カルチャー・クラブとボーイ・ジョージの時を超えた人気
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第15回。今回は19年ぶりのスタジオ・アルバムの発売を発表したカルチャー・クラブ。彼らの初来日の時のインタビュー、ボーイ・ジョージのインタビューなどを振り返っていただきました。(これまでのコラム一覧はこちらから)
2016年、オリジナル・メンバーで来日公演を果たし、新作『Tribe』をリリースするというニュースが流れてから2年、ついにカルチャー・クラブは19年振りの新作を10月26日にリリースします。タイトルは変更になり『Life』。また8月24日から北米ツアーが始まり、12月5日までUK、ヨーロッパも回るワールドツアーを敢行します。なんとUKはアリーナ・ツアーとなり、ロンドン公演はウエンブリー・アリーナとのこと。時を超えたカルチャークラブの人気の凄さをあらためて感じます。もちろん紆余曲折を経て今に至っていることは、みなさんもご存知のはずですよね。
2年前の日本公演もヒット曲満載の楽しいステージでした。ボーイ・ジョージのサービス精神旺盛なパフォーマンスには脱帽でしたし、彼のスタイルは80年代とは変わっていますが、ファッショナブルであることは貫いていました。昨今80年代ブームとはいえ、カルチャー・クラブやデュラン・デュランは、そういったブームの一角ではなく、ライヴを通して、いまだに衰えない、クォリティーの高さを感じさせてくれるグループであることをあらためて感じるのです。
カルチャー・クラブはボーイ・ジョージが中心となり、1981年に結成されました。一時、13歳のアナベラ・ルーイン率いるBow Wow Wowで歌っていたことがありましたが、自分のグループを結成したいというジョージの強い思いの中で、カルチャー・クラブは誕生しました。最初のシングル2枚はヒットしませんでしたが、3枚目にあたる「Do You Really Want To Hurt Me」が1982年世界的にヒット。
デビュー1年で世界のグループへと上りつめていきました。ジョージは当初パンクの女王スージー・スー(スージー・アンド・ザ・バンシーズ)の奇抜なメイクに影響を受けていましたが、MTV時代の到来を予知するかのように、カラフルで、美しく、性別を超えた新しいファッションを生み出しました。そしてポリスがそうだったように、彼らもレゲエ・ミュージックをうまく自分たちのオリジナルに取り入れ、ニューロマンティック・ブームとは一線を画した音楽スタイルで、世の中の注目を集めたのです。
「君は完璧さ」という日本語のタイトルが付けられましたが、「Do You Really Want To Hurt Me」は、全米、全英、日本のオリコンチャート(洋楽)でも1位を獲得。それからは「Time (Clock of the Heart)」「Church of the Poison Mind」「I’ll Tumble 4 Ya」「Karma Chameleon(邦題:カーマは気まぐれ)」「Miss Me Blind」など次々にヒット曲を出し、ジョージの奇抜なファッションも手伝って、彼らは世界の頂点に立ちました。
初来日の時にインタビューしましたが、それはそれは物々しい、ピリピリしたものでした。ジョージだけのインタビューでしたが、衣装も、メイクもフル装備で、インタビュー時間は10分程度。あまりにも厳重な環境の中だったので、何を聞いたかも覚えていません。
ただ世界を制覇したクリエイティヴなアーティストとインタビューしたという、ドキドキ感だけは憶えています。それにジョージは非常に頭の回転が早く、言葉を巧みに使って、まくしたてるように自己表現する力を持っている人、という印象も受けました。あと大きい人だな、と・・・(*183cm)。スクリッティ・ポリッティのグリーンに続く驚きでした(*198cm)。
その後、日本武道館での公演、グラミー賞新人賞受賞、バンドエイド出演と華やかな時代を象徴するように、カルチャー・クラブはスター街道を走っていました。イギリスのユニークなバンドがいきなりグラミーの新人賞を受賞するなんてことは、今でも考えられませんが、当時も凄いことでした。世界中の音楽ファンが愛した楽曲の素晴らしさは、グラミーの会員も唸らせたわけです。
ところが、1986年4枚目のアルバム『From Luxury to Heartache』をリリースしたあと、ジョージがドラッグ事件で逮捕されるというショッキングなニュースが伝わってきました。そのためカルチャー・クラブは活動停止となり、この事件後、ボーイ・ジョージには何かとスキャンダラスなイメージがつきまってしまいます。
