U2『The Joshua Tree』:発売当時の国内盤ライナーと今から振り返って【今泉圭姫子連載】

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ラジオDJ、ライナー執筆など幅広く活躍されている今泉圭姫子さんの新連載「今泉圭姫子のThrow Back to the Future」。コラムの過去回はこちら

連載第1回は、1987年発売のU2のアルバム『The Joshua Tree』国内盤CDに掲載されていた今泉圭姫子さんのライナーノーツをそのまま掲載。そして今、当時のことを振り返った原稿も合わせて掲載します。


■1987年発売『The Joshua Tree』ライナーノーツ

約3年ぶりに、U2の新作が届いた。前作「焔」を発表後、ワールド・ツアーを行い、特にアメリカで大成功を収めたU2。しかし、そのワールド・ツアーには、日本公演が組み込まれていなかったので、この新作はファンにとっては、本当に久しぶりのU2便りになったはずだ。2年半前、ワールド・ツアーのスタートとなったオーストラリア、シドニーで、彼らのライブを見たが、初来日公演でも観せてくれた、エネルギー、情熱、汗、を感じるステージは相変わらずで、U2のライブに触れるたびに、自分自身の奥深くから、熱いエネルギーが湧き出てくるような、そんな間隙を味わうことができた。あの時の興奮を 思い出すだけで、手に汗びっしょり。それだけに、急成長を遂げたU2のライブを日本で観ることが出来なったのは非常に残念なことだった。

約1年に及ぶワールド・ツアー後は、ライブ・エイド出演、反アパルトヘイト・プロジェクト参加、その後エッジが映画音楽を手掛け、ボーノはアイリッシュ・バンド、クラナドのレコーディングに参加するなど、U2として長い休息に入った。昨年後半になってやっと、“いよいよレコーディングを開始するらしい”、という噂は入ってきたが、詳しい情報は何ひとつなく、今年こそは、という希望を持ち、遂に新作『ヨシュア・トゥリー』が手元に届くに至った。

“ヨシュア”は、旧約聖書にある主のしもベモーゼの従者、ヌンの子として登場する。――強く雄々しくあれ、恐れてはならない、おののいてはならない――という主からの命令によって、安息の場所を護るために、民と共に進み行く課程が、ヨシュア記には書かれてある。ヨシュアは神に仕え、その声に聴き従うことをシケムにて約束させ、主の聖書にある樫の木の下に、大きな石を取ってそこに立てた。ヨシュア・トゥリーについては、中川氏の解説に書かれてあるが、旧約聖書には、このように書かれたあったことを付け加えておく。

U2の新しいサウンドが届く一週間前、アルバムに収められた11曲の歌詞がます手元に届いた。いつにも増して抽象的な詩が綴られている。しかしその誌を(辞書を片手に必至だった私)何度も何度も、しつこいくらい何度も読み返すごとに、ボーノの詩の世界が、非常にシンプルで、ストレートで、分かり易く、心安まるものであることに気づいた。以前のボーノは、目の前で起った、又は耳にした世の中の出来事を題材にしていたものが多かった。私達も「サンデー・ブラディ・サンデー」のように、彼らの詩から伝えられて、初めて知った事件がいくつかあったはずだ。そのため、U2は、良い意味でも悪い意味でも、社会批判を歌うメッセージ・バンドとして見られてきた。

しかし今回のボーノは、もっともっと広い目をもって世界を見つめ、歌っているような気がする。今、世の中に起っている破壊的な出来事。それをつきつめていくと、すべてはひとりひとりの生き方にかかってくる。彼は今、ボーノというひとりの人間にかえって、詩を書き始めたように思う。抽象的であっても、胸にせまるのは、彼の生き方、物事のとらえ方、自然に対する感じ方にひかれるものがあるからだろうか。8曲目にはドキリとさせられるものがあったが……。

4年前ボーノはこう語っていた。「アイルランド人はクリエイティブな人種だ。特に作家、詩人は秀でている。ジェームス・ジョイスとか……芸術的な人がたくさん生まれているんだ。僕は、銀行員や医者、道路工事の従業員にむいているとは思わなかったから、単純に音楽むいていると思って初めたんだけど、アイルランド人のもつ、クリエイティブでアーティスティックな背景が、自分達に何かの影響を与えているのなら、それを絶対に失いたくないんだ。」ひと言、ひと言、かみしめるようにボーノは話す。

