ケンドリック・ラマーの「Not Like Us」がなぜグラミー賞で完勝したのか
先日発表された第67回グラミー賞にて4つの主要部門のうち、「Record Of The Year」と「Song Of The Year」含む今回の最多受賞となる5部門を獲得したケンドリック・ラマー(Kendrick Lamar)。
この受賞楽曲である「Not Like Us」について、ライター/翻訳家の池城美菜子さんに解説頂きました。
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ケンドリック・ラマーがまたしてもやらかした、ちがった、やり遂げた。第67回のグラミー賞の主要4部門(最優秀レコード/楽曲/アルバム/新人)のうち、「Not Like Us」で2つを制したのだ。また同曲で最優秀ミュージック・ビデオ、ラップ・ソング、ラップ・パフォーマンスをも受賞し、今年の最多である5つのトロフィーを持ち帰った。
合計7部門のノミネートのうち、2つはフューチャーとメトロ・ブーミンの『We Don’t Trust You』収録の「Like That」で最優秀ラップ・ソングと最優秀ラップ・パフォーマンス部門にダブルでノミネートされていたため、実際には全ノミネート部門全制覇、完勝である。
念のため、いまひとつちがいがよくわからない最優秀レコードと楽曲部門を説明すると、「レコード賞」は曲全体の構成やトラック全体を指し、アーティストだけではなく、レコーディングに携わったプロデューサーやエンジニア、ミュージシャン全員に贈られる。一方の「楽曲賞」は作詞と作曲をした人に特化した賞だ。
また、最優秀アルバムを含め、「セールスやチャートの順位に関係なく、レコーディング業界における芸術的業績、技術的熟練度、総合的な卓越性を称える(honor artistic achievement, technical proficiency and overall excellence in the recording industry, without regard to sales or chart position)」と明記もされている。つまり、人気投票ではないので、「○○のほうが売れた/話題になった」という意見は的外れだろう。この点で、よりチャートを重視するアメリカン・ミュージック・アワード(AMA)などほかのアワードとグラミー賞は一線を画す。
チャイルディッシュ・ガンビーノに続いて2人目
ヒップホップの曲がレコード部門と楽曲部門を受賞するのは、2019年のチャイルディッシュ・ガンビーノ「This Is America」以来、2回目だ。ガンビーノの曲は、アメリカ合衆国がどう黒人の人々を扱ってきたか、という問題提起を含み、衝撃的であった。
ルドウィグ・ゴランソンが中心に手がけた重層的なトラックはアフロビーツやクワイヤー(聖歌隊)の要素もあり、質の高さが評価されたのが受賞理由であるのはまちがいない。また、2018年に主催のレコーディング・アカデミー前会長のスキャンダルとともに、「グラミー賞の選考委員会は年配の白人男性に偏っているのでは?」という指摘が噴出し、選考過程の透明性が問題視されて、委員会の多様性をふくめて改善が図られたことも関係しているはずだ。実際、賞のプレゼンターは必ず「1万3000人の選考委員の投票によって決められた‥」と念を押している。
ケンドリック・ラマー「Not Like Us」はドレイクとのビーフの渦中で生まれた、端的に言って「悪口」の曲だ。ヒップホップ云々のジャンルを抜きにしても、曲の半分が個人を攻撃している曲がそもそもノミネートされて筆者は驚いた。受賞したらおもしろい、と思いつつ、「ないだろうな」とも予想していたのだ。
このふたつの部門のグラミー賞の歴史をふり返ると、ストーカー目線での恋情を歌うスティングが作曲したポリスの「Every Breath You Take」や、逆にストーカー化したファンの女性を「恋人ではない」と切り捨てるマイケル・ジャクソンの「Billie Jean」はあった。ちなみに、それぞれが1984年の最優秀楽曲と最優秀レコード部門を制している。
2008年にはエイミー・ワインハウスが「(アル中を心配されているけど)絶対にリハビリには行かない」と吐き捨てた「Rehab」で両部門を、2013年は「We Are Young」でファン.がバーで倒れるまで飲むが勝ち、との主旨のヒットをジャネイ・モネイと高らかに歌い上げて最優秀楽曲賞を獲っているから、意外な切り口の歌詞がアメリカを席巻し、評価されることはたまにある。
