レア・アースとはどんなバンドだったのか?60年代モータウンによる白人ロックグループの経歴と魅力
1959年に設立され、一大レーベルとなったモータウン。ソウル/R&B、そして現在ではヒップホップも扱うこのレーベルから白人ロック・バンドがリリースされていたことがあった。
そのバンドたちの中で、最も活躍した一組であるレア・アース(Rare Earth)の8タイトルが2023年2月22日に高音質ハイレゾ対応 MQA-CD × UHQCDとして発売されることが決定(そのうち7タイトルが日本初CD化)。この発売を記念して、音楽ライターの山田順一さんに彼らの経歴と音楽的魅力を解説していただきました。
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商業的に失敗したヴァーヴからのデビュー盤
リズム&ブルースやトップ40ヒットを演奏するバンドとしてデトロイトで活動していたザ・サンライナーズが、その名をレア・アースに改めたのは1968年春のことだった。フィフス・ディメンションの全米1位ソング「Aquarius / Let The Sunshine In」を聴いて新時代の到来を確信した彼らは、揃いのユニフォームと古いスタイルに別れを告げ、新たな名前とスタイルで出直しを図ったのだった。
折よくヴァーヴと契約を結ぶことに成功したレア・アースは、1968年10月にデビュー作の『Dreams/Answers』を発表。シュープリームスやウィルソン・ピケットのナンバーをサイケデリック・ソウル風にアレンジしたアプローチは、ヴァニラ・ファッジがシュープリームスをカヴァーし、1967年に全米6位とヒットさせた「You Keep Me Hangin’ On」にも通じるものがあったが、セールス的には失敗。クラブ・サーキットを繰り返すローカル・バンドの立ち位置は変わることはなかった。
そのころ、シュープリームスの「Love Child」、マーヴィン・ゲイの「I Heard It Through The Grapevine」、テンプテーションズの「Cloud Nine」などをヒットさせていたデトロイト発祥のレーベル、モータウンは創立10周年を迎えるにあたり、当時、急成長していたロック専門のレーベル設立を画策していた。モータウンはそれまで主に黒人向けのソウル・ミュージックを提供して成長してきたが、ロックに参入することによって白人リスナーの獲得とさらなる事業拡大を狙っていたのである。
“モータウン初の白人ロック・バンド”
そんなある日、デトロイトの富豪ショーニス家でパーティーが開かれた。レア・アースはゲストを楽しませるためのホスト・バンドとして会場を訪れていたが、そこにはモータウンの事務管理責任者だったバーニー・エイルズも招待されていた。パーティーでのレア・アースの演奏を気に入ったエイルズは、彼らに自分のオフィスに来るように伝えている。
ヴァーヴからのレコード・デビューがうまくいかなかったとは言え、“モーター・シティ”のクラブ・シーンにおけるレア・アースは充分、名の知れた存在だった。そんな彼らを地元FMラジオ曲も応援し、『Dreams/Answers』からの曲を頻繁に流していた。その中には「Stop/Where Did Our Love Go」や「Get Ready」といった曲も含まれており、この2曲はモータウン所属のシュープリームスとテンプテーションズのカヴァーだった。
モータウン・ソングをカヴァーした地元の白人ロック・バンドという事実は、エイルズを納得させるのに充分な材料となり、バンドは晴れてモータウンの新レーベルと契約を結ぶことになる。実際のところ、モータウンはすでに何組かの白人ロック・グループと契約していたが、エイルズはレア・アースを “モータウン初の白人ロック・バンド”としてセンセーショナルに売り出そうとしていた。
それもあってエイルズは自分が契約したバンドにもう一つの役割を与えることを決め、新たに立ち上げるレーベルの名前にも“レア・アース”と名づけたのだった。最終的にレア・アースは、レーベルが閉鎖される1977年までに7作のオリジナル・アルバムと1作のライヴ・アルバムを残している。
音楽的な特徴は?
