“怒りと暴動”の「ウッドストック 1999」:NETFLIXドキュメンタリーと実際の体験記
1999年に開催された悪名高いフェスティバル「ウッドストック 1999」を題材にした新作ドキュメンタリー『とんでもカオス!: ウッドストック1999(原題:Trainwreck: Woodstock ’99)』がNETFLIXで、2022年7月20日から公開された。
猛烈な熱波、高額な水のボトル、喧嘩、火事が映され、ステージでのバンドたちの演奏と暴動など、不運な3日間のフェスティバルの波乱に満ちた出来事が収められている。
この全3話のドキュメンタリーについて、実際に当時「ウッドストック 1999」に参加していた評論家の増田勇一さんに寄稿頂きました(写真も全て増田さん撮影のもの)
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愛と平和の祭典30周年のはずが…
Netflixで配信中の『とんでもカオス!: ウッドストック1999』を観た。そのタイトルからも明らかなように、これは1999年7月23日から3日間にわたりニューヨーク州ロームで開催された巨大フェスの実情を改めて浮き彫りにした作品で、現地で同フェスを体験している者としては、あれから23年の月日を経て当時の印象が裏付けられた部分もあれば、物事の発端についてようやく理解できた部分もあった。
同フェスは当然ながら1969年の『ウッドストック(Woodstock Music and Arts Festival)』の開催30周年を記念して実施されたもの。1994年にも25周年の節目に合わせて『ウッドストック1994』が開催されている。今ではオリジナルのフェス開催からすでに半世紀以上が経過しているわけだが、40周年、50周年というタイミングでの再開催が噂されながらも実現に至らなかったのは、結局のところ『ウッドストック1999』の失敗、それにつきまとう負のイメージの強さゆえでもあるのではないだろうか。この映画を観るとそう感じずにはいられなくなってくる。
1969年の『ウッドストック』がテーマに掲げていたのは「愛と平和」だ。もちろん1994年にも1999年にも目指していたものは根本的には同じだったはずだが、Netflixの宣伝文句の中には、1999年の同フェスを象徴していたのは「激しい怒りと暴動」だという記述がみられる。実際、筆者自身の記憶の中でも、『ウッドストック1999』の最後の場面は、会場内のあちこちで火の手が上がり、終演後に宿舎に戻る際の集合場所に指定されていた入場ゲート付近の鉄塔が倒れて炎上している風景だ。
帰国するとたいがいの知人からは「暴動は大丈夫だった?」「よく生きて帰ってこられたね」などと言われたものだった。日本でもその様子が報じられていたからだろう。実際、僕自身としては「平穏で安全なフェスとはいえないものの身の危険をおぼえるほどではなかった」という程度の感触だったのだが、のちにその場で起きていたことが徐々に明るみに出てくるにしたがって 自分が単に幸運だっただけかもしれないと感じるようになった部分もあるし、この映画を観た今では、本当に何があってもおかしくなかったのだと思えてくる。
実際の体験記
3日間のフェスの最初の記憶は、会場に向かう道の渋滞の酷さだ。これは海外の巨大フェスではよくあることだが、そのために入場が開演時刻に間に合わず、最初の出演者であるジェイムズ・ブラウンのステージが始まったことを移動車中のラジオの生放送で知った記憶がある。
そして次の記憶が、会場の広大さだ。そこは1969年とも1994年とも違う場所で、元々は空軍基地だったところ。何もない場所に会場を設営するよりはずっと合理的ではあるわけだが、巨大な格納庫(その中にもステージがあり、深夜にはレイヴ会場になる)を中心としながら左右に延びる滑走路の先にそれぞれ巨大ステージが設えられていて、地面はコンクリートと土が半々といったところ。好天に恵まれたという言葉では足りないくらい天気が良すぎたため、直射日光ばかりではなく地熱もすさまじいことになっていたし、どうやら水はけの悪い場所だったようで、熱中症対策としての散水はありがたいものの、トイレ周辺などは早々に地面がぬかるんでいた。
2日目以降の風景の記憶には、大量のゴミが伴っている。形ばかりのゴミ捨て場は設けられているものの、1日平均20万人以上もの動員となると、ドラム缶程度のものを設置されたところですぐに溢れてしまうし、途中で回収される気配もない。すると来場者はゴミを捨てに行くことすらしなくなる。結果、初日は「座りたくなったらその場に腰を下ろす」ということが普通にできていたものの、2日目以降は、いわゆるレジャーシート的なものを敷く場所を見つけることすら難しくなっていた。
そして今回の映画を観て知ったことだが、ゴミばかりではなく汚水処理も追い付いていなかった。トイレ界隈にはシャワーや水飲み場も用意されていたが、その蛇口から出てくる水もすべて汚染されていたとのことで、そのために最終日あたりには口内にただれが生じたケースなどもあったのだという。また、野外フェスでぬかるみや水たまりがあると人々がどんな行動に出るかは想像に難くないはずだが、そうした場で戯れていた人たちがまとっていた泥に、トイレから流れ出た汚物が混ざっていたことも間違いない。
利益優先、経費削減、高騰した飲食
僕自身は幸いにもプレス・エリアを使用できるパスを入手していたため、妙な匂いと味のする水を飲んだり、ドアを開けただけで吐きそうになるほど臭いトイレにこもったりしなければならない目には遭わずに済んだ。ただ、場内では飲料水の値段も高く、普通のペットボトルの水が4ドルで売られていた。一応断っておくが、23年前の価格である。ちなみにビールは5ドル、サイズだけはデカいがほとんど具の載っていないチーズピザは12ドルで、最終日には品薄になったことを出店者側が逆手に取って値上げをしていた。
