ブロンディのデボラ・ハリー、そして当時のUK音楽シーンの女性たちを振り返る
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第63回。
今回は2022年8月26日に輸入盤でキャリアを総括した初のBOX『Blondie: Against The Odds 1974-1982』が発売となったブロンディについて、デボラ・ハリーや当時他に活躍していた女性アーティストについての想い出を振り返っていただきました。
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活動期間6年のブロンディ
ブロンディがアンソロジー・ボックス・セット『Blondie: Against The Odds 1974-1982』をリリースしました。これには、1974年から1982年までの第一期の活動期間に発売された6枚のオリジナル・アルバムに、レコーディング・セッション、デモ、別テイク、未発表曲など全124曲が収録され、70年代後半から80年代前半にかけて、音楽シーンの中で、大きな存在となったニュー・ウェイヴを代表するバンドの歴史が網羅されています。
バンド名となったブロンド・ヘアーのパンキッシュな女性シンガー、デボラ・ハリーを中心としたアメリカのバンドブロンディ。ニュー・ウェイヴ・バンドとしてデビューした70年代、そして数多くのメジャー・ヒットを生んだ80年代。第一期は、1976年のデビューから1982年の解散までなんと6年足らずの活動期間でしたが、全米1位となった「Heart Of Glass」「Call Me」「The Tide Is High」「Rapture」は、今耳にしても新しさを感じるサウンドです。私は「One Way or Another」が大好きですが…。
ブロンディは、1976年に『Blondie(妖女ブロンディ)』でデビューし、1978年の『Plastic Letters(囁きのブロンディ)』からの「Denis(デニスに夢中)」が、ヨーロッパでヒット。本国より先にイギリス、ヨーロッパでブレイクしました。
1978年のUK
私が初めて渡英したのが1978年の夏でした。クイーンのジョン・ディーコンが通っていたチェルシー・カレッジの学生寮で過ごし、1ヶ月間のサマー・スクールに通いました。大学で、毎週末に開催されるディスコ・ナイトの人気曲がブロンディが歌うランディ&ザ・レインボウズの60年代のヒットのカバー「Denis(デニスに夢中)」だったのです。
当時の10代のヨーロッパの若者たちには、(ヨーロッパの学生が多かったのです)アース・ウィンド・アンド・ファイアーの楽曲同様に、ニュー・ウェイヴのブロンディがフロアーを楽しませていました。この曲のブロンディのアレンジはちょっと緩めなキュートなサウンドですが、みんな楽しそうに踊っていました。
私はといえば、当時デボラ・ハリーには、敵対心(笑)があって、「Music Life」誌に掲載されたクイーンのロジャー・テイラーとのキス・シーンにショックを受け、しばらくは彼女の顔を凝視できなかったという苦い思い出があります。その後、東郷かおる子さんに、あの写真は辛かったと伝えました(笑)。少女の心に傷を残したデボラ・ハリーではありますが、彼女はマリリン・モンローを意識したルックスで、セクシーであり、ロック・サウンドを粋に歌っていたシンガー、そう今では冷静に彼女の魅力は語れます(笑)。
当時のUK音楽シーンの女性たち
なぜ、ブロンディは本国より先にヨーロッパで人気を博したのか、当時のUK音楽シーンをベースに振り返ってみましょう。80年代にイギリスで発売になった『New Women In Rock』という本があります。私の友人であるジャーナリストのRosalind Russell他がインタビューしたアーティストなどを紹介した本なのですが、これを見ると、70年代後半、80年代前半の音楽シーンをあらためて知ることができます。
本の巻頭はトーヤ・ウィルコックス。今や夫であるキング・クリムゾンのロバート・フリップと共に、夫婦で過激だけど、少し笑いもあるカバー動画を上げて楽しませてくれているシンガーです。当時は、オレンジの髪をライオンのように立てて、唇はメタリックな色で大胆に塗り、クレオパトラをイメージするメイクで「I Want To Be Free」をヒットさせました。元々はパンク映画『ジュビリー』から出てきています。