私が1年間のイギリス滞在中、ソロ・アルバムをリリースしたボーイ・ジョージにインタビューする機会がありました。この時は、カルチャー・クラブ全盛期の慌ただしいインタビューではありませんでした。スキャンダルがあったにも関わらず、ソロ・アルバムのためのプロモーションをよくぞ引き受けたものだと当時は思ったものですが、シングル「Everything I Own」がUK1位に輝き、大復活を遂げたという、彼にとっては嬉しい結果がすべてを前向きにさせたのでしょう。
その時のことを何かの媒体で書いたはずだ〜と、また記憶の糸をたどってみたのですが、なんと私がロンドン生活をまとめた本「ロンドンわがままチェック」(シンコーミュージック)に書いたことを思い出しました。“久々に会ったデュランとボーイ・ジョージ”という項目に、1988年夏のインタビューを少しだけ掲載していました。(忘れていたんですね〜。本に書いたこと・・・)。自分で言うのもなんですが、とても興味深い内容で、よくぞストレートに聞いたね、と今の自分が昔の自分を褒めたくなる内容でした。
ノーメイクで現れたジョージ。昔から顔立ちの綺麗な人だとは思っていたけれど、瞳がとてもきれいで、ハンサムだったことは、はっきりと覚えています。レコード会社ではなく、ロンドン市内のどこかの事務所だった記憶があります。お茶を飲みながら話した記憶があります。中庭のようなところで…「昔は写真撮影に厳しかったでしょ?もうみんながボーイ・ジョージ頼むよ〜てな感じだったのよ」と私が言うと、彼は笑いながら「一番大事なことは、自分をどううまく表現するかだと思うんだ。でもカルチャー・クラブの終わりの頃は、写真に対して厳しくなることで自分を守っていたんだよ」と心の内を話してくれました。あのフル装備は彼のプロテクターだったのですね。ちなみに通訳さんなしでよくインタビューしたな、怖さをしらない若さっていいな〜なんて今思っています。
事件直後ということもあって、心の変化なども話してくれたのですが、丸坊主にしていたので「なぜ髪を切ったのか」と聞くと、仏教の教えに影響を受けたこと、部屋には仏像をいっぱい飾っているといった話になりました。事件があって、あらためて自分を見つめ直す機会をもらったと。「アイドルのキャリアは常に幻想で作り上げられている。僕は幻想のままでいたくないんだ」という言葉が印象的で、「前世は僧侶だったかも」なんて言葉もでました。「このヘアー・スタイル似合うかな〜?」とはにかみながら聞いてきたことは忘れていません。
あの頃は、リアルな本来の自分に戻ることが重要だった時期なのかもしれません。それを乗り越えて、あらためて彼はボーイ・ジョージ、カルチャー・クラブに向き合うことができたのでしょう。今でも覚えているのは、とても穏やかだったということ。ものすごいスピードでまくし立てる初インタビューでの印象があったけど、あの時は、ゆっくりと言葉を選びながら話していました。あれから何度か事件は起こしているジョージですが、彼にとって人生の転機になった時期の貴重なインタビューなので、今でも忘れられない取材のひとつです。
1995年、ジョージの自伝「Take It Like A Man」が出版されました。のちに「Taboo」というタイトルで舞台化もされ、2010年には「Worried About The Boy」というタイトルでTVドラマ化もされています。一度本は読んでみようと思います。
繊細なアーティストだからこそ、心の病に負けてしまうこともあったボーイ・ジョージ。彼の栄光と挫折は、まるでジェットコースターに乗っているような人生ですが、19年振りの新作でどんなサウンドをクリエイトし、どんな言葉で綴られているのかとても興味深いです。そしてこれまでのカルチャー・クラブの曲が、今でも聴かれ続けている名曲が多いことこそ、ボーイ・ジョージが再び立ち上がる原動力になったと思うのです。
連載『今泉圭姫子のThrow Back to the Future』 バックナンバー
- 第1回 :U2『The Joshua Tree』
- 第2回 :バグルス『ラジオ・スターの悲劇』
- 第3回 :ジャパン『Tin Drum』(邦題:錻力の太鼓)
- 第4回 :クイーンとの出会い…
- 第5回:クイーン『世界に捧ぐ』
- 第6回:フレディ・マーキュリーの命日に…
- 第7回:”18 til I Die” ブライアン・アダムスのと想い出
- 第8回:ロキシー・ミュージックとブライアン・フェリー
- 第9回:ヴァレンシアとマイケル・モンロー
- 第10回:ディスコのミュージシャン達
- 第11回:「レディ・プレイヤー1」出演俳優、森崎ウィンさんインタビュー
- 第12回:ガンズ、伝説のマーキーとモンスターズ・オブ・ロックでのライブ
- 第13回:デフ・レパード、当時のロンドン音楽事情やガールとの想い出
- 第14回:ショーン・メンデス、音楽に純粋なトップスターのこれまで
ラジオDJ、音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。
HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」