R.E.M.のメジャー・デビュー作『Green』はプラチナ・ディスクを達成し、大規模なツアーを行ったことにより、彼らはロックンロール界のメインストリームに足を踏み入れることに成功した。だが、それに続く1991年の通算7作目『Out Of Time』がもたらした、マルチ・ミリオン・セールスやグラミー賞受賞、そして国際的なスターダムに対しては、彼らの準備態勢はほとんど整っていなかったと言える。
だがR.E.M.には、感心させられるほどの度胸があった。彼らは普段通り、本腰を入れて次の作品に取り掛かったのである。『Out Of Time』ではツアーを行わないことに決めたため、プロモーション業務が一段落した後は、彼らは完全に解放され、新曲に着手する自由な時間が持てた。ピーター・バック、マイク・ミルズ、ビル・ペリーの3人は、それをフルに活用し、91年夏には早くも地元のリハーサル・スタジオで一緒にジャム・セッションを行っていた。
R.E.M.のこれまで通りのやり方を踏襲し、ヴォーカリストのマイケル・スタイプはこの準備段階には加わってはいなかった。だがこういった初期段階のセッションが気軽なものだった一方、このミュージシャン3人は、同じ1つの目標を明確に共有していた。つまり『Out Of Time』の大半を彩っていた、内省的なフォーク調の音楽性を回避し、より速いアップビートなロック曲を選ぶということである。とはいえ、スタイプが後にローリング・ストーン誌に詳しく述べていたところによれば、1992年初頭にベリーとバックとミルズが彼にデモを聴かせた時は、スタイプの言葉を借りれば、それらは『ミッドテンポの、ものすごく異様な感じのものだった……。どちらかというとアコースティック寄りで、オルガンを基調としていて、ドラムスがあまり入っていないもの』だったとのことだ。
1992年の晩夏に完成した『Automatic For The People』がリリースされたのは10月5日、リード・シングルとなったのはオープニング曲「Drive」だ。音数の少ないセミ・アコースティックな同曲には、ジョン・ポール・ジョーンズによる弦楽アレンジで唐草模様のような装飾が施されており、短調でほぼバラード風。そこでマイケル・スタイプはこう歌っている。「なあキッズ、どこにいるんだい?/どうすべきかなんて誰も教えちゃくれないんだ」と。それはデヴィッド・エセックスのグラム・ロック・ヒット「Rock On」に対する明らかなオマージュだ。
『Out Of Time』の「Losing My Religion」同様、サビのない「Drive」は、若干風変わりであるものの大胆な意思表明となっており、その後の収録曲の多くが示していたように、R.E.M.は議題に上っていたロックンロールへの回帰を取りやめ、その代わり、ダークで黙想的なアルバムを作り上げた。本作は即座に、ビッグ・スターの『Third』や、ルーリードの『Magic And Loss』といった、荒涼としたロックの傑作と比較されることになる。
本作の暗い色調について、ピーター・バックが、R.E.M.の伝記作家デヴィッド・バックリーに説明していたところによると、このアルバムは「30代になるという……その感覚……僕らはとにかくこれまでとは違う場所にいる。そのことが、音楽的にも歌詞的にも表れて出てきたんだ」とのことだ。『Automatic…』の何曲かが、喪失感や哀悼といったテーマについて深く論じていたのは間違いない。例えば、黙想的な「Sweetness Follows」では死別について率直に語っている(「父と母を埋葬する準備をしている」)一方、聴き手の心を掴む「Try Not To Breathe」(「この震えが止まるまで、僕は息を止めていよう」)は、物議を醸した医師ジャック・ケヴォーキアン(別名「死の医師(ドクター・デス)」)について言及していると言われている。彼は、患者の意思による積極的安楽死を幇助した罪で、後に逮捕され裁判を受けた人物だ。
しかし全体を支配する荒涼感は、抽象的で取りとめのない「New Orleans Instrumental #1」や、ジャジーでオフビートな「Star Me Kitten」によって変化が加えられている。後にトップ20ヒットとなった、アップビートだが警句的な「The Sidewinder Sleeps Tonite」は、輝かしい「Man On The Moon」と共に、さらに雰囲気を和らげていた。夢見心地なカリプソ調のヴァースからアンセミックな怒涛のコーラスへと繋がっていく後者は、亡きコメディアン/俳優アンディ・カウフマンに対してマイケル・スタイプが個人的に捧げた曲であった。カウフマンはNYCを舞台にしたシットコム『Taxi』の役で恐らく最も有名だ。92年11月にシングルとしてリリースされた「Man On The Moon」は、米英の両国で大ヒットとなり、ファンや他のバンドの中で堅固な人気を保っている。