イギリスにはもう1人、パンクから誕生した大きな存在のシンガーがいました。トーヤよりも先にシーンに登場し、パンクの女王として人気となったスージー・アンド・ザ・バンシーズのスージー・スー。まさにブロンディとほぼ同じくして「Hong Kong Garden」でデビューし、90年代まで第一線で活躍。
セックス・ピストルズ親衛隊だったスージー・スーは、パンクだけでなく、数多くのポップ・ヒットを生み、メジャー・シーンにもその存在を示したところは、アメリカのブロンディ、イギリスのスージー・アンド・ザ・バンシーズだったと思います。渋谷公会堂での初来日公演後の楽屋でスージーにインタビューしましたが、網タイツに穴がいっぱい空いていて、それがなんだかかっこいいなと思ったのを覚えています。
他にも、イギリスにはアイドル的なルックスでしたが、オルタード・イメージのクレア・グローガンもちょっと反逆児的なイメージがあり人気に。マルコム・マクラレンに見出されたバウ・ワウ・ワウのアナベラ・ルーウィン、ユーリズミックスのアニー・レノックスも「Love Is A Stranger」の初ヒットの時は、ニュー・ウェイヴ・シーンに新星が現れたと言われたものです。ディズニープラスで配信されたドラマ『セックス・ピストルズ』で、セックス・ピストルズの歴史に大きく関わっていたことが明らかになったプリテンダーズのクリッシー・ハインドも1979年のデビューです。アメリカ人ですが、イギリスでなんとかデビューを目指していたというストーリーは、ドラマでも紹介されていましたね。
そしてドイツには、ニーナ・ハーゲンというパンクのゴッド・マザーの異名を持つシンガーが、70年代半ばからヨーロッパを席巻、2022年、世界中で「Running Up That Hill」がリバイバル・ヒットしているケイト・ブッシュもこの時代を代表するシンガーでしたし、デュラン・デュランも前座を務めたことがあるヘイゼル・オコナー、日本でもTVCMに出演したキム・ワイルドなど、70年代後半から80年代初頭は、とても個性的なファッションと斬新な音楽スタイルで人気を博した女性シンガーが台頭してきました。
デボラ・ハリー成功の基盤
パンクの洗礼を受け、それを基盤に自分のスタイルを見つけ出し、音楽シーンに登場したシンガーが時代を彩っていたということです。ブロンディがヨーロッパでまずは基盤を作れたのは、そういった音楽シーンがイギリス、ヨーロッパではメジャーの流れの中で受け入れられていたからかもしれません(アメリカで全くシーンがなかったということではありませんが)。
もちろんブロンディは、デボラ・ハリーの個性的な魅力だけでなく、キャッチーなメロディーとポップ・センスに溢れた楽曲で、世界の頂点に立ちました。実は大きなヒットには至りませんでしたが、1981年に、シックのナイル・ロジャーズとバーナード・エドワーズがプロデュースした彼女のソロ・ファースト・アルバム『KooKoo』は、ファンクの要素を取り入れ、彼女のポップ・センスに溢れた素晴らしい作品で、シングルの「Backfired」は、シックとデボラ・ハリーの魅力がうまく融合され、今でも愛聴する楽曲です。
デボラ・ハリーというアーティストは、刺激的なものをうまく自分の音楽に取り入れることができる人。バンド・メンバーであり、音楽パートナーのクリス・ステインと共に数多くの名曲を世に送り出し、80年代を代表するバンドとして、今でもその楽曲は輝きを放っています。
そんなブロンディの魅力を振り返ることができるアンソロジー・ボックスは、ブロンディのサウンドとともに、華やかな時代を感じることができる作品だと言えます。
Written By 今泉圭姫子
ブロンディ『Blondie: Against The Odds 1974-1982』
2022年8月26日発売
Super Deluxe Edition (11LP+1EP) / 8CD / 4LP
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今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)
ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。
HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」