ライブでは、声をふりしぼるようにして歌うボーノ。見ている方も、思わず肩に力が入り、いつの間にか両手がこぶしになってしまう程、情熱的で勇ましさを感じる。しかし、オフ・ステージでは、ゆっくりと穏やかなボーノだ。そう、ボーノに限らず、エッジ、アダム、ラリーも穏やかな人達だ。アルバム・ジャケットの4人を見るとつくづくそう思える。ボーノのあのしかめっ面な顔が、神聖なものに私の目には写る。広くて、温かくて、強くて、そして真実を語り、教えてくれる神様のように……。

「U2は、ステージに上がったら、4人が燃えつきるまで、演奏し、歌うバンドだ。いつでも、どこででもベスト・コンサートを見せることができるのさ。」とボーノ。早くそのベスト・コンサートを日本で、再びこの目で見たい。

87.2.

*カナ表記などは当時掲載のものをそのまま掲載しています。


■2017年から当時を振り返って

『The Joshua Tree』のリリースから30年が経ちました。前作『The Unforgettable Fire』 (邦題:焔)から3年経っての新作となった『The Joshua Tree』は、U2を世界的なロック・バンドへと大きく引きあげた名作として知られています。私が当時のアルバムのライナーを湯川れい子先生、中川五郎先生と共に書かせていただいたのは(みんなに驚かれるけれど)、79年から放送していたラジオ番組「全英TOP20」で、デビュー当時からU2を紹介させていただいたという経緯がありました。

振り返れば、アイルランドから登場したU2に対する初期の反応は、そんなに大きなものではありませんでした。インディー時代を経て、80年スティーヴ・リリーホワイトのプロデュースで母国アイルランドでデビューした時、イギリスではなかなか契約が出来ないといった状況にありました。私のラジオ番組「全英TOP20」では、曲をオンエアーしても、ダークすぎて、ドンヨリとして、番組でオンエアーしづらく、それでつけられた呼び名が“根暗バンド”でした(私がつけたのではありません。一緒に番組をやっていた大貫憲章さんです。笑)。“U2を根暗バンドだって!? 何を言ってんだ”と言う声が聞こえてきそうですが、考えてもみてください。80年代が幕を開けたばかりの音楽シーンは、ニュー・ロマンティック・ムーヴメントでキラキラしていて、アダム・アント(アダム&ジ・アンツ)がパイレーツ・ファッションでキッズの心をつかみ、アバの後継者といわれたバックス・フィズがひらひらミニスカートで「Making Your Mind Up」と歌っていた時代です。U2のUK初チャートイン曲「Fire」は、今聴けばリズムがあって、決して暗い曲ではないし、パンクっぽくて、ネクストパンク・ジェネレーションとしてスージー&ザ・バンシーズやバズコックスとともに時代を作ってきたことが理解できるサウンドなのですが。。。。

Boy』『October 』(邦題;アイリッシュ•オクトーバー)は、イギリスで81年の夏と秋にリリースになっています。アイルランドのデビューから約2年の時差がありましたが、セカンドの『October』が最高位11位のヒットとなり、ようやくメイン・ストリームにその存在感を表し始めました。83年には、「New Year’s Day」でついにUKシングル・チャートのTop10入りを果たし、3枚目のアルバムとなる『WAR』(邦題:WAR(闘)がアルバム・チャートの1位に輝きU2の快進撃は始まります。

初来日はその頃でした。U2との初インタビューに5分遅刻という大失態を犯した私でしたが、ボノが「いいじゃない〜」と寛大で、汗びっしょりの中、インタビューは進められました。(インタビュー後、当然ですがかなり怒られました。今ではインタビュー時間の15分前には到着しようと!あの経験が生きてます(笑)、当たり前ですが!)

初インタビューで印象的だったのは、ボノのこんな言葉でした。「僕たちがNo.1になっても、大きな会場でコンサートをやるようになっても、呼ばれれば、僕はキミの家に行ってライヴすることもいとわない。求められる場所があればどこにでも行って演奏する」と。もちろん私の家にお呼びすることはありませんでしたが(笑)、このボノの発言は、音楽を伝えていく手段となるライヴがいかに大切かというメッセージでした。そして「音楽だけでなくクリエイティヴな芸術家が多いアイルランド人としての誇りを失わずにいきたい」とも言ってました。その後、U2がダークなイメージをひとつのスタイルに変えていった時、4人にミューズが降り、彼らはアイルランド人のアイデンティティーを掲げ、信じられないぐらい大きなメッセージ・バンドへと成長したのです。

