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アメリカーナの下地を作った10人のカントリー・ヒーローたち

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アメリカーナとは、アメリカのミュージック・カルチャーに深く根差した音楽で、何らかの形で1世紀以上にわたって続いているとされている。1920年代後半に、旅公演の一座を率いて人気を博したジミー・ロジャースのようなカントリー・ヒーローが、同ジャンルの先駆けと考えられている。「アメリカーナ」がグラミー賞の部門となったのは2010年だが、同語は30年にわたって、広く使用されている。

ブルーグラスやカントリー・スウィング、ウディ・ガスリーのような物語性の高いフォークなど、アメリカーナとルーツ・ミュージックを構成する要素は、クリス・ステイプルトンやジェイソン・イズベル、ヴィンス・ギル、ロザンヌ・キャッシュといった、現在活躍するカントリー・スターの音楽の中で花開いている。本記事では、アメリカーナがブレイクする道を開いた革新的なカントリー・ヒーロー10人を紹介しよう。

 

■ボブ・ウィルズ/Bob Wills(1905年~1975年)
ジミー・ロジャースやカーター・ファミリーといった初期のパイオニアに加えて、ボブ・ウィルズ&ヒズ・テキサス・プレイボーイズも、アメリカーナの基礎を築いたカントリー・ヒーローの多くに大きな影響を与えた。ウィルズとそのバンドは30年代、フィドル、ピアノ、アコースティック・ギター、スティール・ギター、バンジョー、ベース、ドラム、ブラスを融合しウィリー・ネルソン(ウィルズを崇拝していた)のような若いミュージシャンの卵の野心を刺激した。ネルソンはキャリア初期、ヒルスボーロ近くのブラゾス川で、ボブ・ウィルズ・ダンス・ナイトの共同プロモーションを手掛けた。ネルソンは、ウィルズの「人を惹きつける魅力」と、さまざまな楽器とヴォーカルを融合し、「観客を踊らせ続ける」様子に感銘を受けたと語っている。なお、ネルソンと仕事をすることも多かったウェイロン・ジェニングスも、「Bob Willis Is Still The King」というトリビュート・ソングを書いている。

トリビュート・アルバム『Still The King』は2015年にリリースされ、ウィルズの栄誉をたたえて楽曲をレコーディングしたスターの中には、ライル・ラヴェットもいた。また、アヴェット・ブラザーズやオールド・クロウ・メディスン・ショウといったアメリカーナ界の成長株のほか、長年ウィリズのファンだったバディ・ミラーやジョージ・ストレイトなども参加している。ウィルズは、アメリカーナ・ミュージックのDNAに組み込まれているのだ。

Bob Wills & His Texas Playboys: "Stay a Little Longer"

 

■ウディ・ガスリー/Woody Guthrie(1912年~1967年)
初期のパイオニアの多くが、将来的なアメリカーナの大ブレイクに一役買った。アメリカーナのパイオニアには、ブルーグラスのレジェンド、ラルフ・スタンレーや、ハディ・レッドベター(レッド・ベリーとしても知られている)やロバート・ジョンソンといったブルース・アーティストに至るまで、幅広いアーティストが含まれる。しかし中でも30年代から40年代に活躍したウディ・ガスリーは、シンガー/ソングライターの元祖として、ピート・シーガーやランブリング・ジャック・エリオット、ボブ・ディランに直接影響を与えた。ガスリーは、カントリー・ミュージックが持つストーリーテリングの芸術を変貌させた。ディランは、ガスリーを讃えて、こうコメントしている。「彼はすごくポエティックでタフでリズミックだった。彼の楽曲、彼のレパートリーは、ジャンルを超越していた。彼の作る曲には、人間らしさが無限に溢れていた」。

ガスリーの「This Land Is Your Land」は、今日に至るまで、インスピレーショナルなアメリカーナのアンセムであり続けている。シーガーとブルース・スプリングスティーンは、バラク・オバマの大統領就任式(1回目)で同曲を歌っている。2016年、ガスリーはアメリカーナ・ミュージック・アソシエーションのプレジデンツ・アウォードを受賞し、「プロテスト・ソングを高尚な芸術へと引き上げた」功績を讃えられた。

Pete Seeger & Bruce Springsteen – This Land is Your Land – Obama Inauguration

 

■ハンク・ウィリアムス/Hank Williams(1923年~1953年)
「Jambalaya (On The Bayou)」「I Saw The Light」「Your Cheatin’ Heart」など、ハンク・ウィリアムスの名曲は、20世紀のアメリカを語るサウンドトラックとして、重要な位置を占めている。ハンク・ウィリアムスが29歳の若さでこの世を去ってから半世紀以上が過ぎた今日、彼は現代カントリーにおけるソングライティングの枠組みを作った真のカントリー・ヒーローとして認知されている。レオン・ラッセルやライ・クーダー、アラン・ジャクソン、クリス・クリストファーソン、グラム・パーソンズ、ニール・ヤングなど、傑出したアメリカーナ・ミュージシャンの多くは、ハンク・ウィリアムスの楽曲を使用し、基盤としてきた。特にニール・ヤングは「I’m So Lonesome I Could Cry」を書いたハンク・ウィリアムスの大ファンで、ハンク・ウィリアムスが所有していたマーティンD-28のギターを所有していた。

