「The Gift」が結婚式場で流れる曲2年連続2位を記録したBlue(ブルー)との思い出【今泉圭姫子連載】
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第31回。今回は2001年に「All Rise」でデビューして大ヒットを記録、ここ日本でも大きな人気を獲得したUKの4人組グループのBlue(ブルー)について、彼らの思い出とともに執筆していただきました(これまでのコラム一覧はこちらから)
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・Blue「The Gift」の魅力:今も日本で愛され、最新ベストに新録が収録される名曲の想い出
今年6月に発表された「2018年度ISUMブライダルミュージックTop10」(一般社団法人音楽特定利用促進機構調べ)。これは、結婚式場で最も利用された楽曲をランキングにしたもので、全国の結婚式場での1年間の利用実績に基づいたチャートとなっています。1位に輝いたのは、2年連続で日本人ロック・バンドONE OK ROCKの「Wherever You Are」。そして英国4人組グループ、Blue(ブルー)の「The Gift」が2年連続2位となり、洋楽曲としては唯一のトップ10曲と入りを果たした曲となりました。そして毎年冬には有線やプレイリストに入れられる定番曲となっています。
Blueの「The Gift」は、槇原敬之さんがBlueのために書き下ろした1曲で、のちに「僕が一番ほしかったもの」というタイトルでセルフカバーされています。この曲は2003年、彼らにとって3枚目にあたるアルバム『Guilty』の日本盤ボーナス・トラックに収録されています。プロモーションで来日したメンバーが、SMAPの「世界に一つだけの花」を聴き、このような素敵な曲で、日本のファンへの感謝を伝えたいという思いをきっかけに、槇原敬之さんに楽曲依頼をしたという経緯があります。翌年、初めてのジャパン・ツアーでも披露しました。ちょっと間違っちゃったけど(笑)。
16年前の楽曲が今でも愛されているのは、本当に素晴らしいことです。当時の彼らの日本での人気の高さをあらためて感じるとともに、メロディ・メイカー槇原敬之さんの素晴らしい楽曲に、Blueのコーラスが優しく響き、完璧なケミストリーを生んだヒット曲であることを、あらためて感じました。思わずグッときてしまう「The Gift」は、まさに結婚式にぴったりですね。
Blueは、アントニー・コスタ、ダンカン・ジェイムズ、リー・ライアン、サイモン・ウェッブの4人組。1999年に、15歳のリーと17歳のアントがTVのオーディション番組で出会い、知り合いのダンカンが新しいグループを作るためにメンバーを探していると聞き、2人はダンカンと共に活動することにします。その後リーのフラットメイトのサイモンが参加し、4人組となりました。
4人はBlueとして、2001年に「All Rise」でデビュー。デビュー曲はUKチャートの最高位4位に輝き、あっという間に注目の新人となるのです。そして2曲目の「Too Close」で初のUK1位に輝き、3枚目の「If You Come Back」も連続でUK1位となるのです。
もちろんデビュー・アルバム『All Rise』はUKアルバム・チャートのナンバー・ワン。2002年のセカンド・アルバム『One Love』も1位となり、アルバムからの「One Love」が3位、「Sorry Seems To Be The Hardest Word」はカバー曲ながら1位となっています。エルトン・ジョンのカバーであるこの曲には、エルトン自身がピアノを弾き、一緒に彼らと歌っています。
その後2003年にはスティーヴィー・ワンダーの「Signed, Sealed, Delivered I’m Yours」をカバーしているのですが、なんとスティーヴィー・ワンダー本人がアンジー・ストーンとともにゲスト参加しています。大物の心を動かしてしまうほど、彼らの歌声はスペシャルなものだったのですね。
日本でのBlueの一大プロモーションは彼らのUKのデビューから少し遅れて展開されます。当時のレコード会社は、彼らのアンセムであった「One Love」を日本でのデビュー曲にせず、1作品前のアルバムのシングル「If You Come Back」をあえてデビュー曲にしました。これは「If You Come Back」のもつヒット性に賭け、スタッフが話し合いを重ね、決定したのです。ライヴでファンと一体化となる「One Love」で行くべきじゃないか、という私の意見もあったのですが、スタッフの決断は間違っていませんでした。「If You Come Back」で日本でもブレイクし、スター・グループの仲間入りを果たしました。
2003年に発売になった3枚目のアルバム『Guilty』もUKで1位となり、Blueは、デビューから3作連続ナンバー・ワンという偉業を成し遂げました。これだけでも凄いグループだったことがわかっていただけると思います。彼らが音楽シーンに登場した時は、バックストリート・ボーイズがアメリカのヴォーカル・グループとして世界のトップに立っていました。イギリスでは、1995年のテイク・ザット解散の喪失感が続き、ヴォーカル・グループでは、アナザー・レベル(Another Level)、ポイント・ブレイク、a1などが登場しましたが、短命に終わっていました(ポイント・ブレイクとa1は、日本での人気が高かったですね!)
