AppleのホリデーCMに出演して話題の女性ラッパー、ティエラ・ワックって誰?

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日本を含めた全世界のテレビやWEBで2020年12月から放送されているAppleのホリデーCM「miniな奇跡がやってくる」。このCMでは女性ラッパー、ティエラ・ワック(Tierra Whack)が出演して、CMの中で自身の楽曲「feel good」と「Peppers and Onions」を披露しています。

そんな彼女のキャリヤや楽曲について、ライターの池城美菜子さんに執筆いただきました。

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Appleの新しいホリデーCM「miniな奇跡がやってくる」はもう目にしただろうか?

フューシャピンクの髪を高く結いあげた女性が、クリスマス一色に染まった街を歩きながら、AirPodsを耳につけると、浮き足立った周囲とは真逆のリリックが流れてくる。「きらびやかな世界に 私は馴染めない」クリスマスもつまらない」という彼女自身の曲「feel good」からの言葉。沈んだ心に呼応するように、グレーのマフラーはどんどん長くなり、顔まで埋まったまま後ろに引きずりながら帰路を行く。

帰宅して、HomePod miniに話しかけて音量を上げると、自分の分身が出てきて「なに凹んでいるの?」と鼓舞され、「周りの声なんて関係ないね」と歌う「Peppers and Onions」を聴きながら元気を出す。新製品を紹介しつつ、自分への肯定感、セルフラブの大切さをも伝える優れたコマーシャルだ。

2020年12月現在、アメリカでも「これでもか!」と流されていること請け合いのAppleのCMに大抜擢された彼女の名前は、ティエラ・ワック(Tierra Whack)。スペル違いの「ワック(wack)」は、「奇人」が原義で、転じて「酷い、ダサい」の意味もある。ヒップホップ好きなら、「ワックMC」という言葉を聞いたことがあるだろう。言葉の意味をひっくり返して使うカルチャーなので、あえて「ワック」を名乗ったのかと思ったら、これ、彼女の本当のラストネームだそう。

15曲収録した15分のアルバムで注目

彼女は、ザ・ルーツやジル・スコットを生んだフィラデルフィア出身のラッパーであり、シンガー・ソングライターでもある。2018年に1分ぴったりの曲を15曲収録した15分弱のアルバム『Whack World』と同じ長さのビデオをリリースし、日本でも話題になったので、名前を覚えている人もいるかもしれない。

だが、彼女が注目を集めた理由は、極端に短いLPというギミックではなく、スポークン・ワードとオーガニックな歌声をラップに織り交ぜる独自のスタイルだ。そのまま、アメリカでは「イット・ガール」になり、音楽サイトのピッチフォークや、先輩ラッパーのレミー・マに絶賛され、2019年にはXXLの栄えあるフレッシュマン特集に選ばれたうえ、「Mumbo Jumbo」でなんと、グラミー賞の最優秀ミュージック・ビデオ部門にノミネートされてしまったのだ。曲数としてはLPだが、実際の長さはEPの作品を1枚しか出していないアーティストしては異例中の異例の快挙である

ティエラ・ワックのアーティスト性を語る上で外せないのが、ブラック・ユーモアを含むカラフルなビデオだ。この記事を読んで気になった人は、30分ほど時間を作って、できればコーヒーかお酒を片手にリラックスしながら、この記事にある彼女のミュージック・ビデオを見続けてほしい。摩訶不思議なショートフィルムMoonchild Sanellyを観たときや、奥深いメッセージを込めた絵本を読んだときとよく似た感触が味わえるはずだ。自分で監督を務めることも多いそうだから、「ビジュアル・アーティスト」の肩書きを加えてもいいだろう。

2019年はコーチェラやロラパルーザなど多くのフェスに出演し、2020年5月にはリル・ヨッティの3作目『Lil’ Boat 3』収録の「T.D.」にエイサップ・ロッキー、タイラー・ザ・クリエイターとともに参加。ビヨンセの『The Lion King: The Gift』収録のポッセ・カットともいえる「My Power」にMoonchild Sanellyら3人のアフリカのアーティストとNijaとバースを分け合ったり、アリシア・キーズ最新作『Alicia』の「Me x 7」にも招かれたりと、八面六臂の活躍を見せている。10月に25歳になった彼女はしかし、運がいいだけのラッキー・ガールでも、レコード会社が丁寧にセットアップした新人でもない

 

元は内気な女の子

ティエラのバックグラウンドを解説しよう。ティエラ・ヘレナ・ワックは、フィラデルフィア北部のシングル・マザー家庭の3人兄弟の長女として育った。内気な性格だったが、小学校の詩の授業で先生に勧められるままにフリースタイルを披露したところ、クラスメートは大喜び。「地味な存在だったから、みんなびっくりして応援してくれて。すごく気持ちよかった」と本人。それ以来、詩を書き始め、メロディーやビートに乗せるようになったという。ベンジャミン・ラッシュという芸術系の高校でヴォーカルを専攻しながら、フリースタイルが得意なラッパー、ディズル・ディズ(Dizzle Dizz)としてフィリーのバトル・ラップ・シーンで知られるように。

