今泉圭姫子連載第4回:クイーンとの出会い…
ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」の第4回です。コラムの過去回はこちら。
連載第4回:クイーンとの出会い。。。
フレディ・マーキュリーが生きていたら、9月5日で71歳。45歳の若さで亡くなったので、フレディの71歳は想像できないのですが、最近ザ・ストラッツのルークを見ていると、フレディにもし息子が存在していたら、こんな子だったのかしら?などと想像するのです。
私はクイーンの楽曲をベスト・アルバムでは聴きません。ベスト・アルバムはスペシャル・グッズのような存在です。先日映画「ベイビー・ドライバー」を観たら、「ブライトン・ロック」が流れてきました。「あ〜、家に帰ったら聴きたいな〜」と思い、「シアー・ハート・アタック」のアルバムを取り出して最初から最後まで聴きます。つまり、クイーンの作品はアルバムとしてのコンセプトがしっかりと表現されているので、曲順も含めすべてが記憶の中にあり、聴く者にゴージャスなアルバムとしてのインパクトを与えてくれます。フレディが生きていたら、きっと今の時代を嘆いたかもしれませんね。
クイーンとの出会いは高校1年生のときでした。それまでは西城秀樹ファンクラブの会員としてミーハー街道まっしぐらでしたが、突然洋楽の世界へとのめり込んだのです。そのきっかけは、TVで郷ひろみがカバーしていた「Stone Cold Crazy」を聴いてから。その頃ヒデキもステージでは、ロッド・スチュワートやニール・セダカを歌っていました。そんな私はビートルズを少しかじり、洋画は好きでしたので映画「小さな恋のメロディー」でビー・ジーズ、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤング、映画「フレンズ」でエルトン・ジョンを知ったので、海外の音楽がまったく耳馴染みのないものではありませんでした。でも郷ひろみのカバーを聴き世界が変わってしまったのです。それからは『戦慄の王女』『クイーンⅡ』『シアー・ハート・アタック』を聴きまくり、ファーストではディーコン・ジョンとクレジットされていたのに、セカンドでジョン・ディーコンと変更されたのはどうしてだろう、なんて些細なことまで気になるようになったのです。ちょっとした田舎の音楽評論家気取りでした。
当然初来日(1975年)には間に合いませんでした。でもそれから11ヶ月後に2度目の来日が決定すると、なんとしてでも行こうという強い思いがありました。高校3年を迎える年でした。1976年のジャパン・ツアーは、全国6箇所11公演。日本武道館は3Daysでした。私は3月31日の武道館を観ました。なぜかその日は学校があり(春休みじゃなかったんだ〜と記憶が不確かです)、最後のクラスを休んで東京に向かったのです。担任の先生には早退届を出しています。理由は東京にクイーンを観に行きます、と(そんな時代でした)。両親の心配をよそに、中学3年生の妹の手を引き、たった2人で甲府から電車に乗り、武道館へと向かったのです。当時のチケット購入方法は電話でした。ファンクラブに電話し、S席かA席かと聞かれたのですが、せっせと貯めた少ないお小遣いの範囲内で買うので、即座にA席2枚と言ったところなど、何も知らない子供でしたね。「A」だから悪くないと信じていました。実際には、西側のてっぺんでしたけど。その日は雨で、雨の雫がパンフに落ちてしまい嘆いたのを覚えています。
父親が勤めていた新聞社から借りた高性能の望遠鏡を持参し、メンバーの顔はバッチリ。当時のセット・リストは今でもナンバー・ワンです!『オペラ座の夜』がリリースになったばかりだったので、1、2、3、4枚のアルバムからの選曲になりました。今は便利ですから、当時のセット・リストをインターネットで調べることができます。私の記憶ではありません。「White Queen」「Black Queen」「The Prophet’s Song」など後期には演奏される機会が少なかった楽曲が披露されていました。「In The Lap Of Gods」もしばらく演奏しない時期がありました。数年後、ブライアン・メイに必死で「演奏してほしい」と訴えたことを記憶しています。その頃のサウンドを聴いていない方には、オリジナル・アルバムをオススメしますが、『ディープ・セレクション1973〜1976』は当時のクイーンを象徴した14曲が収録されているので、ぜひ聴いてみてください。
初クイーンは、海外アーティストのロック・コンサートを初体験するという興奮もありましたが、クイーンのステージは今まで経験したことのない魅惑の世界でした。毎日毎日聴いていた音楽を生で体験できるという喜びは、どんな言葉にも変えられない不思議な感覚として私の中に残ったのです。そして細やかな夢も抱きました。次の来日の時は、アリーナと呼ばれる1Fで観るんだ、と。そしていつかフレディ・マーキュリーに会ってみたい、と。この業界に入る前の話ですので、会ってみたいというのは、もっともっとミーハーな感覚で、お嫁さんになりたい的な発想ですね!