そんな時代に、ルックス良し、歌が上手い4人のボーイズが登場したのですから、イギリスではポップ・シーンの救世主としての扱いでした。Blueの成功は、2005年のテイク・ザット再結成への刺激のひとつになったのではないかと私は思っています。
第1期のBlueは、日本ツアーはたった1回でしたが、プロモーションでの来日は数え切れないほどありました。普通の男の子が一気にスターになったのですから、自分たちの身に起こっていることをなかなか受け止めきれない時期もあったかと思います。つまりやんちゃな男の子で、スターとしての自覚は薄かったかな(笑)。
それが魅力でもあったのですが。当時担当していたS嬢にいつもお願いされたのは、「スヌーピーさんのインタビューを午前中の一番バッターにして、メンバーを盛り上げて欲しい」と。なので、私はいつも眠そうなメンバーと午前中に会っていました。ある時は、ダンカンが飛行機に乗り遅れ、インタビューに間に合わないという事件が起こりました。仕方ないので進めておこうということになり、3人で始めていたら、突然スタジオのドアーが開き、枕を抱えたダンカンが「乗り遅れた」って入ってきたのです。今ではもう笑い話でしかありませんが、その姿は彼を憧れの対象で見ていた少女たちには見せられたものではありませんでした(笑)。
また、4人の士気をあげるために、スタッフも含めメンバーひとりひとりを盛り上がらせる担当を決めたのです。私はアント担当になりました。とにかく、インタビューになると静かなアントをしゃべらせるというミッション。他のメンバーは自発的にオレオレになるので、大丈夫なのですが、アントはちょっとしょんぼり系になってしまいます。私は、「アント、頑張れ〜、次はアントの番」とアントの名前を連呼し、盛り上げました。S嬢いわく「アントもスヌーピーさんは僕の見方という意識があって、いつも張り切ってくれます」と。その担当制はソロになっても続きます(笑)。アントが初めて・ロンドン・ウエストエンドのミュージカルに出演した際、担当の私はちゃんと見に行かないと、と劇場を訪れました。その時のアントは、100%のおもてなしで迎えてくれました。共演したノーランズのモーリーン・ノーランまで紹介してくれました。
Blueは、駆け足でトップスターの仲間入りを果たしたことで、自分のやりたい音楽への道を模索しはじめ、2005年に活動を休止します。ソロとしては、ダンカンはシングル「I Believe My Heart」がUK2位のヒット、リーはアルバム『Lee Ryan』がUK最高位6位、サイモンは「Lay Your Hands」「No Worries」の2曲のシングルがともにUK4位のヒットとソロとしても成功。アントは、Blue活動中に一児の父となり、アイドル・パパが話題になり、(サイモンもすでに子供がいましたね)新しい時代のアイドルの姿を見せてくれました。
そのアントは日本でアルバム『Heart Full of Soul』をリリース。これがいいアルバムなんです。(担当だからではないです)イギリスで話題にならなかったのが残念でした。4人のソロ活動は地道に続けられましたが、Blue時代ほど話題にはなりませんでした。セレブとしての扱われ方もあったので、何かとプライバシーへの話題は取り上げられ、かわいそうだなと思うこともありました。
そしてデビュー10周年となる2011年、Blueは活動再開を発表しました。彼らは解散していなかったので、Reunited(再会)という言い方をしていました。まずはユーロヴィジョン・ソング・コンテストに「I Can」でエントリー。この曲は、Blueが戻ってきたと感じることができるBlueサウンドでした。活動休止中も、4人は頻繁に会っていたということで、息はぴったりです。
再活動にあたってマネージメントとの問題が起こり、スムーズなスタートとはなりませんでしたが、ビジネス上の問題をクリアーにし、2014年にアルバム『Roulette』をリリースします。そして2015年、カムバック第二弾にあたる『Colours』を引っさげて、10年振りに来日するのです。彼らにとって2度目の日本公演。新木場スタジオコーストで観たステージは、ヒット曲の数々と、暖かい歌声に、彼らの音楽で青春を過ごしてきた人たちにとって、嬉しい再会となったはずです。
開演前のインタビューでは「故郷に戻ってきたみたいだよ」とサイモン。休止中には、リー、ダンカン、アントには会っていましたが、サイモンは10年振り。アントは、「スヌーピーは僕のミュージカルを観に来てくれたんだよ」とサイモンに説明していました。担当制は変わっていませんでした。
日本の前に訪れた国でお腹を壊してしまったリーは、何度かトイレに駆け込んでいましたが、しっかりインタビュールームに戻ってきてくれたのは大人になった証拠!昔なら、そのままどこかに行っちゃったかも。そんなリーは「音楽シーンが変わって、SNSが主流になっている時代。僕たちも年齢とともに自然に成長し変化してきた。だって32歳だよ(当時)。スヌーピーと会った時は、まだ18、とか19歳だったと思う。僕たちはスポットライトの中にいながら、若い時に大人にならなくてはいけなかった。それって結構大変だった。プレッシャーもあるし。バックストリート・ボーイズのドキュメンタリーを見たけれど、彼らも同じだったって知ったよ。ただ、音楽シーンが変化しても、今のボーイズ・グループが、僕たちが日本で素晴らしい経験をしてきたようなキャリアを積んで欲しい」と。
