ボン・ジョヴィのジョンとリッチー、二人が同じステージに立つことを夢見て
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第35回。今回は今年、2020年に最新アルバム『Bon Jovi 2020』が10月2日に発売されるボン・ジョヴィについて。彼らとの思い出を振り返りながら執筆していただきました(これまでのコラム一覧はこちらから)
シカゴの街で、ロンドンの公園で、世界の人たちが、ボン・ジョヴィの「Livin’ On A Prayer」を大合唱する映像が届けられました。クイーンの「We Will Rock You」もそうですが、私たちが見えない敵と闘っている今だからこそ、歌いたい、聴きたい曲があります。「Livin’ On A Prayer」は、ボン・ジョヴィを代表する楽曲であり、34年の歳月を経て、多くの人たちに勇気と希望を与える名曲として愛されていることを、あらためて感じました。
今年は『Bon Jovi 2020』と題された新作アルバムのリリースが控えています。残念ながら、ワールド・ツアーは来年に延期との発表がありましたが、デヴィッド・ブライアンが新型コロナウィルス感染から復帰したニュースは、ホッとひと安心、胸をなで下ろしました。そして先行シングル曲「Limitless」を聴きながら、ボン・ジョヴィが変わらずボン・ジョヴィとして、今もなおロック・シーンの中心で活動していることを嬉しく、誇りに思ったのです。
2年前になりますが、ボン・ジョヴィは、念願の「ロックの殿堂」入りを果たしました。そして、そのセレモニー・ステージでは、現在はバンドを離れている(脱退とは言いたくない)リッチ—・サンボラ、そして久しぶりに公の場に登場したアレック・ジョン・サッチも参加して、オリジナル・メンバーによる演奏が実現されました。集合写真を見ても笑顔の5人。嬉しそうなジョンとリッチーの姿を久しぶりに見ることができ、「リッチー復活か!?」、とファンを期待させました。しかし、その思いは実現されませんでした。新作に、リッチーの名はなかったのです。ジョンにとっては、ボン・ジョヴィのブランドを、デヴィッド、ティコと守り続けているわけですから、喧嘩別れではなかったとはいえ、突然ツアーに参加出来なくなったり、アルコール依存症を抱え、ライヴでの欠席が続いたリッチーを再び迎え入れるのは、容易なことではないのかもしれませんね。もしかしたら、リッチーが歩み寄っていないのかもしれませんが…。
ボン・ジョヴィがこれまでの栄光にさらなる輝きをもたせ、ロック・バンドとしてのプライドをもって、常にトップの地位を維持してきたのは、ジョンが音楽だけでなく、チャリティなどさまざまな方面で活躍の場を広げてきたことにもあります。最近では、ブルース・スプリングスティーンと地元ニュージャージーで、 新型コロナウイルスの影響を受ける人々、医療、経済を援助するための“New Jersey Pandemic Relief Fund”を支援するため、4月22日に慈善チャリティー番組『JERSEY 4 JERSEY Benefit Show』に出演しました。
また、最近では暖かいファミリー映像もアップ。自身が経営しているJBJソウルキッチン3号店では、お金が支払えない人達は皿洗いなどのボランティアで返し、余裕のある人からは20ドルを支払ってもらうというユニークなシステムを導入。先日は、お店で奥様のドロシアさんとジョンが、コミュニティの人達にフードを提供する映像がアップされていました。
一方リッチーは、波乱万丈といえます。過去、両親に家をプレゼントし、その新居のバスルームで滑って骨折し、ギブスのまま来日公演のステージに立ったことがありました。両親への愛を感じる出来事だったのに、そそっかしい結末がリッチーらしいというか…。これまで、お酒の力に負けてしまうリッチーを、なんとか立ち直らせたいというメンバーの思いは続けられていたはずです。しかし、ドラマのようなストーリーでの奥さんとの別れがあり、その後、娘への愛を心の拠り所とし、子供はもっと欲しいと言っていたリッチーの笑顔には、どこか寂しさを感じたことがありました。その時のインタビューでリッチーは、ジョンについてこのように話していました。「兄弟のように深いものがある。お互い会話を続けていきながら、刺激しあって、いい曲を書いていきたい」と。何度も会話の重要性を語っていたリッチー。きっと、今お互いがすれ違ってしまった原因は、二人の間での会話が途切れてしまったからなのかな、と思ったりもしています。
その後、オリアンティと来日した際のインタビューでは、オリアンティに異常に気を使うリッチーを見てしまいましたが、ソロ・コンサートは、素晴らしいステージでした。しかしインタビュー時は少し自信なさげで、思わず尻を叩きたくなる思いになりました。「ヴォーカリストとして素晴らしかったですよ」というと「30年間、ヴォーカル・パートはサポートでいいと思っていた。リードをとる役割だと思っていなかったからね。でも今はボンジョヴィとは違う自分を見せたかった。だから、1曲目はあえてギターを持たずにステージにあがってみたんだ」と。リッチーなりに、新しい自分を見つけたいという思いからだったのでしょう。「リッチーのギターの良いところは、ギターが歌っているのよ!」と励ますと、「東京ドームで演奏した時、目を閉じてアドリヴを演奏していたんだけど、目を開けてファンを見た時の感動は今でも忘れられないんだ」と。彼の中では、新しい自分とボン・ジョヴィのメンバーである自分との間で揺れていたのでしょうか。インタビュー後そっと、「ボン・ジョヴィに戻らないの?」と聞くと、「言いたいことはわかるよ」と返事したリッチーでした。ジョンと会話してほしい。たくさん話し合えば、きっと理解できる二人なのではないでしょうか?
