デビュー20周年の復活作『Spectrum』を発売したウエストライフの軌跡を辿る【今泉圭姫子連載】
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第30回。今回は2019年11月に結成20周年を記念した再結成アルバム『Spectrum』を発売したウエストライフについて、彼らの過去や思い出とともに執筆していただきました(これまでのコラム一覧はこちらから)
デビュー20周年を迎えたウエストライフが、9年振りの新作『Spectrum』をリリースしました。嬉しい復活ではありますが、同時に2019年はアイルランド初のボーイズ・グループ、ボーイゾーンが、25周年を記念したワールド・ツアーを最後に解散した年でもあります。ご存知のようにウエストライフは、ボーイゾーンの成功を受け、マネージャーのルイ・ウォルッシュが2組目のグループとして世の中に送り込んだボーイズ・グループです。まずは、ウエストライフの新作の話をする前に、アイルランドのアイドル・シーンについて少しお話をしましょう。
ルイ・ウォルッシュは、数多くのアイルランドのアーティストをポップ・スターにしてきた敏腕マネージャーですが、「Xファクター」の審査員時代に、参加者にコップの水をかけてしまうなどの騒動を起こした人でもありました。そして、ほとんどのアーティストが彼のもとを去ってしまうのですが、ウエストライフとの関わりは強いようで、今回はウォルッシュの元で復活しています。
ルイ・ウォルッシュとボーイゾーンとの関係は、ウォルッシュによるグループに対してのネガティヴ発言や暴露まであり、最後まで良い関係を築けずにいたようです。例えば、「ボーイゾーンは、ローナン以外は歌えない、でもウエストライフは全員ヴォーカル力がある」とか。かなり影響力もある人なので、そういった発言により、傷つくアーティストもいたことでしょう。
アイルランド版テイク・ザットを作るために、ルイ・ウォルッシュがオーディションを行い、アイルランドに初めて誕生させたアイドルがボーイゾーンでした。ルイ・ウォルッシュは、もともとアイランドの地元レーベルで働いていた音楽業界人で、のちにユーロビジョン・ソング・コンテストで優勝したジョニー・ローガンと出会い、1980年に「What’s Another Year」をアイルランドのみならず、UKでも1位に送り込み、マネージャーとしての地位を確立させました。
そしてボーイゾーンをアイルランド、UK、ヨーロッパのスターへと導き、1998年にはウエストライフをデビューさせます。確か、デビュー当時はボーイゾーンのローナン・キーティングもマネージャーの一人(プロデュースする側だと思いますが)として名を連ねていました。
アイルランド版テイク・ザットがボーイゾーンであるとすれば、ウエストライフはアイルランド版ウエット・ウエット・ウエットだったかもしれません。よりコーラス・グループとしてのカラーをより強く打ち出していました。(ウエット・ウエット・ウエットは、1987年にデビューし、数多くのヒットを放ち、1994年には映画『フォー・ウェディング』の主題歌「Love Is All Around」がビッグ・ヒットになったグラスゴー出身のボーイズ・グループ。どちらかというとブルーアイドソウル)。
ボーイゾーンのサウンド作りは、どこかドラマチックなものがありました。デビュー当時17歳のローナンはハスキー・ヴォイス、そしてスティーヴンはハイトーン・ヴォイス、といったように声質もはっきりと分かれていたのが特徴。ウエストライフは、どちらかというと5人の声がハーモニーとして一体化しているのが特徴で、ボーイゾーンとは異なる個性をもっていたヴォーカル・グループでした。
日本では、ヨーロッパで異常な人気のボーイゾーンが苦戦していたのに対して、ウエストライフは、デビュー・アルバムが10万枚を超えるヒットとなり、大成功を収めました。初来日は5人揃ってではなく、誰かが来れなかったり(ニッキーだったかな?)、次の来日でも4人で、最後にようやく5人が揃ったのを記憶しています。
その後2004年にブライアン・マクファデンが脱退するのですが、結局4人となったウエストライフ。でも歩みを止めることなく、次々とヒットを連発しました。ブライアンはソロとして来日しましたが、かなりの自由人なので、超真面目なウエストライフの中では息苦しかったのかもしれません。ウエストライフのシェーン、キーヤン、マーク、ニッキーは、とても実直で純粋な人たちという印象があります。何度かインタビューしましたが、あまり踏み外すような行動、言葉がなかったように思います。
レア・エピソードですが、メンバー全員がゴルフ好きということで、あるプロモ来日時に、成田空港から直接ゴルフ場に向かい、小規模なウエストライフ・コンペが行われ、私も参加しました。真面目なメンバーは、そのコンペのために、アイルランドからゴルフバッグを持ってくるほど。でもシェーンのゴルフバッグが成田で紛失するという事件があり、シェーンはレンタルでの参加にちょっと悔しそうでした。私といえば、ゴルフはやっていましたが、下手でしたので、スコアは160ぐらいを回る奮闘ぶりで、メンバーと懇親しながらのプレーどころではありませんでした。もちろん、メンバー組をはずしてもらっていたので、迷惑をかけることはありませんでしたが、走り続けて疲れたという記憶しかありません。その後シェーンのソロ・アルバム・リリース時に、電話インタビューをしたのですが、日本でのゴルフ・コンペを懐かしそうに話していましたっけ。
