ジョーカーはなぜシナトラを口ずさむのか? 映画『ジョーカー』で登場する「That’s Life」と「Send In The Clowns」
2019年10月4日に日米で公開された映画『ジョーカー』。ヴェネツィア国際映画祭での金獅子賞受賞を皮切りに、全世界で絶賛の声がやまず、アメリカでも日本でも興行収入初登場1位確実となっているこの作品内で使われる音楽について、映画や音楽関連だけではなく、今年3月には2作目となる小説『インナー・シティ・ブルース』も発売されるなど幅広く活躍されている長谷川町蔵さんに寄稿いただきました。
ゴッサム・シティ。神経系統の病気でとつぜん笑い出す病気を抱える青年アーサー・フレックは、愛想を振りまくピエロとして働きながら、老いた母と慎ましく暮らしていた。彼の夢は、いつかスタンダップ・コメディアンとして、人気司会者マレー・フランクリンのナイトショーに出演すること。しかし偶然が重なってピエロの仕事をクビに。おまけに財政困難に陥っているゴッサム・シティの福祉サービス削減のため、薬の支給まで打ち切りになってしまう……。そんな悲劇が冒頭から語られる『ジョーカー』は、バットマン最大の宿敵として知られるジョーカーの誕生秘話だ。
過去にジャック・ニコルソン、ヒース・レジャー、そしてジャレッド・レトらが演じてきた稀代のヴィランに扮するのはホアキン・フェニックス。『ザ・マスター』や『her/世界でひとつの彼女』『インヒアレント・ヴァイス』そして『ドント・ウォーリー』と、テン年代のハリウッドで最も鮮烈なパフォーマンスを残してきた男だけに、予告編を観ただけで史上最高のジョーカーになることは分かってはいた。しかし映画そのものがこれほど痛切で重い仕上がりになるなんて誰も予想できなかったにちがいない。というのも、監督のトッド・フィリップスは本来『ハングオーバー!』などで知られるコメディ畑の人なのだから。
このサプライズを可能にしたのは、フィリップスが抱える怒りだったと思う。これはまったくの想像だけど、彼は本作を通してクリストファー・ノーランが監督した“ダークナイト三部作”(*『バットマン ビギンズ』『ダークナイト』『ダークナイト ライジング』)に異議申し立てをしたかったんじゃないだろうか。
傑作と名高い“ダークナイト三部作”だが、実はアキレス腱がある。善と悪の対立を象徴的に描こうとするあまり、ヴィランが哲学的な“絶対悪”になってしまったのだ。その結果、『ダークナイト・ライジング』ではヴィランのベインのカリスマ性にゴッサムの市民が感化されて暴徒化し、バットマン率いる警官隊と激突するという「市民側が悪? これって普通、善悪の立場が逆なんじゃないか?」みたいなシーンまで生まれている。
ノーランは同作のこうした展開に対し、ディケンズがフランス革命を題材にした『二都物語』にインスパイアされたとインタビューで語っていたが、こうした象徴化・図式化をフィリップスは許せなかったんじゃないだろうか。彼にとってゴッサムは歴史上の街などではなく、地元ニューヨークをモデルにした街なのだから。
フィリップスは、これまでもニューヨークを模していたゴッサム・シティをニューヨークそのものとして描いている。しかも彼が少年時代を送った80年代初頭のニューヨークだ。この街は当時、第二次産業の衰退で税収が激減して貧富の差が拡大。あらゆる行政サービスが打ち切られ、全米屈指の犯罪都市になっていた。
だからこそフィリップスは皮膚感覚で分かっているのだ。多くの場合、犯罪とは<絶対悪>に魅入られた人間が起こすアートなどではない。社会に見放された人間がやむ無く法を犯すことで発生するものだと。こうした想いがそれまで前者的な犯罪者の典型とされてきたジョーカーを、社会の被害者として描く原動力となったのだろう。
自身のこうしたヴィジョンを具体化するため、フィリップスは敬愛するマーティン・スコセッシがこの時代のニューヨークを舞台に撮った『タクシー・ドライバー』や『キング・オブ・コメディ』といった作品を確信犯的に引用している。