ボン・ジョヴィが初来日したのは、1984年の「スーパーロック’84イン・ジャパン」でした。ホワイトスネイクやMSG、スコーピオンズといった大御所のステージの前座ともいうべき立ち位置での来日。新人バンドにとっては大きなチャンスでもありました。キャッチーなメロディ、ルックスの良さもあって、ボン・ジョヴィは日本先行で人気が爆発し、彼らの日本のファンへの想いは、「Tokyo Road」という楽曲に込められました。その後3枚目となるアルバム『Slippery When Wet』で世界のボン・ジョヴィへと、スーパー・ロック・バンドとしての階段を登ります。
来日前からボン・ジョヴィに胸をトキめかせた私は、当時、大貫憲章さんとラジオ番組「全英トップ20」以外にも、毎晩「サウンドプロセッサー」という生放送を担当していました。毎日通うラジオ日本のブースに、勝手にリッチー・サンボラのポスターを貼りウキウキしていました(そんな行為を許していただいていたんですね)。相方の大貫さんは呆れていたかもしれませんが、特に気にしてる風ではありませんでした(笑)。初インタビューでラジオ日本にメンバー全員が来たとき、生放送ブースをチラ見したジョンが、「リッチーね…」と言って通り過ぎたことを、後でレコード会社の担当の方に教えてもらいました。
その後、来日インタビュー、海外インタビューでの私の担当は、自然にリッチーとなったのです(笑)。私だって時にはジョンに話を聞いてみたい、という気持ちを訴え、アルバム『Crush』のプロモ来日の時には、久しぶりにバンド全員とのインタビューをさせていただきました(アレックは脱退していました)。そこでジョンから「アルバムのタイトル“Crush”には、いろいろな意味があってね〜、例えば、スヌーピーがリッチーに“Crush=恋に落ちた”という意味もあるんだよ」と言われ、あたふたし、顔が真っ赤になったことを覚えています。
ボン・ジョヴィが『Slippery When Wet』で、初の全米ナンバー・ワンに輝いた週、私は全米ツアー中のボン・ジョヴィのアリーナ・ショーを見るために伊藤政則先生、カメラマンのウイリアム・ヘイムズさん、レーベル担当者のアレックスさんとアメリカのカリフォルニア州にあるフレズノにいました。日本から火がついたロック・バンドが本国でチャートのトップとなり、その1位のお祝いを興奮状態のアメリカのファンとシェア。その瞬間は忘れられません。サポート・アクトはシンデレラでした。彼らにはコンサート終了後の夜中にインタビューしたなぁ〜。全米のトップに立ったボン・ジョヴィには、短い時間でしたが、楽屋でインタビュー。1位の喜びを共に分かち合うことができ、何よりもメンバーの興奮が伝わってきたことが嬉しかったものです。
大成功を手中にしてからの来日公演は、今までの隣のお兄ちゃん的なボン・ジョヴィではなく、全員がロック・スターとしての顔になり、そうそう気軽に声をかけることができなくなりました。ハードロックカフェで行われた歓迎パーティーでは(昔はよくそういう華やかな場が設けられました)、メンバーが席を陣取っているテーブルに近づくなんてことは叶わず、何人かのボディーガードのチェックをくぐりぬけなくてはいけません。意外に、そういう時になると引っ込み思案な私は、セーソク(伊藤政則)さんの横にピタッと張り付き、セーソクさんのガールフレンドになりすまし、ボディーガードの厳しい関門をパスして、メンバーにあいさつしたなんてこともありましたっけ(笑)。良き時代といって片付けてしまってはいけないのですが、そんな思い出がいっぱいあるのがボン・ジョヴィです。
1991年に、リッチーのソロ・アルバムの取材をするために渡米した際、リッチーの取材ではありましたが、なぜかジョンからメディアに集合がかかり、ジョンのニュージャージーのご自宅で、当時ジョンがプロデュースしたビリー・ファルコンの新作お披露目パーティーをするということで、セーソクさんと行きました。仲の良いご夫婦の大きな写真(イラストだったかな?)が飾られていたリヴィングでのアコースティック・ライヴには、2、30人ほどいたかと思います。スーパースターとなったジョンの家庭人としての顔がちらりと見ることができた時間でした。おトイレをお借りした時、あまりにもかわいい小さなシェル型の芳香剤がお皿に盛ってあって、それをポッケに2つほど頂いてきたのは私です(笑)。
ジョンとリッチー。支え合いながら、刺激しあいながら、時には距離を置き、そしてまた支え合う、そんな関係性だと思っています。いつかまた、二人が同じステージに立つことを夢見て、今はジョン、デヴィッド、ティコ達が生み出す新しいボン・ジョヴィの挑戦に耳を傾けていこうと思います。新作『Bon Jovi 2020』が届いたら、あらためて今のボン・ジョヴィに触れますね。結局はジョンとリッチーの話になってしまいましたが、大合唱の「Livin’ On A Prayer」の映像を見ながら、ふと昔のことを思い出しました。