「活動を休止したのは、このまま続けていったら体を壊してしまうかもしれないと思ったから」とアント。そしてダンカンは「当時の僕たちはアメリカを除くと、今のワン・ダイレクションのような注目度だった。好きな音楽で活動することができた若い4人、20代前半でお金も稼いで世界を回った。あの頃は、そんな状況に感謝の気持ちをもって受け止めていなかったと思う。でも今は違うよ。年齢を重ね、いろいろなことをリスペクトし、すべてを受け止められるようになったんだ」と話すダンカンです。
当時を振り返って、このように話していましたが、彼らは本当にみんなに愛される人たちでした。やんちゃだったし、目を離すとどこかに行っちゃうし、S嬢の苦労は計り知れなかったけれど、彼らの歌声を聴き、お茶目な姿を見ると、すべてを許してしまう不思議な魅力がありました。そして10年振りに会った彼らは、30代の大人になったけれど、変わらず大好きな4人でいてくれました。
ダンカンに「そういえばマイまくら抱えてきたよね」というと、「今でも旅にはマイまくらだよ」と。自己破産とか、ダンカンのカミングアウトなどが話題になりましたが、昨今のデジタルな歌声ではなく、彼らのような素晴らしい生歌を聴かせるグループがいつまでも愛される音楽シーンであって欲しいと思うのです。ちなみに私のフェイバリット・ソングは「U Make Me Wanna」です!
Written by 今泉圭姫子
「The Gift (20th Anniversary)」収録の最新ベスト盤
Blue『Royal: The First Twenty Years』
2021年7月14日発売
CD
今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー
- 第1回 :U2『The Joshua Tree』
- 第2回 :バグルス『ラジオ・スターの悲劇』
- 第3回 :ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)
- 第4回 :クイーンとの出会い…
- 第5回:クイーン『世界に捧ぐ』
- 第6回:フレディ・マーキュリーの命日に…
- 第7回:”18 til I Die” ブライアン・アダムスのと想い出
- 第8回:ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリー
- 第9回:ヴァレンシアとマイケル・モンロー
- 第10回:ディスコのミュージシャン達
- 第11回:「レディ・プレイヤー1」出演俳優、森崎ウィンさんインタビュー
- 第12回:ガンズ、伝説のマーキーとモンスターズ・オブ・ロックでのライブ
- 第13回:デフ・レパード、当時のロンドン音楽事情やガールとの想い出
- 第14回:ショーン・メンデス、音楽に純粋なトップスターのこれまで
- 第15回:カルチャー・クラブとボーイ・ジョージの時を超えた人気
- 第16回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開前に…
- 第17回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」サントラ解説
- 第18回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」解説
- 第19回:クイーンのメンバーに直接尋ねたバンド解散説
- 第20回:映画とは違ったクイーン4人のソロ活動
- 第21回:モトリー・クルーの伝記映画『The Dirt』
- 第22回:7月に来日が決定したコリー・ハートとの思い出
- 第23回:スティング新作『My Songs』と初来日時のインタビュー
- 第24回:再結成10年ぶりの新作を発売するジョナス・ブラザーズとの想い出
- 第25回:テイラー・スウィフトの今までとこれから:過去発言と新作『Lover』
- 第26回:“クイーンの再来”と称されるザ・ストラッツとのインタビュー
- 第27回:新作を控えたMIKA(ミーカ)とのインタビューを振り返って
- 第28回:新曲「Stack It Up」を発売したリアム・ペインとのインタビューを振り返って
- 第29回:オーストラリアから世界へ羽ばたいたINXS(インエクセス)の軌跡
- 第30回:デビュー20周年の復活作『Spectrum』を発売したウエストライフの軌跡を辿る
今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)
ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。
HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」