それから2年後、この業界で仕事をするようになるのですが、初めて会ったのがロジャー・テイラー。師匠の湯川れい子先生がインタビューするということでお付きとしてです。震えましたね。一言も話すことができませんでしたが、写真を撮らせていただき、それだけで幸せいっぱいでした。その後、ロサンゼルスでアダム・アントの取材にでかけ、ライヴ後のパーティーにロジャーとジョンを見つけました。一緒に行った「Music Life」の塚越みどりさんと興奮状態となり、東郷かおる子編集長に荷物を預け、声をかけに行ったという思い出もあります。あの頃は、なかなか気持ちを抑えられない新人でした(笑)。
その後自分の番組などをもたせていただくようになり、少しは自覚も生まれました。スタジオにロジャーとジョンが来てくれたこと、名古屋の公演でブライアンに初めてインタビューしたこと、クイーンを通して経験という大切なものを得たのです。フレディに会うチャンスはなかなか巡ってきませんでしたが、、、初めて会ったのは、ソロとしてのプロモーションでした。ホテルの取材部屋で待っていたフレディは素足でした。鮮明に覚えています。風貌は髪を短くし、髭を生やし始めた時代です。しらさぎルックはとうに卒業していたし、バレエのコスチュームも着ていない、グラマラスな時代から変貌を遂げていました。持参した昔のパネルにサインをしてもらうとフレディは「懐かしいな〜」と一言。彼にとっても初期の時代は過去の思い出になっているんだって、気づかされました。
その時のインタビューは1985年の「FM Station」にも掲載されました。その記事を改めてみると、フレディのおもしろい言葉を見つけました。ソロはラヴ・ソングがメインですが、クイーンとしては複雑な曲が多いですよね、という質問に、「そうだね、複雑な曲を書いていたね。「Bohemian Rhapsody」はいい曲だけど、いまだに僕自身わからない曲だ。今は聴く人にすぐにわかってもらえる歌を書きたいと思う.アイツはなんでこんな歌を作るんだ、これを聴くとあの時の痛みを思い出すよって具合に、リスナーの誰もが一番経験していることを歌うのが、今のフレディ・マーキュリーなんだ。でもシンプルな歌を書くのは難しいんだよ」と。憧れの人は、ちっとも気難しくなくて、笑顔ですべてを受け止めてくれるようなオーラに満ち溢れていて、今でもフレディの笑った顔しか浮かんできません。トンガっていた時代に会いたかったという思いもありますが、私にとってのタイミングは、フレディの視点が、クイーンのフィルターを通さずに表現した世界観を知る時だったのでしょう。。。。。
その後フレディにはロンドンで一度だけ話す機会がありましたが、インタビューはこの時が最初で最後となりました。フレディの最後の言葉は、また次の機会にご紹介します。
♪ コラム中に出てきたアルバムをチェック
- 『シアー・ハート・アタック』 CD / iTunes / Apple Music / Spotify
- 『戦慄の王女』 CD / iTunes / Apple Music / Spotify
- 『クイーンⅡ』 CD / iTunes / Apple Music / Spotify
- 『オペラ座の夜』 CD / iTunes / Apple Music / Spotify
- 『ディープ・セレクション1973~1976』 CD / iTunes / Apple Music / Spotify
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