「We Are Young」の中心的なソングライターは、元ファン.、現ブリーチャーズのメンバーでもあるジャック・アントノフだ。いまはテイラー・スウィフトの右腕的存在なソングライター/プロデューサーであり、ケンドリックの最新作『GNX』ではメインプロデューサーをサウンウェイヴと2人で請け負った。
異質なディス曲の受賞理由
このように、過去にも意外な切り口の受賞曲はあったものの、「Not Like Us」の受賞はやはり異質だ。ボイコット中とはいえ、これまでにグラミー賞に55回もノミネートをされ、5つ受賞しているドレイクを名指しで口撃しているのだ。
ヒップホップのビーフ文化を楽しむには、それなりの基礎知識と時間を要する。たとえば、今世紀初めにキング・オブ・ニューヨークのタイトルを巡ってナズとジェイ・Zがどう死闘したのか、いまふたりがどのような関係なのかを知っていれば、ビーフは現実と直結しない「言葉の格闘技=ケンカ芸」だと理解できる(ふたりはSNSでいじり合う仲だ)。
昨年の3月にケンドリック・ラマーが「Like That」のゲストヴァースで「(ヒップホップの)ビッグ3とかくそくらえ ビッグなのは俺だけだ」と返して本格化した今回のビーフ。前述したようにフーチャーとメトロ・ブーミンの共作『We Don’t Trust You』と収録曲の「Like That」は、アルバムを含めて今回4部門にノミネートされている。ちなみに、「ビッグ3」のひとりとして2023年の秋に「First Person Shooter」でドレイクと一緒にケンカを売ったJ.コールも、最優秀ラップ・アルバムにノミネートされた。
そのJ.コールのミックステープ『Might Delete Later(あとでこれ消すかも)』でケンドリックへのディス・トラック「7 Minutes Drill」を入れて話題になったが、タイトル通りに当該曲を消してビーフから降りた。J.コールはグラミー賞ラップ部門の常連ではあるが、今回のグラミー賞は去年のビーフ絡みの作品にずいぶん焦点を当てている印象だ。
4月半ばにドレイクが「Push Ups」と「Taylor Made Freestyle」で2発やり返し、ケンドリックが30日に「Euphoria」で応戦。そこから強烈な反撃に出て「6.16 LA」を投下、ドレイクが「Family Matters」でケンドリックとパートナーのホイットニーの関係を疑問視するラインをラップすると、その報復にケンドリックは「meet the grahams」でドレイクの隠し子に言及し、翌日の「Not Like Us」で彼を「ペドファイ(小児性愛性)」と呼んだ。
どちらも実子を巻き込んだのは日本人の感覚では少し引いてしまうものの、それらの内容をすべて事実だと取るヒップホップ・ファンはいない。実際、トロントの警察にたいしてドレイク陣営が未成年と不純な交際をしていないか捜査をけしかけるような動きもない。せいぜい、年下の友人を自慢して「イケてる感」を出すのは、あまりいい印象を与えないらしい、とリスナーは学んだくらい。
では、ケンドリックの「Not Like Us」がなぜ受賞したのか。もっとも大きな理由は「2024年を代表する曲」だったから。2日間でケンドリックが3発お見舞いして完封を決め、エンターテイメントで大いに世間を盛り上げた。そのうえ、短期間で決着したにもかかわらず、曲のレベルの高さに世間は驚いたのだ。授賞式で全勝を意味する“sweep”に引っかけてほうきで掃く仕草を見せたマスタードによるトラックの完成度はもとより、語彙力や瞬発力まで必要とするトップ・ラッパーの凄さを目の当たりにした事件であった。
また、筆者の考察として、ロサンゼルスやオークランドに言及して地元の連帯を見せつけるラインもありつつ、ドレイクと彼のOVOのチーム全体を「俺たちとはちがう」と言い切ったラインが、大統領選を控えて意見や価値観がまったくちがう人々の存在に脅威を感じていた、アメリカ人の心情にもマッチしたのではないか。
ポップ・ミュージックにおいて、作り手がまったく意図しない文脈でリスナーが解釈したまま流行ることがある。たとえば、四半世紀前の名曲、アウトキャストの「B.O.B. (Bombs Over Baghdad)」。「中途半端に物事を始めるな」という警告を含む、社会派のリリックとドラムン・ベースを取り入れたトラックの斬新さで『Stankonia』が出た2000年当初、リリックをきちんと聴くファンを喜ばせた。
