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ジョージ・ハリスン 『WONDERWALL MUSIC(邦題:不思議の壁)』

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『WONDERWALL MUSIC(邦題:不思議の壁)』

ジョージ・ハリスンがインド音楽に興味を持ち始めたのは1965年。その年の12月に録音した「Norwegian Wood(This Bird Has Flown)(邦題:ノルウェーの森/ザ・ビートルズの楽曲)」を聴けば、彼がそこでシタールを弾いているのが分かる。シタールに対するジョージの関心が高まったのは、ビートルズが映画『ヘルプ!』を撮影している間のことで、彼らはあるシーンをインド料理レストランで撮った。撮影が終了してから程なくして、アメリカ・ツアーに向けてビートルズがロサンゼルスに滞在していた際、ジョージはザ・バーズ(The Byrds)に会い、ラヴィ・シャンカールのアルバム『Portrait of a Genius』を聴くように勧められた。 ジョージ曰く、「そのアルバムをかけたら、自分の中の、どこか言葉では説明できないツボを突かれたんだ。でも自分にとって、すごく馴染みのあるものに思えたんだよ」。

その後、ジョージはロンドンでシャンカールと会い、1966年9月半ばにはボンベイに飛んで、タージ・マハル・ホテルに滞在。翌月の殆どを、そのインド人熟練音楽家からシタールのレッスンを受けて過ごした。 1967年3月、ジョージはロンドン・エイジアン・ミュージック・サークルのメンバーである4人のインド人ミュージシャン達と共に、『Sgt. Pepper’s Lonely Hearts Club Band』収録の「Within You, Without You』をレコーディングする。

1967年後半、『ヘルプ!』のセットでビートルズに会っていた映画監督ジョー・マソットは、当時彼が制作していた映画の音楽を作曲しないかと、ジョージに持ちかけた。これが後に『ワンダーウォール』と呼ばれる映画である。 マソットは当初、アイルランドの俳優ジャック・マッゴーランが演じる孤独な教授を主人公にしたその映画の音楽を、ビー・ジーズに担当してもらおうと考えていた。この教授は、隣に引っ越してきたジェーン・バーキン演じるヴォーグ誌モデルのペニー・レインという美女に目を奪われ、彼女に執着するという役柄だ。

好きなものを何でも好きなように作曲して良いという、芸術的自由を完全に与えられたジョージは、西洋のリスナーにインド音楽をより深く知ってもらうチャンスをつかんだ。 彼は様々なインドの楽器のための曲を作曲。その楽器とは、例えばオーボエのようなシャハナーイ、リュートに似たサロード、最大100本の弦を持つハンマード・ダルシマーの一種であるサントゥール、そしてもちろんシタールだ。 このサウンドトラックを完成させるため、彼はより伝統的なロック&ポップを土台にした曲も書いている。クラシック音楽の教育を受けたピアニストであり編曲家のジョン・バーラムとコラボレーションを行い、バーラムはジョージが彼に歌って聴かせたものを楽譜に書き起こした。 ジョージ同様、バーラムもインド伝統音楽の愛好者であった。 ジョージによれば、「僕はネジ巻き式ストップウォッチを持っていて、それを片手に映画を見ながら、音楽を入れる“目印”を計った。その計時をノートに書き付けて、その後スタジオに行き、曲を書いて、それを録音したんだ」。

そのスタジオとはアビイ・ロードのことで、『Wonderwall Music』のレコーディングは1967年11月22日に開始。さらに同じくロンドンのディ・レーン・リー・スタジオで、追加のセッションが行われた。1968年1月、ジョージはボンベイに赴き、HMVスタジオでインド音楽の残りの部分を録音。インドのスタジオはロンドンと比べるとやや原始的で、「In the Park」を含む何曲かでは、車が通りを行き交う雑音が微かに聞いて取れる。

ボンベイにいる間に、ジョージはビートルズのシングル「Lady Madonna」のB面となった「The Inner Light」のバッキング・トラックも録音している。 最終的なオーバーダブを行うため、英国に戻り、このサウンドトラック・アルバムの作業は2月15日までに全て完了した。その後、ジョージとジョン・レノンは、それぞれ妻を伴って、マハリシ・マヘシュ・ヨーギのもとで超越瞑想を学ぶため、インドへと向かった。

インド人ミュージシャン勢とジョン・バーラムに加え、このサウンドトラック・アルバムで中心的な役割を果たしていた西洋音楽のミュージシャンは、ブライアン・エプスタインがマネージャーを務めていた、ザ・リモ・フォー(The Remo Four)というリバプールのバンドだ。 彼らは、ギタリストのコリン・マンリー、キーボードのトニー・アシュトン、ベースのフィリップ・ロジャース、そしてドラマーのロイ・ダイクの4人組。 マンリーはポール・マッカートニーの中学時代の同級生だった。 アシュトンとダイクは後に、ギタリストのキム・ガードナーと組み、アシュトン、ガードナー&ダイクを結成する。ガードナーはザ・クリエーションの元メンバーで、以前はロニー・ウッドと共に、ザ・バーズ(The Birds)で活動していた。 ディープ・パープル解散後の1977年、アシュトンは(元ディープ・パープルの)イアン・ペイスおよびジョン・ロードに加わり、ペイス、アシュトン&ロードを結成する。

リンゴ・スターエリック・クラプトンの両名が参加している「Ski-ing」では、他にモンキーズのピーター・トークがバンジョーを演奏している。この曲でファジーなブルースのギター・リフを弾いているエリック・クラプトンは、当時まだクリームのメンバーで、本プロジェクトへの参加は彼にとって、ジョージとの最初のコラボレーションとなった——その後、二人のコラボが数多く行われたことは言うまでもない。また、BBCテレビの『Dixon of Dock Green』のテーマ曲を吹いていることで最もよく知られているハーモニカ奏者のトミー・ライリーが、西洋ミュージシャン勢の一角を占めている。

1968年5月17日、ジョージはカンヌ映画祭で行われた『ワンダーウォール』のプレミア上映に出席。映画製作者側がサウンドトラックの版権取得に失敗した後、ジョージはアップルを通じ、1968年11月にアルバム『Wonderwall Music』をリリースした。これはビートルズが新たに設立した同レーベルからの最初のアルバム・リリースであると同時に、ビートルズのメンバーによる初のソロ・アルバムとなった。

- Richard Havers

ジョージ・ハリスンアーティストページ

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George Harrison - Wonderwall

 

 

George Harrison - Wonderwall Music

George Harrison - Wonderwall Music

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