インタビューで4人の姿を目の前にしたのは初来日が最後でしたが、その後84年シドニーでのインタビューではラリーが応えてくれました(その後ドームの楽屋で挨拶して以来、会ってないかな〜)。その頃から、アリーナ・クラスの会場で演奏を始め、大物ロック・バンドとして世界をツアーして周り、誰もがU2こそ新しい時代の音楽シーンを牽引していくバンドであると声をそろえて発するようになりました。でもまだまだやんちゃな面も残っていました。世界中のメディアを招待して行われたシドニー湾をクルーズしながらの歓迎パーティーではみんながボノを待つこと30分。彼を待ちながら、ラリーもエッジもアダムもイライラすることなく、のんびりと風を感じていた姿がマイペースでいいなと思ったものです。ほろ酔い加減のボノが登場してクルーズは出発!自由に彼らと談笑し、写真を撮ったりといった時間は今では考えられません。彼ら自身、自分たちの音楽がようやく世界に認められたことに対する興奮を思いっきり楽しんでいた時期かもしれません。

そして『The Unforgettable Fire』での世界的な成功は、87年の『The Joshua Tree』へと繋がれていきます。今から数年前にカリフォルニア州パームスプリングスの先にあるジョシュア・ツリー国立公園に行ってきました。『The Joshua Tree』のアルバム・ジャケットとなった場所です。渇いた砂漠に生息する奇妙な形をしたユッカの木。岩を登り、さまざまな形のユッカの木を眺め、この渇いた砂漠で生きていくユッカの木は、どんなことにも動じず、どんな環境にも生き延び、自分のスタイルで存在していく・・・・と伝えているようでした。80年代にU2がここを訪れて感じてきたことを、私も深呼吸をし、1本1本がオリジナリティをもつユッカの木に背中を押されるような気持ちで帰って来ました。

ポリティカルな歌をメッセージする強烈な歌「Bullet The Blue Sky」はお気に入りの1曲です。アメリカ政府の対ニカラグア政策を訴える曲として知られていますが、そのメッセージだけでなく、この曲には彼らの初期からのアティテュードを感じることができるのです。そして「In God’s Country」(邦題:神の国)は私にとってのこれぞU2サウンド。ロック・バンドとして頂点に立つことになっても、彼らの音楽に対する変わらぬまっすぐな思いが込められている作品だと思っています。

16年前にニューヨークのマジソン・スクエア・ガーデンでElevationツアーを観ました。U2が原点に帰ったツアーだと言われていましたが、その原点は、サウンドとしての原点回帰だけではなく、80年代に彼らが葛藤しながらも、アイルランドから来たアーティストとしての誇りを胸に、荒波に向かって突き進んでいった時のアイデンティティーを強く感じたツアーでした。間違いなく『The Unforgettable Fire』から『The Joshua Tree』で成し遂げたあの時代へ、ファンを連れて行ってくれたツアーでした。


 ロック史に残る重要な1枚、U2名作中の名作
『ヨシュア・トゥリー』30周年記念盤!2017年6月2日リリース!

ヨシュア・トゥリー[30周年記念盤~スーパー・デラックス][直輸入盤]

 

ヨシュア・トゥリー[30周年記念盤~デラックス]

 


■著者プロフィール

今泉圭姫子(いまいずみ・けいこ)

ラジオDJ、 音楽評論家、音楽プロデューサー
1978年4月、湯川れい子氏のラジオ番組「全米Top40」のアシスタントDJのオーディションに合格し、この世界に入る。翌年大貫憲章氏とのコンビでラジオ番組「全英Top20」をスタート。以来現在までにラジオDJ以外他にも、テレビやイベント、ライナー執筆など幅広く活動。また、氷室京介のソロ・デビューに際し、チャーリー・セクストンのコーディネーションを行い、「Angel」のLAレコーディングに参加。1988年7月、ジャーナリスト・ビザを取得し、1年間渡英。BBCのDJマーク・グッドイヤーと組み、ロンドン制作による番組DJを担当。
1997年、ラジオ番組制作、企画プロデュースなど活動の場を広げるため、株式会社リフレックスを設立。デュラン・デュランのジョン・テイラーのソロとしてのアジア地域のマネージメントを担当し2枚のアルバムをリリース。日本、台湾ツアーも行う。
現在は、Fm yokohama「Radio HITS Radio」に出演中。

HP:http://keikoimaizumi.com
Twitter:https://twitter.com/radiodjsnoopy
Radio:Fm yokohama「Radio HITS Radio」

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