そうした状況を招くことになったのは、結局のところは主催者側が利益を優先し、徹底的に経費削減を図ろうとした結果だった。また、付け加えておくと、入場時には飲食物がすべて取り上げられ、水さえも持ち込むことができなかった。そして酒類を飲むことができるのは写真付きのID提示による年齢証明が必要なビア・ガーデン・エリアに限定されていたものの、ドラッグの売買が普通に行なわれているという不思議な状況でもあった。
音楽の熱狂
そんな環境ではあったが、あの3日間を振り返ってみた時に「楽しかった」と言えるのは、やはり音楽をたっぷりと楽しむことができたからだ。筆者自身の中で特に印象的だったのはKORN、メタリカ、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、キッド・ロック、オフスプリングといったところ。ことにKORNの演奏時の観衆の熱狂ぶりにはすさまじいものがあったし、日本では認知が遅れていたキッド・ロックの人気ぶりには圧倒的なものがあった。リンプ・ビズキットのライヴもものすごい盛り上がりではあったが、やや悪ふざけが過ぎたところもあったように思えた。
今回ようやく公開された映画の中では、このフェスの関係者や出演者、当時ティーンエイジャーだった来場者などの豊富な証言により、さまざまな出来事や経緯について表からも裏側からも解き明かされている。
そこで興味深いのは、1969年のオリジナル版フェスの開催に携わっていた人物も、1999年当時まだ十代だったファンも、『ウッドストック』という言葉のマジックに魅了されている部分があるところだ。原体験派には「あの頃のスピリットを今の若者たちに伝え、共有したい」という願望があり、若い世代には同フェスに対して「よくわからないけど、とにかくすごいもの」という認識と、それを体験してみたいという憧れめいたものがある。ただ、そこでは双方の求めるものが完全に合致しているはずなのに、残念ながら大人たちの側には、30年間という経過の中での音楽シーンやライヴ事情の変化といったものが把握できていなかった。
はっきりと言えば、たとえばKORNやリンプ・ビズキット、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの音楽がどのようなもので、どんな理由で支持され、彼らのライヴでオーディエンスがどのような反応を示すかというのが、彼らには理解できていなかったのだ。
この映画の中でも、フェスの主催者であるオリジナル『ウッドストック』原体験派のふたりの口からは、そうしたアグレッシヴなバンドが興奮状態にある観客を落ち着かせようとしなかったことに対する批判的な言葉や、「一部の愚かな観客のせいでフェスが台無しになった」といった発言が出ている。ただ、バンドにとっては自分たち本来のベストなパフォーマンスを披露することこそ最重要だし、料金の高さや会場内の環境の悪さに鬱憤がつのり、炎天下でビールを浴びるように飲んだ若者たちの感情が爆発し、いつも以上に暴れたくなるのも無理はない。
火災のきっかけ
実際、来場者の側に行き過ぎた行為があったのは事実ではある。最後の最後、レッド・ホット・チリ・ペッパーズの演奏終了間際には、あちこちで焚火が始まったが、何故そこに火の気があったのかといえば、入場時にライターを没収していたにもかかわらず、そのタイミングで主催者側が10万本ものキャンドルを配布したからだ。
その配布自体は、当時相次いだ銃乱射事件の犠牲者たちに祈りを捧げることを目的としていたようだが、最初のうちこそ「あちこちで蠟燭の火がゆらめいていて綺麗」というムードだったのが、「よし、焚火をしようぜ」になり、多くの人たちが競うようにその火を大きくしていった。それが結局は火事のような規模になり、ATM破壊や略奪行為にまでエスカレートしていったのだ。
僕自身も実際、その渦中にいたわけだが、あれは結果的には暴動と呼ばれて仕方のないものになったが、そこに切羽詰まったような危機感はなかったし、そもそもはちょっとした火遊びの延長に過ぎなかったのだと思う。しかも主催者側がキャンドルなど配らなければあのような事態にまでは至らずに済んだはずだし、まさしくその人物が自ら蒔いた種だと言えなくもない。
23年前の記憶
こうして今、23年前のことを思い出してみても、僕自身はあの3日間を「とんでもない状況ではあったが、楽しかった」と結論付けることができる。同年の秋にリリースされた『ウッドストック1999』のライヴ・アルバムのライナーノーツの中で、僕は「このフェスが1969年の『ウッドストック』のように伝説的なものとして語り継がれていくことはおそらくないし、むしろ『暴動とビジネスに蝕まれた茶番』と記憶されていくことになるのかもしれないが、1999年にししか起こり得ないことが体験できたことは間違いないはずだ」といったことを書いている。
今でもそうした解釈自体は変わらないし、この映画を観たことで、そうした思いはいっそう強いものになった。実際、もしも今、同じような趣旨で同じような規模感のフェスが実施されたなら、インターネットや携帯電話の普及、SNSの浸透、コンサート・ビジネスの成熟といったところから考えても、このような事態にはなっていなかったはずなのだ。だからこそ逆に、この映画には1999年という時期について裏付けてくれる物証としての価値があると思うし、今の若い世代にどのように受け止められることになるのかも気になるところだ。
Written & Photos by 増田勇一
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