その他の曲では、反共和党的な心情を描いた『Document』調の「Ignoreland」が、このアルバムで唯一の騒がしいロックンロール・ナンバーとして気を吐いており、またスタックス調のやるせないソウル系バラード「Everybody Hurts」では、スタイプの円熟したヴォーカル・パフォーマンスが際立っている。全体が荒廃した暗闇に覆われているにも拘わらず、『Automatic…』の最後を締めくくっているのは、聴き手を鼓舞するような前向きな曲調が特徴の、華麗なバラード2曲だ。つまり、優美なピアノに縁取られた「Nightswimming」と、ニック・ドレイクの過小評価されているアルバム『Bryter Layter』を彷彿とさせる「Find The River」である。
R.E.M.作品の中でも、最も好奇心をそそるジャケットに収められている『Automatic For The People』。どこかクラフトワーク風で、R.E.M.らしからぬこのタイトルは、バンドの故郷アセンズの友人ウィーヴァー・D(Weaver D)が経営する軽食レストラン『Delicious Fine Foods』が掲げていたモットーが由来だ。このアルバムのジャケットを飾っている謎めいた星型のオブジェは、長年このレストランと関係があると信じられていた。だが実際には、レコーディングの大部分が行われたクリテリア・スタジオにほど近い、マイアミのビスケーン通りにあるシンバッド・モーテルの標識の一部であった。
『Out Of Time』同様に、評論家達は『Automatic For The People』を高く評価。ニューヨーク・タイムズ紙のアン・パワーズは、マイケル・スタイプは「今も揺るぎない才能に裏打ちされた非常に美しい声をしている」と述べていた。一方ローリング・ストーン誌のポール・エヴァンスは、バンドに5つ星を付け、こう宣言している。「本作でR.E.M.のメンバーは、これまで以上に深い所まで掘り下げている。より大きな悲しみを背負いつつ賢さを増したアセンズ出身の危険分子達は、新しく複雑な美を伴って揺らめく暗いヴィジョンを明かしている」と。
英国ではメロディ・メイカー誌のアラン・ジョーンズが、「『Automatic For The People』で、R.E.M.は絶好調だ」と訳知り顔に発表。一方、そのレビューでは、当時の多くの記事同様、マイケル・スタイプの健康状態に関して出回っている著しく不快な例の噂についても推測がなされていた。しかし、スタイプは元気一杯であることが判明。彼は多弁で頼りになるピーター・バックとマイク・ミルズの2人に、インタビューの仕事を任せていただけであった。2人とも、『Automatic For The People』が『Out Of Time』に匹敵する成功を収めることは恐らく出来ないだろうとの確信を述べている。「このアルバムの売上が1,000万枚に届くとは思えないな。現時点で400万枚だしね」と、1993年初めにミルズはNME誌に語っていた。「でもどうなんだろう? たとえ明日全く売れなくなっても、僕はそれで満足だよ。もしかしたら次のシングル2枚で拍車がかかるかもしれないし、先のことは分からないからね」。
全米チャートで2位を記録した『Automatic For The People』は、最終的には4度にも渡り全英チャートの首位に立った。今回もまたアルバム・ツアーを行わなかったにも拘わらず、同作は後に米国でクワドラプル・プラチナ(プラチナ×4)を達成、英国ではセクスタプル・プラチナ(プラチナ×6)を達成した。全世界の合計売り上げは、後に予測を遥かに超え、累計1,500万枚以上の驚くべき数字を記録している。
批評的な意味においても、芸術的な意味においても、恐らく『Automatic For The People』は、R.E.M.にとっての絶頂期だったと言えよう。1993年のグラミー賞では、名誉ある最優秀アルバム賞にノミネートされ、また後にはローリング・ストーン誌が選ぶ『90年代の最も偉大なアルバム100選』で18位にランクイン。今も幅広い賛辞を受け続けている。だが、これほど全身全霊で取り組んだ、自己分析的なアルバムをレコーディングした後ですら、彼らはさらなる方向性の転換を必要としていることを自覚していた。次のアルバムのデモ作りに着手した際、彼らは、ピーター・バックがNME誌に語っていた次のような予言を心に留めていた:「次のアルバムは、すごくノイジーなものになる。そしてそれを引っ提げてツアーを行うつもりなんだ」と。