Written By 今泉圭姫子
ボン・ジョヴィ『Bon Jovi 2020』
2020年10月2日発売
CD / iTunes Store / Apple Music / Spotify
- ボン・ジョヴィ アーティスト・ページ
- ボン・ジョヴィ、デビュー・アルバム『Bon Jovi / 夜明けのランナウェイ』
- ボン・ジョヴィらが2018年度ロックの殿堂入りに
- 初の全米シングル1位「You Give Love A Bad Name」
- 人生を変えた1986年のアルバム『Slippery When Wet』
- ボン・ジョヴィが約1年9か月振りの新曲「Unbroken」発売
今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー
- 第1回 :U2『The Joshua Tree』
- 第2回 :バグルス『ラジオ・スターの悲劇』
- 第3回 :ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)
- 第4回 :クイーンとの出会い…
- 第5回:クイーン『世界に捧ぐ』
- 第6回:フレディ・マーキュリーの命日に…
- 第7回:”18 til I Die” ブライアン・アダムスのと想い出
- 第8回:ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリー
- 第9回:ヴァレンシアとマイケル・モンロー
- 第10回:ディスコのミュージシャン達
- 第11回:「レディ・プレイヤー1」出演俳優、森崎ウィンさんインタビュー
- 第12回:ガンズ、伝説のマーキーとモンスターズ・オブ・ロックでのライブ
- 第13回:デフ・レパード、当時のロンドン音楽事情やガールとの想い出
- 第14回:ショーン・メンデス、音楽に純粋なトップスターのこれまで
- 第15回:カルチャー・クラブとボーイ・ジョージの時を超えた人気
- 第16回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開前に…
- 第17回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」サントラ解説
- 第18回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」解説
- 第19回:クイーンのメンバーに直接尋ねたバンド解散説
- 第20回:映画とは違ったクイーン4人のソロ活動
- 第21回:モトリー・クルーの伝記映画『The Dirt』
- 第22回:7月に来日が決定したコリー・ハートとの思い出
- 第23回:スティング新作『My Songs』と初来日時のインタビュー
- 第24回:再結成10年ぶりの新作を発売するジョナス・ブラザーズとの想い出
- 第25回:テイラー・スウィフトの今までとこれから:過去発言と新作『Lover』
- 第26回:“クイーンの再来”と称されるザ・ストラッツとのインタビュー
- 第27回:新作を控えたMIKA(ミーカ)とのインタビューを振り返って
- 第28回:新曲「Stack It Up」を発売したリアム・ペインとのインタビューを振り返って
- 第29回:オーストラリアから世界へ羽ばたいたINXS(インエクセス)の軌跡
- 第30回:デビュー20周年の復活作『Spectrum』を発売したウエストライフの軌跡を辿る
- 第31回:「The Gift」が結婚式場で流れる曲2年連続2位を記録したBlueとの思い出
- 第32回:アダム・ランバートの歌声がクイーンの音楽を新しい世代に伝えていく
- 第33回:ジャスティン・ビーバーの新作『Changes』発売と初来日時の想い出
- 第34回:ナイル・ホーランが過去のインタビューで語ったことと新作について
今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)
ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。
HP:http://keikoimaizumi.com
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Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」