今泉圭姫子連載第20回:映画『ボヘミアン・ラプソディ』とは違ったクイーン4人のソロ活動
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第20回。クイーンを描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』の熱気は一向に収まらないクイーンですが、今回は映画の中でメンバー同士の亀裂が入ることになったソロ活動について。実際にはフレディよりも先に他のメンバーがソロ活動を行っていました。(これまでのコラム一覧はこちらから)
映画『ボヘミアン・ラプソディ』が、ゴールデン・グローブ賞の作品賞、主演男優賞に輝き、2月25日に授賞式が行われるアカデミー賞では、作品賞、主演男優賞を含む5部門にノミネート。さらに、日本における興行収入が100億円を突破したというニュースが届けられました。そんな嬉しい現象に、「一体これはなんなんだろう」と私の頭がついていきません(笑)。しかし何よりも、クイーンのコンサート、フレディの姿を生で観たことがない音楽ファンにとって、あの時代の素晴らしさが再現され、感動を体験できたこと、そして映画を通じてクイーンと出会えた方にとっては、彼らの音楽を知る機会に巡り会うことができ、それだけも凄いことだと思います。これこそブライアン、ロジャーが活動を続けてきた理由の一つなのでしょう。
先日、『ボヘミアン・ラプソディ』の胸アツ応援上映に参加してきました。最初に映画を観た時は、感傷的になってしまい理性を失っていましたが、2回目は少しだけ、ほんの少しだけですが、映画を冷静に見れる場面もありました。3度目は歌おう!と、心に決め映画館に足を運びました。意外にみなさん歌っていなかったような…その気持ちもわかります。グッと自分の世界に入り込みたいですものね。3度目にして気づいたのは、初の全米ツアーの時に流れる音楽が「Fat Bottomed Girls」(78年『JAZZ』収録)。ちょっと違和感を覚えました。ファースト、セカンドあたりの楽曲にしてほしかったなぁと。でもそう感じたのは一瞬で、映画としての醍醐味は、何度見ても最後まで失われることはありませんでした。
最近は、映画によって初めてクイーンを知った方のために、私のラジオ番組を通じて、映画から抜粋したリアル・ストーリーをお話ししています。その中のひとつがメンバーのソロ・ワークスです。映画ではフレディのソロが、多額の契約金でソニーと契約を結ぶことになり、それがバンドとしての亀裂となったと描かれていますが、実は他のメンバーはフレディよりも早くソロ活動をしていました。実際にはフレディのソロが直接メンバー間で対立となったというわけではありません。先日、当時担当されていたソニーの宣伝の方から連絡があり、あのアルバムそんなに悪い出来ではなかったよね、と。関わったみなさん、それぞれの思いがあるのですね。それではクイーンとして成功してからのソロ活動をお話ししましょう。
最初にソロ活動を始めたのがロジャー・テイラーでした。1977年、ジョージ・クリントン率いるザ・パーラメンツの「I Wanna Testify」をカバーしたシングルをリリース。これは3000枚の限定シングルでした。私もこの7インチをゲットし、当時自慢でした(笑)。MVではギターを弾くロジャーを見ることができます。ロジャーがファンク・バンドのザ・パーラメンツの曲をピックアップするなんて、当時は驚いたものです。というか、未知の領域の音楽だったので、オリジナルを聴いて、ロジャーはなぜこの曲を選んだんだろうか、とジョージ・クリントン好きの男子に聞いたものです。その後、81年にはソロ・アルバム『Fun In Space』をほぼ自分で楽器を演奏して制作。サイド・プロジェクトではありましたが、ザ・クロス(The Cross)というバンドでもアルバムをリリースしています。
クイーンとしてのロジャーは、後期に「Radio Ga Ga」「A Kind Of Magic」のヒッグ・ヒットをソング・ライティングしていますが、初期にはストレートなロックを中心に「Modern Times Rock’n’Roll」「Sheer Heart Attack」映画にも出てきた「I’m In Love With My Car」を書いている彼も才能ある人。ソロでは、カバー曲や息子のフェリックスとのユニット、X JAPANのYOSHIKIとのコラボ「Foreign Sand」をリリースし、94年には奈良の東大寺でのイベント「The Great Music Experience94=21世紀への音楽遺産をめざして〜AONIYOSHI」にも出演。ロジャーは自由な精神で多くのことにチャレンジしてきました。
ブライアン・メイは83年に、エディ・ヴァン・ヘイレンも参加していたプロジェクトで、ミニ・アルバム『Star Fleet Project』をリリースしました。その1年前の82年の話になりますが、私はミルトン・キーンズ・ボウルでのクイーンのコンサートを見に行きました。サポート・アクトはハート、ティアドロップ・エクスプローズ、ジョーン・ジェット&ザ・ブラックハーツ。翌日、私はハートのインタビューが予定されていることもあり、しっかりハートを見て、大好きなジュリアン・コープ率いるティアドロップ・エクスプローズをブーイングの中で見て、でもアズテック・カメラのロディ・フレイムが飛び入りし、プリンスの「Purple Rain」を熱唱したのは良かったと覚えています。ちなみにティアドロップが解散宣言したラストステージだったと記憶していますが、大ヒット曲の「Reward」をやらずにファンがブーイング。そんなことはしっかり覚えています。
そしてジョーン・ジェットのステージの時に、クイーンが到着したというニュースがあり、私とアシスタントの妹はホスピタリティ・エリアで、クイーン待ち。その頃は突撃取材ありの時代だったので、密かにクイーンの取材を計画していました。なのでジョーン・ジェットは見ていません。