ところが、地元で急に有名になったことで、本来、内気な彼女は鬱状態に陥ってしまったのだ。ここで、すごいのがお母さんだ。熱心にサポートしていた母親は子供たちを連れてアトランタへ引っ越し、ここでティエラはしばらく目立たないように暮らし、カーウォッシュで働いていたそう。カーウォッシュで立ち寄った客の中には、2チェインズなどアトランタの有名ラッパーがいた、とディディの公開インタビューで話している。そこで働いたお金でラップトップを購入、曲作りを始める。

不在の間も、地元のフィラデルフィアでの評判は広がり続け、2年後の2015年、ティエラは作り貯めた曲を持って、故郷に戻る。この時、母親と兄弟はアトランタにまだ住んでいたため、友達の家を転々とする。この時期を指して、「ホームレスだった」とよく書かれているが、アメリカの「ホームレス」は定住所がない「状態」であり、段ボールに住んでいるのを想像すると少し違うので注意を。数々のアルバイトをこなしながら音楽活動をしていたのは事実で、ティエラの意気込みが伝わるエピソードではある。

デビューとぶっ飛んだミュージックビデオ

10代の頃からの知り合い、Kenete Simmsから機材の使用法やミックスの方法を教えてもらったあたりから、一気に活動が本格化する。2017年にインタースコープと契約し、前述した「Mumbo Jumbo」をリリースする。ビデオの内容は、歯医者で開口器を装着して歯の治療を受けていると思いきや、笑顔を固定されてしまうという風刺の効いたオチ。この曲では、あえて絵本のようなシンプルな言葉でラップしている。これは、エミネムやバスタ・ライムズ、アウトキャストといったアーティストと並べて、インスピレーションの源としてあげた、アメリカの子供なら必ず読むドクター・スースの絵本からの影響が大きいだろう。また、2018年には旅行で日本を訪れたそうだから、見聞を広めてどんどん取り入れていくタイプなのだ。

2019年、FIFA(国際サッカー連盟)のサウンドトラックに選ばれた「Unemployed」のビデオはさらにぶっ飛んでいる。「失業中」というタイトルの曲で、当初、ティエラは「失業中=ソファでゴロゴロしている(英語でカウチ・ポテト)」から連想して、ジャガイモがフレンチフライを食べていたら面白い、とビデオ監督のキャット・ソーレンに即、テキストを送ったという。

シャフのティエラがキッチンで顔のあるジャガイモを脅しながら料理してダイニング・ルームに運ぶと、雇用主もポテトだったというシュールな内容だ。芸術系の高校を出ているティエラは、髪型やファッションまでトータルで自分を見せる方法をよく知っている。10月にリリースしたばかりの「Dora」では、セント・ヴィンセントが「New York」(2017)で起用したビジュアル・アーティストのアレックス・ダ・コルテとタッグを組んでいる。

ティエラは、仲のいい先輩アーティストとして、ソランジュやフライング・ロータスを挙げている。また、ビリー・アイリッシュもティエラの著名人のファンとして有名だ。だが、「ビリー・アイリッシュも認めた」という表現を強調するのは、ティエラの才能を同じアーティストとして称賛しているビリー本人も不本意だろう。社会風刺を込めたリリックや、徒らにセクシャリティを売り物にしない姿勢、時に、その手のセレブリティへの遠回しの揶揄も含め、ふたりに共通点が多いことは、強調しておきたい。

「ティエラ・ワック。彼女はヤング・ミッシーだ」

もう一人、ティエラ・ワックとセットで出てくるレジェンドが、ミッシー・エリオットだ。ティエラ自身が、まだ無名に近かった2015年5月にツィッターで15秒間のフリースタイルの映像とともに、「一番、影響を受けました」とのつぶやきをミッシーのアカウントに向けて発信し、ミッシー本人が激励の言葉を返してもいる。2018年には女性アーティストを集めたイベントに招待されたアンダーソン・パークが「注目している女性アーティストは?」と訊かれ、「ティエラ・ワック。彼女はヤング・ミッシーだ」とも発言している。

ミッシー・エリオットは、90年代の終わりから00年代の頭にかけて盟友のプロデューサーとともにR&B〜ヒップホップに新しいビートを持ち込んだ天才的なラッパー/シンガー・ソングライター/プロデューサー。自分で曲を作り、目を引くビデオや奇天烈なリリックなど、たしかにティエラのアーティスト性はオーバーラップする。

その一方で、ミッシーは莫大な予算をミュージック・ビデオにつぎ込んだ時代のスターであり、映像技術が格段に進んだ時代を生きるティエラは、美的センスとアイディアで勝負をし、SNSを媒介に直接、人々と繋がれる時代のアイコンである。その技術を次々に市場に送り届けるApple社がコマーシャルに彼女を起用したのは、理に適っているのだ。

社会情勢を含めて数カ月先の様子も見えない2021年だが、筆者が確信していることがひとつある。ティエラ・ワックの音楽とビジュアル・アートに魅せられる人は続々と増え、彼女は確実に人気アーティストの階段を駆け上がる、ということ。新作が届くまで、いましばらくカラフルで不思議な『Whack World』に浸っていよう。

Written By 池城美菜子(ブログはこちら



ティエラ・ワック「Peppers and Onions」

2020年11月18日配信
iTunes / Apple Music / Spotify / Amazon Music 


ティエラ・ワック「Feel Good」

2020年11月18日配信
iTunes / Apple Music / Spotify / Amazon Music 


ティエラ・ワック『Whack World』
2018年5月30日
iTunes / Apple Music / Spotify / Amazon Music




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