ところが、翌年にワールドトレード・センターが爆破される同時多発テロ事件が起こると、イラク攻撃を鼓舞する曲としてラジオでかかるように。アンドレ3000もビッグ・ボーイもアメリカ軍の攻撃にはっきり反対し、タイトルの「バグダッドに降る爆弾」は言葉遊びで深い意味はない、と明言していたにもかかわらず、だ。筆者は今回も「Not Like Us」を好んで聴く=ドレイクを本気でディスりたい、ではないと思っている。この曲が大流行する一方で、ドレイクはあいかわらずストリーミングの再生回数で不動の強さを誇ってもいる。
女性ポップ・アーティストの票が割れた可能性も
グラミー賞の選考過程に話を戻そう。前述したように2019年にグラミーの選考委員の刷新が行われて、全体に若返りを果たしたこともケンドリック・ラマーの大勝の一因にある。また、さまざまな主要部門のノミネート枠が8つになったのも、今回は彼に有利に働いたかもしれない。
最優秀レコード部門はザ・ビートルズ「Now and Then」を除くと、ほかの6枠が女性。おまけにビヨンセの「TEXAS HOLD ‘EM」以外の5曲、ビリー・アイリッシュ、テイラー・スウィフト、チャペル・ローン、サブリナ・カーペンター、チャーリーXCXと大きなくくりでポップスであり、事前に最有力候補と目されたサブリナの「Espresso」の票がバラけた可能性は否定できない。
また、ソングラインティングが重視される最優秀楽曲部門の有力候補は、ビリーの「Birds of a Feather」だった。「似た者同士なんだから、死ぬまで一緒にいよう」と恋人に歌いかける、軽やかな曲調とは裏腹に重めの歌詞だ。彼女と同じくらいグラミー・ダーリング(お気に入り)のブルーノ・マーズとレディー・ガガの「Die with a Smile」も、微笑みながら愛する人の横で死にたいと歌っている。
サブリナとテイラーは相手の特定込みで流行ったリアルな失恋ソング、ポップスとカントリーをまぜたビヨンセとシャブジーはウィスキーが出てくるパーティー・ソングだ。2010年代後半からアメリカのポップ・ミュージックは「死」の影が濃い歌詞が目立ってはいるが、相手をストレートに倒そうと殺気立っているのは、ケンドリックだけだった。
「Not Like Us」リリースの2ヶ月後に公開されたMVの再生回数は、2025年2月初旬の現時点で3億回を超える。コンプトンの風景から始まるビデオではドレイクのOVOのシンボル、フクロウを壊し、彼の『Dark Lane Demo Tapes』のアートワークに寄せたセットや、ケンドリックへのディストラック「Push Ups」に目配せをして刑務所で腕立て伏せをしたり、同様に「Family Matters」への返答としてホイットニーとともに2人の子どもと遊ぶ、仲のいいシーンを見せつけたりと徹底している。これをグラミー全体で評価したのは、アメリカの「やられたらやり返せ」という好戦的なお国柄を感じずにはいられない。
LAの街とヒップホップに敬意を表したスピーチ
最後に、授賞式のケンドリック・ラマーのスピーチを解説しよう。ひとつめのスピーチは最優秀楽曲賞の際。クリスチャンらしく神様と亡くなったばかりの叔母に言及したあと、ロサンゼルスの街全体に謝辞を述べたのだ。
“Compton, Watts, Long Beach, Inglewood, Hollywood, out to the Valley, Pacoima, IE, San Bernardino, all that. You know, this is my neck of the woods that held me down since I was in the studio scrapping to write the best raps and all that, in order to do records like these. So I can’t give enough thanks, you know, to these places that I rolled around since high school. And most importantly, the people and the families out in the Palisades and Altadena. This is a true testament that we can continue to restore this city. And yeah, we gonna keep rocking.”
