ジュディ・ガーランドはなぜゲイの人々から支持され、ゲイ・カルチャーのアイコンになったのか?

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2020年3月6日に日本公開される、歌手であり俳優のジュディ・ガーランドの伝記映画『ジュディ 虹の彼方に』。この映画の中にはジュディを長年愛する二人のゲイの人物が登場している。また、LGBTQ+の人たちが自らの象徴とするレインボーフラッグはジュディ・ガーランドが歌う「Over The Rainbow」がもとになっているとも広く語られる。では、なぜ彼女はゲイの人たちに好かれたのか? 彼女の何が彼ら/彼女らに届いたのか?

アメリカ演劇・日本近現代演劇を中心とする演劇史・演劇批評が専門の成蹊大学文学部教授で、初の単著『アメリカン・ミュージカルとその時代』が3月25日に刊行予定の日比野 啓さんに、この疑問について解説頂きました。


 

ジュディ・ガーランドはゲイネスと同義である

アメリカ人なら誰もがジュディ・ガーランドを伝説的なスターだと言う。だが彼女はまた、ゲイの人々にとっても特別の存在だった。1967年創刊の最古参のゲイ・マガジン『アドヴォケイト』でバリー・ウォルターズは、「ジュディ・ガーランドとはゲイネス[ゲイ性、ゲイであること]とほぼ同義であり、ホモセクシュアルのエルヴィス[・プレスリー]」だと書いた。ジュディが映画『オズの魔法使』(1939)で演じた少女ドロシーに因んで、ゲイの人たちは自分たちのことをしばしばフレンズ・オブ・ドロシー(ドロシーの友人たち, FOD)と呼んだ。

もちろん、ゲイ・カルチャーのアイコン的存在は他にもいる。マドンナやシェール、そしてジュディの娘のライザ・ミネリもそうだ。(生物学的な)男性では、エルトン・ジョンやフレディ・マーキュリーが挙げられるだろう。けれども男女問わず、つねに人気のトップにいるのはジュディ・ガーランドだ。

 

ジュディの生きた時代に、ゲイへの差別はまだ強烈だった。ハリウッドでもブロードウェイでもゲイの人たちはたくさん働いていたけれど、オープンにゲイを標榜している人は少なく、その多くがクローゼット・ゲイだった。生前のジュディはゲイのファンが多いことが気にならないかと尋ねられて、「全然。私はみんなに歌うから」と答えた。ゲイの人々にとって、これはとても勇気づけられる発言だった。

だからジュディをゲイ・カルチャーのアイコンとして過大に祭り上げる傾向もある。1969年6月28日にニューヨーク・グリニッジ・ヴィレッジのゲイバーで始まったストーンウォールの反乱は、ゲイの人々が公然と警察に立ち向かった歴史的な事件だったが、これにはジュディの葬式が引き金となったというまことしやかな説がある。現場となったバー、ストーンウォール・インの近くの教会でその前日ジュディの葬式がとり行われ、参列した者にはそのままバーに足を運んだ者もいた。その晩から翌朝早くにかけて酒を飲みながらジュディの死を悼んでいたところに、警察官が踏み込んで心ない言葉を発したのでゲイの人々が怒ったというものだが、この「神話」を証拠立てるものはどこにもない。

あるいは、LGBTQ+のシンボルとなったレインボー・フラッグは、『オズの魔法使』のナンバー「Over The Rainbow / 虹の彼方」に由来するものだ、という説がある。しかしレインボー・フラッグをデザインしたギルバート・ベイカーの死後に出版された自伝『Rainbow Warrior: My Life in Color』(2019)には、そのような説明はどこにもない。

それでも、ゲイの人々がジュディに親近感を持つようになったのは『オズの魔法使』がきっかけだったことは間違いない。公開当時『オズの魔法使』は観客をそれほど動員できなかったのだが、第二次世界大戦が終わりテレビの商業放送が本格化すると、コンテンツ不足に悩んだテレビ局が『オズの魔法使』をはじめとする戦前の子ども向け映画(アニメを含む)を大量に買い付けて放映するようになる。だから1950年代前後に子ども時代を過ごしたゲイの人々は、テレビで『オズの魔法使』を観てジュディに魅了されていった。

では『オズの魔法使』がゲイの人々にとってどこが特別なのか。よく言われるのは、この映画が「キャンプ」な感性に満ちているからだ、ということだ。感受性や趣味としての「キャンプ」を一言で説明するのは難しいし、この言葉を世に広めることになったスーザン・ソンタグ「キャンプについての覚え書き」でも、「明確な定義を与えるものではない」と言っている。それをあえて定義すれば、人工的でわざとらしいもの、どぎつく悪趣味なものを「愛でる」態度、と言うことになるだろうか。絵画に風景画というジャンルがあることからわかるように、人類は自然に美を見出すことが多かったが、ゲイの人々は「自然」に見えるもの、そのことによって権威や正当性を獲得していると考えられているものをあえて斥け、「俗悪さ」「安っぽさ」への偏愛を表明する。それがキャンプだ。

現在、キャンプの美学をもっともよく体現していると言えるのはドラァグ・クイーンたちだが、1939年に製作・公開された『オズの魔法使』にも、キャンプ的な要素はあちこちに散りばめられている。たとえばオズの国の場面でのどぎつい色遣いは、モノクロで撮影したフィルムをわざわざ彩色してカラーに仕立てたものだ。オズの国の住人であるマンチキンは、小人症の人々と子役の俳優の「コスプレ」であって、これもまた「自然」には見えない。

 