結局、クイーンはホスピタリティ・エリアには現れず、その代わりといっては失礼ですが、なんとロバート・プラントがウロウロしていたのです。本当にウロウロ。そこで突撃取材をやってしまいました。気持ち良くインタビューに答えてくれて、私の中でのロバート・プラントはあの日から優しいロック・シンガーです。ハートのアン・ウイルソンの憧れの人でもあるので、アンも会えたかな〜と思ったり。
すっごく前置き長いですが…続けます。クイーンの登場は夜の9時でした。DVDの『Queen on Fire – Live at the Bow』を見直すと、すでにフレディは口ひげでしたね。フラッシュ・ゴードンをイメージしていたタンクトップを着ていました。野外でしたので、頑張れば一番前で見ることができる自由な時代。私たちはもちろん一番前にチョロチョロと小柄をいかし、かぶりつきました。
そして翌日、ハートのインタビューでは、アンが興奮気味にローバト・プラントに会えた話をしてくれましたっけ(いや、そこはクイーンのことを聞くべきでした)。そしてその夜、単独でのハマースミス・オデオンでのハートのライヴを観に行ったのですが、なんとブライアンが飛び入り出演。大きなフェスでのコンサートが終わったばかりなのに、シアトルからやってきたグループの応援にかけつけたブライアン。アンにもっとクイーンとの関わりを聞けばよかったと後悔したものです。
そんなブライアンは、80年代は本田美奈子さんに楽曲提供、プロデュースをしていましたが、フレディが亡くなってからソロ活動を再開します。92年にアルバム『Back To The Light』(邦題:バック・トゥ・ザ・ライト〜光にむかって〜)をリリース。この邦題のサブ・タイトルは、私がつけさせていただきました。かなりの豆情報ですが…。93年にはソロ・ツアーも行い、来日もしていますね。
ジョン・ディーコンにいたっては、ソロ活動というよりも、ミュージシャン仲間とのコラボレーションぐらいで本格的なソロ活動はありませんでした。Man Friday and Jive Juniorでは、シン・リジーのスコット・ゴーハム、バッド・カンパニーのサイモン・カーク、ミック・ラルフス、プリテンダーズのマーティン・チェンバーズと「Picking Up Sounds」をリリースしているとのことですが、私はまだ聴いたことがありません。映画『ビグルス・時空を越えた戦士』のためのThe Immortals名義による「No Turning Back」はのちに本田美奈子さんが「ルーレット」というタイトルで日本語で歌っていますね。
ロジャー、ブライアン、ジョンが揃ってクイーンとして活動をしたのは、97年の「No-One But You (Only the Good Die Young)」が最後でした。フレディとダイアナ元妃に捧げる新曲としてリリース。ミュージック・ビデオには3人の姿があり、初来日時フレディがけん玉で遊ぶ有名なシーンなども見ることができます。久しぶりに見て、しみじみしちゃいました。
昨今、映画の大ヒットにより、いろいろな情報が飛び交っていますが、私が知らなかったことも含め、そん新鮮な情報に一喜一憂しながら、高校生の時のような気持ちに戻っています。でもそろそろ、私は自分の中でのクイーンの存在を何よりも大切にしたいな、という気持ちに今はなっています。雑誌「Life」が発行した特別版に掲載されているフレディのプライベートの写真を見ながらほっこりしたり、そんな時間を大切にしたいなと。
これからアカデミー賞が近づいてくると、またまたさまざまな話題で賑わいそうですが、自分の生活の中にあるクイーンの音楽を大切にしながら、少しずつ私が知っているクイーンについて、クイーンファン1年生の音楽ファンに伝えていけたらいいなと思っています。ロジャーとブライアンの意思を尊重し、少しでもその役割を担いたいと!
Written By 今泉圭姫子
クイーン『Bohemian Rhapsody (The Original Soundtrack)』
今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー
- 第1回 :U2『The Joshua Tree』
- 第2回 :バグルス『ラジオ・スターの悲劇』
- 第3回 :ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)
- 第4回 :クイーンとの出会い…
- 第5回:クイーン『世界に捧ぐ』
- 第6回:フレディ・マーキュリーの命日に…
- 第7回:”18 til I Die” ブライアン・アダムスのと想い出
- 第8回:ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリー
- 第9回:ヴァレンシアとマイケル・モンロー
- 第10回:ディスコのミュージシャン達
- 第11回:「レディ・プレイヤー1」出演俳優、森崎ウィンさんインタビュー
- 第12回:ガンズ、伝説のマーキーとモンスターズ・オブ・ロックでのライブ
- 第13回:デフ・レパード、当時のロンドン音楽事情やガールとの想い出
- 第14回:ショーン・メンデス、音楽に純粋なトップスターのこれまで
- 第15回:カルチャー・クラブとボーイ・ジョージの時を超えた人気
- 第16回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」公開前に…
- 第17回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」サントラ解説
- 第18回:映画「ボヘミアン・ラプソディ」解説
- 第19回:クイーンのメンバーに直接尋ねたバンド解散説
今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)
ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。
HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」