Hank Williams – Cold Cold Heart

 

■ジョニー・キャッシュ/Johnny Cash(1932年~2003年)
フォーク、カントリー、ゴスペル、ロック、ブルーグラス、ケルトの伝統音楽、アパラチアン・ミュージック、デルタ・ブルースがぶつかり合う場所が、アメリカーナであるとすれば、こうした要素はジョニー・キャッシュの音楽の中で融合し輝いている。アメリカーナ・ミュージック・アソシエーションは初のコンヴェンションを2000年に行い、それから3年後、元祖カントリー・ヒーローの1人として支持されていたジョニー・キャッシュは、同協会初の「スピリット・オブ・アメリカーナ」フリー・スピーチ・アウォードを受賞した。ジョニー・キャッシュは授賞式で、ジューン・カーター・キャッシュとともに、自身の楽曲であり詩でもある「Ragged Old Flag」を見事に朗読した。1990年代から2000年代にかけてリリースされた『American Recordings』シリーズで、ジョニー・キャッシュは純粋なアメリカーナ楽曲を歌い再び全米の注目を浴びた。ジョニー・キャッシュの別名「ザ・マン・イン・ブラック(黒い服をまとう男)」のスピリットは、ジョニー・キャッシュの娘で現代アメリカーナの大物となったロザンヌ・キャッシュの音楽に受け継がれているが、彼はまた、レイ・チャールズライアン・アダムス、スティーヴ・アール、エルヴィス・コステロといった数多くの大物アーティストをインスパイアしている(前述の4人はすべて、ジョニー・キャッシュの楽曲をカヴァーしたことがある)。

https://youtube.com/watch?v=GzChsjd4CzU

 

■パッツィ・クライン/Patsy Cline(1932年~1963年)
パッツィ・クラインはキティ・ウェルズと並んで、男性優位のカントリーというマーケットの中で先駆的役割を果たした数少ない女性カントリー・ヒーローだ。クラインは、胸を締めつけるような情感を自身の音楽に盛り込み、性別と階級の壁に挑んだ。ナタリー・コール、ノラ・ジョーンズ、パッティー・グリフィン、ダイアナ・クラールなど、パッツィ・クラインのファンは大勢おり、ダイアナ・クラールはパッツィ・クラインのヒット曲「Crazy」をカヴァーしている。パッツィ・クラインは飛行機事故により30歳でこの世を去った。彼女に直接影響を受けたリーバ・マッキンタイアは、「“Sweet Dreams”をレコーディングしたのは、私がパッツィ・クラインの大ファンで、長年の間この曲をアカペラでコンサートの最後に歌っていたから。彼女の曲は、琴線に触れるの」と語っている。

Patsy Cline – I Fall To Pieces

 

■ロレッタ・リン/Loretta Lynn(1932年~)
2014年、ロレッタ・リンはアメリカーナ・ミュージック・アソシエーションからライフタイム・アチーヴメント・アウォード・フォー・ソングライティングを授与された。「Rated X」「Don’t Come Home A Drinkin’ (With Lovin’ On Your Mind)」「I’m A Honky Tonk Girl」「Dear Uncle Sam」など、記憶に残る楽曲を多数手がけたリンは、まさに正真正銘の先駆者だ。また彼女は、アカデミー賞を受賞した1980年の映画『歌え!ロレッタ 愛のために』のモデルとなっただけでなく、現代音楽で特にリアルで偽りのない歌詞を書くと、ルシンダ・ウィリアムズ、リー・アン・ウォマック、シェリル・クロウといった現代のスターに影響を与えた。ルシンダ・ウィリアムズはロレッタ・リンの‘鮮明で心を打つ’描写力と、未来のアメリカーナ・アーティストに与える影響に敬意を表している。

Loretta Lynn – Coal Miner's Daughter

 

■ウィリー・ネルソン/Willie Nelson (1933年~)
2018年4月に85歳を迎えたウィリー・ネルソンは、ハンク・ウィリアムスといった先駆者がダンス・パーティで演奏しラジオのエアプレイを独占していた時代と、現代を結ぶカントリー・ヒーローの生ける伝説だ。ウィリー・ネルソンは、カントリー、レゲエ、ジャズといった多彩なスタイルで実験し、革新的な音楽を作った名アーティストの1人で、彼の音楽はアメリカーナのアーティストに影響を及ぼし続けている。例えば、高い評価を得ているスターギル・シンプソンは、ウィリー・ネルソンの「I’d Have To Be Crazy」をカヴァーしている。ユニークなソングライティングで世代に影響を与えたウィリー・ネルソンは、1985年にはウェイロン・ジェニングス、ジョニー・キャッシュ、クリス・クリストファーソンとコラボレーションすると、ハイウェイメン名義でのアルバム『Highwayman』をリリース。批評家の絶賛を浴びると、4人は同アルバムのツアーも行った。ライアン・アダムス、キース・リチャーズ、パッティー・グリフィンなど、ウィリー・ネルソンに影響を受けたミュージシャンは、アルバム『Willie Nelson & Friends: Stars & Guitars』でウィリー・ネルソンと共演している。