「コンプトン、ワッツ、ロングビーチ、イングルウッド、ハリウッド、(サンフェルナンド・)ヴァレー、ペコイマ、インランド・エンパイア、サン・バーナディーノ、全部だ。俺をずっと支えてくれた地元なんだ。スタジオで最高のラップを書こうと紙に書き殴っていた頃からね。おかげで賞をもらうような曲ができた。だから、高校からうろうろしてきたその地域には感謝しきれない。そして何より、パリセーズとアルタデナに住む人々、家族へ。これは、俺たちがこの街を復興させ続けられるという真の証です。そう、これからも俺たちは前進し続けるから」
今年のグラミー賞全体で山火事の被害者への寄付を募り、消防隊員らに感謝を伝える構成だったため、ロサンゼルス育ちのケンドリック・ラマーのこのスピーチはとくに真摯に響いた。最後から2つめに発表された、最優秀楽曲賞の受賞のプレゼンターはダイアナ・ロスだった。まずケンドリックはロスに敬意を表してから、前述のMVでギャングのクリップスのダンスを一緒に踊ったホイットニーに捧げ、ヒップホップそのものに言及したのだ。
“All the West Coast artists, from early on — G Malone, Problem, Bad Lucc, K-Bo, Daylyt … these are the cats that inspired me to be the MC I am today. Schoolboy, J-Roc, Ab-Soul, this is what it’s about, man. Because at the end of the day, nothing more powerful than rap music — I don’t care what it is. We are the culture. To all the young artists, like my man Punch say, I just hope you respect the art form. It’ll get you where you need to go
「西海岸の先輩アーティストのみんな – Gマローン、プロブレム、バッド・ルック、Kボー、デイリットはみんな、俺が今のMCになるきっかけをくれた人たちだ。スクールボーイQ、J-ロック、アブ・ソウル、仲間が大事ってことだよ。だって、結局のところラップ・ミュージックほどパワフルなものはない。俺たち自身が文化なんだ。若いアーティストのみんな、(トップ・ドッグ・エンターテイメントの)パンチが言うように、このアートフォームをリスペクトしてほしい。そうすれば行くべき場所に導いてくれるんだ」
スクールボーイQ、J-ロック、アブ・ソウルはトップ・ドッグ・エンターテイメント(TDE)で一緒に切磋琢磨した仲間だ。最優秀ラップ・アルバムを受賞し、この夜最高のパフォーマンスを見せたドーチーもTDEの所属である。4月からSZAとの「Grand National Tour」で23公演を予定しているケンドリック・ラマー。SZAは目前に迫ったスーパーボウルのハーフタイム・ショーにもゲスト出演する予定だ。
さて、授賞式のあいだ、ケンドリック陣営からはドレイクのドの字も出なかったが、筆者が気になったのは彼の服装である。上下ともデニムのセットは「カナディアン・タキシード」と呼ばれる。アメリカの媒体で指摘している記事は見かけていないが、すべてにおいて細かく意味を含めるケンドリックのこと、このチョイスがカナダ人のドレイクへの最終ディスなのか、ひょっとしてエールなのか、はたまた筆者の考えすぎなのか。
Written by 池城美菜子
ケンドリック・ラマー「Not Like Us」
2024年5月4日発売
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