デラニー&ボニー・ツアーは大所帯で行われ、ジョージ・ハリスンは友人のエリック・クラプトンとデイヴ・メイソンの他、ボビー・ウィットロック、カール・レイドル、ジム・ゴードンと共演。エリック・クラプトンは後者3人を引き抜いて、1970年の夏、共にデレク&ザ・ドミノスを結成し、ジョージ・ハリスンのソロ・アルバム『All Things Must Pass』のレコーディングにも参加した。その翌年、ジョージ・ハリスンは『Concert For Bangladesh(コンサート・フォー・バングラデシュ)』を開催し、1974年には『The Dark Horse Tour(ダークホース・ツアー)』と銘打った北米ツアーを行い、同名のレーベル設立および同名アルバムの発売を発表。このツアーは、大部分のファンからは好評を得たものの、批評家達からは不当な評価を受け、その反応にジョージ・ハリスンは傷ついた。
その後、ジョージ・ハリスンが次のツアーに出るまでには、17年の歳月を要することになる。彼がツアー活動を再開したのは、1991年12月に行われた一連の日本公演で、エリック・クラプトン率いるバンドが同行するジョイント・コンサートの形であった。この時のツアーから制作されたのが、アルバム『Live In Japan』だ。本作は、ザ・ビートルズの一員として、そして20年に渡るソロ・アーティストとしてのジョージ・ハリスンのキャリアを称える、心からの喜びと高揚感に満ちた作品となっている。コンサートの冒頭を飾ったのは、『Revolver』に収録されたジョージ・ハリスン作の3曲のうちの3つ目「I Want To Tell You」で、本ライヴ盤に収められているパフォーマンスは、このアルバムの素晴らしさを集約。そのヴォーカル・ハーモニーは、ザ・ビートルズを彷彿とさせながらも、独自の新鮮さを放っており、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンとの間で生まれる音楽的な相互作用は、彼らの友情と同じくらい親密さに溢れている。
バンドの残りのメンバー達も、格別にタイトであった。全体を下から見事に支えていたのが、ベース担当のネイサン・イーストと、ドラムス担当で元アヴェレージ・ホワイト・バンドのスティーヴ・フェローンから成るリズム隊だ。またキーボード担当のグレッグ・フィリンゲインズとチャック・リーヴェルは、例えば「Isn’t It A Pity」で特に美しい効果を発揮しているように、ジョージ・ハリスンの“特徴的サウンド”に不可欠な重層のサウンドスケープを生み出すのに、多大な貢献を行っている。
その他のハイライトには、『Abbey Road』に収録されていた「Here Comes The Sun」の繊細なヴァージョンがある。そしてそれに続く「My Sweet Lord」では、ジョージ・ハリスンの“ヴェーダ聖典の詠唱を盛り込んだ、ゴスペル的な繰り返し”を忠実に再現。バック・シンガーのテッサ・ナイルズとケイティ・キッスーンがここで前面に出ており、ジョージ・ハリスン独特のスライド・ギターで、曲はクライマックスに達する。そしてその全てが、日本の聴衆の熱狂的な反応を引き起こしているのだ。
「While My Guitar Gently Weeps」は、ローリング・ストーン誌が選んだ「史上最高の150曲」にもランク・インしているが、この『Live In Japan』におけるヴァージョンは、ジョージ・ハリスンが手がけたこの名曲の評価を更に高める役割しか果たしていない。元々はザ・ビートルズの『White Album』用に書かれ、録音されたこの曲。本作でのヴァージョンにも、オリジナル同様、エリック・クラプトンによる最高のソロのひとつが含まれている。感情豊かかつ強力で、高く舞い上がるようなそのソロは、ギターの神々の大殿へと聴き手を誘う。その後、ジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンは、それ以前も以後も数多くの人々がそうしてきたのと同じように、チャック・ベリーの古典「Roll Over Beethoven」を披露して、ショーを締めくくった。そこでは、アルバムの残りの曲と同じく、アーメン・コーナーの元フロントマンだったアンディ・フェアウェザー・ロウが、第3ギターを担当している。
その意見には、私達も同意だ。私達の殆どが、その現場に居合わせることはできなかったが、この『Live In Japan』は、グレイテスト・ヒットを集めたベスト盤の精髄に、ライヴ・パフォーマンスの臨場感と新鮮さを融合させた、素晴らしい高揚感に溢れるドキュメンタリー記録作品である。今聴いても、自分達のやっていることを愛し、互いの音楽を分かち合うことを楽しんでいるこの2人のギターのヒーローには、驚嘆させられるばかりだ。