Willie Nelson – My Own Peculiar Way

 

■マール・ハガード/Merle Haggard(1937年~2016年)
2016年、79歳で死去したマール・ハガードは、才能あふれるソングライター/マルチ・インストゥルメンタリストだった。マール・ハガードはまた、「Okie From Muskogee」(1969年)をはじめ、38曲ものナンバー・ワン・カントリー・ヒットを放ち、商業的にも大成功を収めた。バック・オーエンズとともに、ハガードは‘ベイカーズフィールド・サウンド’の主な提唱者として、洗練されたプロダクションや豪奢なオーケストレーションを拒絶し、気取らない本物のアコースティック・サウンドを支持すると、後のアメリカーナ・アーティストを導びいた。

マール・ハガードは、半世紀近くにわたって、カントリー・ミュージックにおいて最も影響力の大きなアーティストの1人であり続けた。90年代には若い世代のアーティストにも尊敬をもって認知され、ジョージ・ストレイト、ブルックス&ダン、ディクシー・チックスは、曲の中で彼の名前を出したほどである。

Merle Haggard – Okie From Muskogee (Live)

 

■ウェイロン・ジェニングス/Waylon Jennings(1937年~2002年)
ウェイロン・ジェニングスはカントリー・ミュージックのアウトロー・ムーヴメントの定義だと言えるようなアーティストだ。歌とギターだけでなく、彼はソングライターとしても知られている。バディ・ホリーのベーシストとしてキャリアをスタートしたウェイロン・ジェニングスは、60枚ものアルバムをレコーディングし、16曲のナンバー・ワン・カントリー・シングルを生み出した。「Mammas Don’t Let Your Babies Grow Up To Be Cowboys」など、ジェニングスが70年代に発表した楽曲が持つスピリットは後に、トラヴィス・トリット、スティーヴ・アールといったアーティストに継承された。

スティーヴ・アールによれば、ウィロン・ジェイングスのエレキ・ギターの使い方は、現代のアメリカーナ・ミュージシャンに影響を与え、こうしたミュージシャンはさまざまなサウンドで実験するようになったそうで、スティーヴ・アールはまた「ウェイロンは信じられないほどにサポートしてくれた。俺をショウに出させてくれたし、“The Devil’s Right Hand”を1回目はソロで、そして2回目はハイウェイメンととして、2回もレコーディングしてくれたんだ」と、個人的な思い出も語っている。

https://youtube.com/watch?v=LP5irLCDB4Q

 

■ニッティ・グリッティ・ダート・バンド/The Nitty Gritty Dirt Band(1966年~)
60年代を通じて、ボブ・ディラン、スタットラー・ブラザーズ、マーティ・ロビンスをはじめとするミュージシャンは、アメリカーナ・ミュージック・ブームの土台を築き続けたが、とりわけ重要な役割を果たしたバンドがひとつある。ニッティ・グリッティ・ダート・バンドだ。カントリー・ヒーローとしては見過ごされがちな同バンドは1966年、シンガー/ギタリストのジェフ・ハンナによって、カリフォルニア州ロング・ビーチで結成された。なお、ジャクソン・ブラウンも初期メンバーのひとりである。ハーモニカ/ジャグ奏者のジミー・ファデンは同バンドの結成当初について、アメリカのルーツ・ミュージックを演奏することがただただ楽しかったと語り、「バンドが結成された頃は、実験的な音楽をやるのが当たり前だった。60年代は、フォーマットなど大した問題じゃなかったんだ」とコメントしている。

アメリカのルーツ・ミュージックを提示したサウンドで、同バンドはリバティ・レコードの目に留まり、同レーベルと契約を結んだ。ヒット・シングル「Mr. Bojangles」を収録した5枚目のアルバム『Uncle Charlie And His Dog Teddy』は、純粋なアメリカーナ・ミュージックと考えられる最初のアルバムの1枚である。そして、1972年にリリースされた『Will The Circle Be Unbroken』は、同バンドはアメリカーナ・アーティストとしての評判を確固たるものとした。

Nitty Gritty Dirt Band – Will the Circle Be Unbroken [Live]

 

アルバム『Will The Circle Be Unbroken』は、アール・スクラッグス、ロイ・エイカフ、メイベル・カーター、ドク・ワトソン、ノーマン・ブレイクなど、カントリー界やブルーグラス界のレジェンドをフィーチャーしている。同アルバムに収録されているA.P.カーターの「Keep On The Sunny Side」は、28年後、映画『オー・ブラザー!』のサウンドトラックにも収録された。なお、コーエン兄弟が制作した同映画のサウンドトラックには、ギリアン・ウェルチ、アリソン・クラウスといった著名アーティストが参加し、印象深いアメリカーナの名曲を演奏している。

Written By Martin Chilton

♪ カントリー・ヒーローの音楽を網羅したプレイリスト「All Time Greatest Country Hits


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