キャンプの美学にはまた、一見するとストレートに見えるよう偽装することも含まれている。ただし、うまく隠して誰にもわからないようにするのではなく、隠しつつ、いわば思わせぶりにウィンクをしてみせることで、隠していることを自ら暴露することもそこに含まれる。エメラルド・シティに向かうドロシーの道連れとなる三人のうち、ブリキ男はよく見るとまつ毛が長く、口から息を漏らしながら「な、な、なんてことかしら!」(my, my, my, my goodness)と女性的な言葉を使う。「If I Only Had a Heart / 心があれば」というブリキ男が歌うナンバーの歌詞には「愛とアートのことになると私は繊細で、優美で、とても感傷的になる / I’d be tender; I’d be gentle, and awful sentimental, regarding love and art」という一節があるが、これはアート好きの同性愛者の一典型を歌ったものだ。

臆病者のライオンはハンカチがわりに自分のしっぽを目尻に当てて泣くので、女性のように見えるし、「If I Only Had The Nerve / 勇気があれば」というライオンのナンバーには「意気地なしに生まれると / when you’re born to be a sissy」という歌詞がある。sissyとは「女の子のような男の子」「弱虫」という意味から転じて「同性愛の男」を表すから、これも「わかる人向け」のメッセージになっていることがわかる。

カカシだけは外見でそうはっきりとわかるわけではない。けれどもドロシーと出会った際に、二又に分かれている道に立っていたカカシが、「どちらに言ったらいいだろう」と呟くドロシーに向けて、左腕を上げて「あっちが素敵だよ」と答え、「誰が言ったの」とドロシーが尋ねると右腕を上げて「こっちも素敵だ」と答えた後に、両腕を交差させて「もちろん、どっちの方角でも大丈夫だ / Of course, people do both ways」と言う、それが同性愛も異性愛もどちらもいいのだ、という隠れた意味がある、とはしばしば指摘されていたことだ。

『オズの魔法使』がこうしたキャンプ的な要素に満ちているのは、もちろん偶然ではない。この映画のスタッフにはゲイが多かった。『オズの魔法使』製作にあたり正式な製作者としてはクレジットされていないが、ジュディ・ガーランドをキャスティングするにあたって隠然たる影響力を行使し、やがて多くのMGMミュージカル映画の製作者として辣腕を振るうアーサー・フリードは、その後もゲイのスタッフを多く雇用したため、彼らは「フリードの“オカマ”たち」(Freed’s Fairies / “Fairy”は男性同性愛者のことを指す侮蔑語)と呼ばれるようになった。

もちろん、のちに映画化もされた研究書『セルロイド・クローゼット』が示すように、他のハリウッド映画でも、ゲイやレズビアンの表象がはっきりとあるいは巧みに隠されて示されているものは多い。たしかに『オズの魔法使』は多くのほのめかしに満ちているけれど、唯一のものではない。

だからゲイの人々がジュディに関心を寄せるきっかけになったのは『オズの魔法使』だったけれど、それだけではない。ジュディ・ガーランドの人となり、そしてなによりもその生きざまをゲイの人々は支持した。スターとして華やかな人生を人前で演じてきたジュディが、実生活では彼女を食い物にする人々たちにいいように利用され、痩せ薬として与えられた覚せい剤で中毒になり、アルコールにも溺れ、破滅的な人生を歩む。それでも彼女は自分らしく生きようと懸命に努めたし、何度も破綻した結婚生活をはじめとする自分の過酷な運命を引き受けるだけの度胸があった。スティーヴン・コーハンは、ジュディの人生における虚と実のどうしようもない不一致(incongruities)がゲイの人々にとって特別の魅力を持っていた、と論じる。現実の自分と、人前で演じている自分のどうしようもない不一致。それはまた、自分たちの性的指向を明らかにできないゲイの人々にとって、自分たち自身の人生において体験していたものでもあった。

 

もうすぐ公開される映画『ジュディ 虹の彼方に』のサントラでは、ジュディ役を務めるレネー・ゼルウィガーが歌う「By Myself / 一人きりで」が一曲目に収録されている。歌のうまさにも驚くが、ジュディの完コピではなく、自分の個性を残したままジュディらしく歌うゼルウィガーの器用さにも感心する。映画のクライマックスに使われるこの曲が一曲目に来ているのは、映画の作り手たちにとって「Over The Rainbow」ではなく、「By Myself」がジュディの人生を表すナンバーだと考えたからだろう。

私は一人で自分の道を行く 今日でロマンスは終わり
私は一人で自分の道を行く 愛はただのバカさわぎ
私は自分のことに打ち込み 自分の心に歌うように教える
私は一人で自分の道を行く 飛んでいる鳥のように
私は未知のものに立ち向かい 自分の世界を築く

集団による同調圧力が強く、「型」に嵌められることの多い日本に比べて、合衆国で人はもっと自由に、個性的に生きられる、と思っている日本人は多い。しかし合衆国は合衆国で別の同調圧力が働く社会であって、本当に自由に、かつ自分らしく生きるのはたとえゲイでなくても難しい。だからこそ、「一人で自分の道を行く」ジュディは尊敬と憧れをもって今でも眺められているし、「一人で自分の道を行く」のを貫こうとするあまり、器用に生きることができなかったジュディは同情と共感の対象となる。ゲイの人々にとってジュディは永遠のアイドルなのだ。

Written By  日比野 啓


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ミュージカルから読み解く時代と社会
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映画『ジュディ』 オリジナル・サウンドトラック 

  


映画『ジュディ 虹の彼方に』

2020年3月6日より全国ロードショー
公式サイト: https://gaga.ne.jp/judy/



 

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