特に『キング・オブ・コメディ』は、ロバート・デ・ニーロ扮するコメディアン志望の男が、ジェリー・ルイス扮するお笑い界の大御所が司会を務めるナイトショーへの出演を夢見るあまり暴走するというプロットにおいて、リメイクかと思うほど似ている。『ジョーカー』におけるジェリー・ルイスの役どころをロバート・デ・ニーロに演じさせているのはネタバラシ的キャスティングといえる。
そのデ・ニーロ演じるフランクリンが司会するナイトショーのエンディングテーマ曲として演奏されるのが、フランク・シナトラが1966年にリリースして全米最高4位を記録した大ヒット曲「That’s Life」だ。(*作詞作曲:ディーン・ケイ&ケリー・ゴードン。オリジナルは1963年発表のマリアン・モンゴメリー版)
この曲とやはりシナトラが1973年に発表した「Send In The Clowns」(*作詞作曲:スティーヴン・ソンドハイム。もともとはブロードウェイ・ミュージカル『リトル・ナイト・ミュージック』のために作られた)は、映画の中であるときはシナトラ自身の歌唱で、あるいはアーサーの鼻歌で、そしてインストで繰り返し流れる。シナトラの楽曲はジョーカー=アーサーのテーマ曲でもある。
アーサーが、ロックが誕生して久しい1980年代初頭に暮らしながら(事実劇中ではクリーム「White Room」やゲイリー・グリッター「Rock and Roll」といったロックチューンも流れる)、前時代のスーパースターを崇拝しているという設定は、彼が社会から取り残されていることを音楽で説明しているともいえる。だがそれだけではない。二曲の歌詞に注目してほしい。
「That’s Life」では
Some people get their kicks / Stompin’ on a dream / But I don’t let it, let it get me down
夢を踏みつけて小躍りする奴らがいる / でも俺はへこたれない
「Send In The Clowns」では
One who keeps tearing around / and one who can’t move
But where are the clowns / send in the clowns
一方は気ままに生きいるのに / もう一人はがんじがらめ
これってジョークだよな? / ピエロはどこにいるんだ?
というラインがあるのだ。ともに恵まれた者(映画ではウェイン家が代表する資本家たちだ)に対する弱者の怒りが歌われ、後者ではこれに加えて「ピエロ」というキーワードまで語られている。
二つの楽曲は、シナトラがすでにスーパースターになってから録音されたナンバーではあるものの、イタリア系であることから受けた度重なる人種差別や、ショウビズ界で浮沈を繰り返しながら頂点に登りつめた男だけに、朗々とした歌声の中に隠し味のように忍ばせた苦味には重いリアリティを感じさせる。そしてシナトラの歌声に鼓舞されたアーサーは、ゴッサム・シティの悪の帝王へと変貌を遂げのだ。
そんなシナトラが生んだ数々の名曲の中で、生涯最後の代表曲といえるのが、1979年に吹き込んだ「Theme From New York, New York(ニューヨーク、ニューヨーク)」である。毎年タイムズスクエアで新年が明ける瞬間に流れることでも知られるこのニューヨーク賛歌、大昔からあるスタンダード・ナンバーかと思いきや、実は1977年公開のミュージカル映画『ニューヨーク、ニューヨーク』の主題歌として作られた比較的新しい楽曲だったりする。ちなみに『ニューヨーク、ニューヨーク』の監督はマーティン・スコセッシ、主演はロバート・デ・ニーロである。
Written By 長谷川町蔵
映画『ジョーカー』
2019年10月4日公開
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- 映画『ジョーカー』にはクリームやシナトラ、ゲイリー・グリッターらの曲が使用
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