話を戻します。2012年、14年間トップ・グループとして走り続けた彼らは解散を発表します。「デビューしたばかりの時には、これだけの成功を収められることができるとは思わなかった。夢がかなった」という言葉を残して。UKシングル・チャートで14曲を1位に送り込んだのは、エルヴィス・プレスリー、ビートルズに次ぐもので、デビューから7曲連続1位の記録はウエストライフが打ち立て、まだその記録は破られていません。
またアルバム7作が1位となり、イギリスの人気投票「Record of The Year」に4度輝いているのもウエストライフだけ。ウエストライフの成功は、日本で思っている以上に大きなものです。彼らの活躍は、アイルランド、イギリスにおいて、アイドル的な人気を誇るヴォーカル・グループのフィールドを確立させ、のちにワン・ダイレクション誕生に繋がれていったといっても過言ではありません。
そして、レコード総売上4,400万枚のウエストライフが、6年の沈黙を破りグループとしての再活動をアナウンスしたのが、2018年10月でした。デビュー20周年を祝う形で復活を宣言し、その第一弾シングルとしてリリースされたのがデビュー当時から彼らを手掛けてきたスティーヴ・マックとエド・シーランのペンによる「Hello My Love」。
エド・シーランの楽曲は、数多くのアーティストが歌っており、アーティストの魅力とともに彼の個性が見え隠れする作品が多いです。ウエストライフの新作『Spectrum』に提供した3曲は、素晴らしいメロディ・ラインが、ウエストライフのヴォーカル・グループとしての魅力にうまく吸収され、今のサウンドやメロディーとなって、新しいウエストライフの作品に仕上げられています。「Better Man」は、ストリングスによるドラマチックな曲。リズミカルなポップ・ソング「Dynamite」は、軽やかなコーラスが印象的です。
アルバムの中の私のお気に入りは「Take Me There」。これはスティーヴ・マックの作品ですが、テイク・ザットの方向性に少し似ていてパフォーマンスが目に浮かぶ、ウエストライフの新境地となった曲です。これまでカバー曲ヒットも多かった彼らですが、新作では一切ありません。また大物アーティストとのデュエットも過去に数多くやっているのですが、そういったスペシャルもありません。6年間のブランクを埋めるように、4人だけの世界観をしっかりと聴かせてくれる作品に仕上げられたと言っていいでしょう。
ニッキー、キーアン、マーク、シェーン。数々の記録を打ち立ててきたウエストライフの新たな旅立ちには、どんな成功が待っているのでしょうか。全員が40代となる2020年のウエストライフの活動に注目しましょう。
Written by 今泉圭姫子
ウエストライフ『Spectrum』
2019年11月15日発売
CD / iTunes / Apple Music / Spotify
今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー
- 第1回 :U2『The Joshua Tree』
- 第2回 :バグルス『ラジオ・スターの悲劇』
- 第3回 :ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)
- 第4回 :クイーンとの出会い…
- 第5回:クイーン『世界に捧ぐ』
- 第6回:フレディ・マーキュリーの命日に…
- 第7回:”18 til I Die” ブライアン・アダムスのと想い出
- 第8回:ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリー
- 第9回:ヴァレンシアとマイケル・モンロー
- 第10回:ディスコのミュージシャン達
- 第11回:「レディ・プレイヤー1」出演俳優、森崎ウィンさんインタビュー
- 第12回:ガンズ、伝説のマーキーとモンスターズ・オブ・ロックでのライブ
- 第13回:デフ・レパード、当時のロンドン音楽事情やガールとの想い出
- 第14回:ショーン・メンデス、音楽に純粋なトップスターのこれまで
- 第15回:カルチャー・クラブとボーイ・ジョージの時を超えた人気
- 第16回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開前に…
- 第17回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」サントラ解説
- 第18回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」解説
- 第19回:クイーンのメンバーに直接尋ねたバンド解散説
- 第20回:映画とは違ったクイーン4人のソロ活動
- 第21回:モトリー・クルーの伝記映画『The Dirt』
- 第22回:7月に来日が決定したコリー・ハートとの思い出
- 第23回:スティング新作『My Songs』と初来日時のインタビュー
- 第24回:再結成10年ぶりの新作を発売するジョナス・ブラザーズとの想い出
- 第25回:テイラー・スウィフトの今までとこれから:過去発言と新作『Lover』
- 第26回:“クイーンの再来”と称されるザ・ストラッツとのインタビュー
- 第27回:新作を控えたMIKA(ミーカ)とのインタビューを振り返って
- 第28回:新曲「Stack It Up」を発売したリアム・ペインとのインタビューを振り返って
- 第29回:オーストラリアから世界へ羽ばたいたINXS(インエクセス)の軌跡
今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)
ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。
HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」