初期レア・アースの特徴はまず、サックスとトロンボーンという2本の管楽器とギター、ハモンドB-3、ドラムといういわゆる普通のロック・コンボとはいささか異なるバンド編成にあった。メンバーそれぞれの演奏能力も高かったが、中でもリズムを生み出しながらリード・ヴォーカルをとるピート・リヴェラのドラミングはすぐさまバンドのセールス・ポイントとなり、1974年に脱退するまでレア・アース・サウンドの中心であり続けた。
音楽的にはR&Bを嗜好したバンドだが、ミッチ・ライダーやボブ・シーガーを例に出すまでもなく、デトロイトで生まれた白人バンドが、ソウル、ブルース、R&Bをプレイすることは極めて自然な流れであり、活動当初にザ・ローリング・ストーンズのようなロック・バンドが好んでR&Bを取り上げ、ヒットを飛ばしていたことは彼らの大きな支えにもなっていた。
体制の変化と時代が進むに連れてサウンドは次第に変化していき、1978年にはビー・ジーズが書いたAORディスコの「Warm Ride」をスマッシュ・ヒットさせたこともあったが、レア・アースの持ち味であるソウルフルでファンキーな部分は最後まで決して失われることはなかった。
ライブバンドとしての魅力
前身のサンライナーズ時代にすでに人気のダンス・バンドになっていた彼らは、クラブが休みとなる月曜以外の週6日、地元クラブのステージに立ち、一晩で45分のセットを5回こなしていた。また、時には州間高速道路に乗ってイーストランシングまで出かけ、いくつかのクラブを掛け持ちするロードに出ることもあった。
空き時間はすべてリハーサルに費やされ、常にアレンジやステージングに磨きをかけていた。そうして鍛えられてきたレア・アースは、デビューしたころにはどんな状況でもオーディエンスを乗せる叩き上げのライヴ・バンドになっていた。1970年に全米チャート4位にまで昇り詰め、レア・アースの名を世界に知らしめることになった「Get Ready」も元々はライヴのクロージング曲であり、盛り上がり次第では演奏時間が1時間にもおよぶ必殺のナンバーだったのである。
また、時にはオープニング・アクトしてライヴに臨みながら、ヘッドライナーを凌ぐまでの反応を受けるほどだったが、1974年4月6日にカリフォルニア州オンタリオ・モーター・スピードウェイで開催された〈カリフォルニア・ジャム〉で25万人の観客を熱狂させたのは、その最たるものだろう。
今回の再発で1枚買うとしたら?
2021年12月に創設メンバーのギル・ブリッジスがこの世を去るまでステージを沸かせ続けたレア・アースのアルバムの中で、何か1枚お薦めするならば、やはり、彼ら最大のヒット曲である「Get Ready」をフィーチャーし、全米12位を記録してプラチナム・アルバムに輝いた『Get Ready』と言いたいところだが、近年のバンドはロックというよりもレア・グルーヴとして再評価されている側面もあり、スタジオ・アルバムはどれも捨てがたい。
そこで、「Get Ready」を始め、ともに全米7位をマークした「(I Know) I’m Losing You」や「I Just Want To Celebrate」、全米19位の「Hey Big Brother」、レイ・チャールズの代表曲をハードにアレンジした「What’d I Say」といったバンドの代表曲を収録し、まるでグレイテスト・ヒッツの様相を呈した1971年発表のライヴ盤『Rare Earth In Concert』を選んでおこう。
このアルバムはバンド史上最強のメンバーが揃う彼らの絶頂期の姿を捉えた作品であり、アメリカ陸軍のバッグを元にデザインした変型ユニパック・ジャケットも魅力的で、今回、再発されるUHQCD×MQA-CD紙ジャケット仕様というフォーマットでも一段と映えるプロダクツになっている。古くからのファンはもちろん、初めてレア・アースに触れる新しいユーザーにも、彼らの魅力をとことん味わっていただけるのではないだろうか。
Written By 山田順一
レア・アース8タイトル
高音質ハイレゾ対応 MQA-CD × UHQCD 紙ジャケット再発
2022年2月22日発売
CD購入はこちら
『Dreams/Answers』(1968)
『Get Ready』(1969)
『Ecology』(1970)
『One World』(1971)
『Rare Earth in Concert』(1971)
『Willie Remembers』(1972)
『Ma』(1973)
『Live in Chicago』(1974)
・『Get Ready』以外の7タイトルは日本初CD化
・日本オリジナル・アナログ・テープを基にした2022年DSDマスターを352.8kHz/24bitに変換して収録 (ハイレゾ未配信音源)*『Get Ready』のみ2014年DSDマスター
・ 米国初回盤LPをミニチュア再現した紙ジャケット
・ 生産限定盤
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